【不登校】頑張って学校に行ったけど、帰されてきた日
その日、三女はメンタルの調子が良かった。
うちの中1の三女は中学校に入学して以来、おなかが痛くて学校を休みがちになり、過敏性腸症候群と診断された。
それでも、親も子も様々な葛藤を抱えながらなんとか1学期を乗り越え、夏休みは母の逆鱗に触れるくらい宿題を後回しにしてそりゃあもうしっかり休み、2学期もどうにか学校に行き始めた。
日によってはおなかが痛い日もある。
それでも、最近はメンタルの調子が良かったので、一日休んだだけで、早退も遅刻もせずにがんばって学校に通っていた。
そんな9月の木曜日の朝。
週明けから頑張って通っていた三女も、その日は「今日はマジで具合悪い」と起きてきた。
主な症状は、腹痛と吐き気だ。
1学期は、先生や周りの「無理しないで休んで」を必要以上にしっかりと受け止め、処方された薬もちゃんとのまず、夜更かししては朝起きられずに、ちょっとでも具合が悪いと「今日、朝ごはんパンにするわー」のテンションで「今日、学校休むわー」が連発し、私は毎回イライラしていた。
自分の考えが社会の風潮とは逆行している事を自覚しながらも、自分の思っていることは正直に、娘たちに伝えてきた。
■学校を休むと授業に遅れてしまうこと
■欠席が増えると高校の推薦が取れないこと
■仕事を頻繁に休む大人になると結局社会に出て困ること
■欠席よりは遅刻でも早退でもいいから、行けるなら少しでも学校に行ってほしいと思っていること
学校に行かない事への心配は尽きない。
そんな私の昭和な考えを伝えてしまったので、良くも悪くも、以前ほど娘たちも軽々しく「学校を休む」とは言わなくなってきた。
過敏性腸症候群は病気でもあるが、「体質」だ。治らない。すなわち、一生この体質と付き合っていかなければいけない。
将来自立し社会に出ていく事を考えたら、どんな職業に就くにせよ、辛いから「今日休むわ」だけではなく、それを抱えながらもどうにか毎日を乗り越える方法を、身に付けなければならない。
もちろん、薬を飲んでも早寝早起きしても、メンタルの調子が良くても、それでもやっぱり具合の悪い日もある。それが過敏性腸症候群であり、やっぱり病気だ。
それはもう仕方ない。私もそんな日はさすがに怒りも湧かず、普通に休ませる時もある。
その日は、そんな日だった。
「おなか大丈夫?」
「いや、今日は結構痛い。」
「あったかいお茶いれようか?」
「めずらしい。学校休みたいって言ってるのに、ママが優しい。」
ねぇ、どんだけ鬼ババァだと思ってんの?
「薬もちゃんと飲んで早く寝て、やれることはちゃんとやった上でそれでもおなか痛いならママだって怒んないよ。」
「まぁ、そうか。」
ちなみに前回は、日曜日に散々友達と遊んだ挙句に、翌日の月曜日に「今日ダルいから休みたい」だった。そりゃ怒る。
休みたい理由もケースバイケースだ。
私もただ学校に行けという訳ではない。
「学校行きたい気持ちがあるなら、バスに間に合わなくても車で送ってくよ。」
「今日は行きたい。昨日髪切ったから友達に見せたいし。」
もうこの際、理由はなんでも良い。
学校に行きたいと思ってくれてるなら。
「じゃあ7:30まで様子見よう。行けそうなら車で送ってく。」
「そうする。ありがとう。」
おなかの調子は7:30までには良くならなかったが、今日はちょっと頑張ってみるわ、と言うので学校に送って行くことにした。
車で15分程の中学校までは、ゆっくり話をした。
車はいい。面と向かって話すわけじゃないからか、意外と本音が言いやすい。
運転席にいる私と後部座席に座る三女。そしてちゃっかり便乗する次女。ちなみに次女も過敏性腸症候群持ちだ。
「ママ最近、優しくなったよね。」
と二人が言う。
私、1学期どんだけ怒ってたんだろうか。
「だって、やるべきことをちゃんとやった上でダメなら、私も怒んないよ。それでも具合悪いのは仕方ないもん。」
「最近薬も飲んでるし、昨日も早く寝たよ。」
「知ってる。だから怒ってないよ。」
「しかも、今日は学校行きたいんだよね。」
「知ってる。」
だってあなた、今日は朝からめっちゃしゃべってるから。メンタルの調子が悪い日はしゃべらないし機嫌が悪い。
「でも吐きそうだし、おなかも痛い。」
「大丈夫?行けそう?」
「とりあえず学校行って、どうしてもだめなら保健室に行って休ませてもらう。」
「そだね。」
「どうしてもダメで早退するってなったら迎えに来てくれる?」
「今日は大丈夫だよ。いつでも連絡して。」
北風と太陽の、太陽になれ。
マザー・テレサ、再び降臨!
過敏性腸症候群の子は、朝が弱い。
稀に一日中おなかが痛い時もあるらしいけど、基本は、朝や午前中を乗り越えるといつも通りの元気な彼女たちに戻る。
なので、1時間目だけでも乗り越えてくれたら、何とかなるかもしれない。何よりも、本人が今日はがんばりたいと思っているのであれば、行かせてあげたい。
学校に着き、二人を降ろす。
「いってらっしゃい!がんばって!」
不登校児やうつの人に一番言ってはいけない言葉を、大声で伝えてしまった。
大きなリュックを背負って歩き出す娘に、やっぱり言わずにはいられなかった。
娘たちを送った、帰り道。
家に着くまでの間、いろんな事を考える。
母としての態度、声掛け。
厳しくする、優しくする、叱る、褒める。
バランスって本当に難しい。
15分かけて家に着き、車を止めたまさにそのタイミングで
「〇〇中学校」
娘の中学校から着信が来た。
おいおいおいおいおいおい。
うそだろ。
いま送って帰ってきたとこなんだけど。
今日は頑張るわって言ってたけど、やっぱりダメだったか。
「はい、もしもし。」電話に出る。
「もしもし、おはようございます。担任の〇〇です。三女さん、朝から具合が悪いとのことで、お迎えお願い出来ますでしょうか?」
「やっぱりダメそうですか…」
あぁ、このやりとりも何度目もだろう。
「朝一番で保健室に来られたので、帰った方が良いのではと伝えまして。」
「そうですか…。今日はいつもと違って本人も頑張りたいというので連れて行ったのですが、」
「え?もしもし!お母さん?…すみません、電波が悪くて…」
「あ、わかりました!とりあえず、今から迎えに行きます!ご迷惑をおかけして、すみません。」
私はすぐにエンジンをかけ、今来た道を戻った。
ダメだったか。
やっぱり本人が行きたくてもダメな時もあるんだな。無理させない方がよかったのかな。
でも、がんばりたいという気持ちを後押ししてしまうのが親じゃないか?
葛藤、葛藤、である。
学校に着き、事務室に声をかける。
保健室の先生と一緒に、三女が玄関まで出てくる。
保健室の先生に挨拶をし「ゆっくり休んでね」と言われ学校を後にした。
「大丈夫?やっぱり具合悪くなっちゃった?」
と聞くと、
「いや、それが、そういう事じゃなくて。」
と三女が話し始めた。
三女の話はこうだ。
三女は具合が悪いながらも学校に着き、教室へ入った。
荷物を置いたあと、吐き気もあったので授業中の念のためにと、エチケット袋をもらうために保健室に行った。使わなくても、もらっておくだけで安心するらしい。
エチケット袋ください、と行った保健室で、先生に「どうしたの?具合悪いの?」と聞かれ「朝から吐き気があって…」と話すと
「具合が悪いなら無理しないで、授業受けないで帰ったら?」と言われたという。
それには三女も、「えっ、」となった。
「いや、でも、今来たばっかりだし、今日はせっかく学校来たし…」
と言ったが、保健室の先生に
「そういう時は無理して学校に来なくてもいいのよ。おうちで休みなさい。」と言われたそうだ。
「あ、はい。」と答えた三女は、そのまま
「担任の先生に伝えるね。」と言われ、また
「あ、はい。」となったらしい。
「正直、もうちょっと様子見てほかったよね。」
と三女は言う。
ほんと、それーーーーーーーーーーー。
あーーー、せっかく学校行けたのにーーー。
でも、保健室の先生の気持ちはわかる。
痛いほどわかる。決して責められない。
300人以上いる生徒に対し、
保健室の先生は一人だ。
最近は三女のような事情を抱える生徒もとても多いと聞く。「保健室で休む」と言われても、ベットの数に限りはあるし、ダラダラ保健室にいられても困るだろう。最近風邪も流行っていると聞くし、感染拡大防止の観点からしても、保健室に置いておけない事情も分かる。
一人一人の様子を丁寧に観察し、様子を見る余裕はないだろうし、むしろうちの子みたいに手のかかる生徒にいつも優しくしてくれて本当に感謝しかない。
「欠席するよりは遅刻でも早退でもいいから、とりあえず学校に行ってほしい」なんて、それはこちらのエゴでしかない。学校とは本来、健康な子が通う前提で出来ている。具合が悪いのに学校に来られて、そこに先生の時間と労力を割くのは大変過ぎる。
それは担任の先生然り。
35人程の生徒がいて毎日何かしら起こる学級の中で、具合が悪い生徒の事を気にしている余裕はないに決まっている。むしろ、よく見てくれている方だと思う。私も先生だから、わかる。
それでも、今、私は親なのだ。
娘が「今日は頑張って学校に行くわ!」と具合が悪いながらもちょっとだけ頑張った気持ちが、そのまま「無理しないで帰りなさい」の一言で返された気がして、やっぱり私は悲しかった。
それは、三女もだった。
帰りの車の中で、二人で話す。
「今日は学校行きたかったんだけどな。」
「一応行けたじゃん。先生も早退扱いにしてくれるって言ってたんでしょ?」
「でも、友達に全然会えなかった。」
「やっぱり電波が悪くなっても、もう少し様子見てほしいって伝えればよかったかな。でも、先生もそんな余裕ないよね。」
「今日は大丈夫だと思ったんだけどな。」
と三女は言った。
まぁ、仕方ないよね。
今日はがんばったよね、と私は言った。
そうして2往復して帰ってきた家で、三女はまず1時間程ベットで休み、そして午前中には元気を取り戻した。
朝ごはんをあまり食べれてなかったので「おなかすいてきた~」と自分でおじやとサラダを作り始めそれを平らげ、めちゃくちゃしゃべっていた。お昼にはすっかり元気だった。
今回の件では、保健室の先生も担任の先生の事も、決して責められない。上手に気持ちを伝えられなかった三女も未熟だし、今朝の様子をちゃんと伝えられなかった私も至らない。
先生たちは先生たちがすべき仕事をしっかりと、いや、求められている業務以上に努めてくれていると思う。先生たちは忙しすぎるし、負担が多すぎる。余裕があるはずがない。
だからと言って、教育委員会や文部科学省に怒りたいわけでもない。
そもそも、私は怒りたいわけではない。
悲しかったのだ。
そしてちょっと、
やるせない気持ちになったのだ。
体調が悪く学校を休みがちな娘。
学校へ行ってほしいと願う母。
今日は行ける、と頑張って学校に行ったら
無理しないで帰りなさいと言われた。
やっぱり、ちょっと、やるせない。
やっぱりおなかが痛いのに「学校に行ってほしい」と思うこと自体、間違いなのだろうか。
でもまったくおなかが痛くならない日なんて、一週間に何日あるのか。多分1日、とかだ。ほとんど学校に行けなくなってしまう。
そして、何より本人が最近学校に行きたがっている。多少おなかが痛くても、がんばって行きたいのだと。「多少辛くても、がんばれ」と思うこと自体、時代にそぐわないのだろうか。
でもこのまま、おなかが痛い日は無理しないですぐに仕事を休む大人になったとして。誰がその責任を負うのだろうか。
それは本人だ。私たち親ですらない。
葛藤に逆戻りである。
そんな母の思いとは裏腹に、三女は
「ま、しょうがないや~」と家で色々新しいメニューを開発し始めた。とりあえず、楽しそうで何より。勉強もしてくれよ。
でもやっぱり、今日は絶対、学校行けたやつだ。
やるせない気持ちを抱え、
母は今日も生きる。