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【不登校】「いつでも帰ってきていいよ」って伝えたら、帰って来なくなった

学校に行き渋っていた三女が、
7月はほとんど学校も休まず、
早退もせず、がんばって学校に通った。

4月から「学校を休みたい」と毎朝訴える三女を、なんとか騙し騙し学校へ送り出して、その度に担任の先生から「お母さん、お迎えお願いします~」と早退連絡が来ていた3ヶ月間を経て、7月はほぼ皆勤賞。やっぱり母はうれしかった。

学校へ行き渋っている我が子に対する葛藤と、不登校になってほしくない気持ちの大きさに気づいた私の反省は、コチラ。

ちなみに母の目から見て、うちの三女は、いじめや人間関係など大きなストレスは今のところ無さそうだ。

ただやはり、「無理しないで休んで」と周りに言われる言葉をそのまま素直に受け取り、今日は部活がきつそう、嫌いな教科がある、音楽の教科書をなくした、など、ちょっと行きたくない理由があると、腹痛持ちも重なって、「今日学校休みたい」が発動する。

母の気持ちとしては、
「体調大丈夫?」が3割、「甘えんな!」が7割。

うちの三女はウサギだ。
イソップ童話「ウサギとカメ」の、あのウサギだ。

三女は何をさせても器用だし、やる気がある時はめちゃくちゃがんばるから結果も出すけど、やる気が切れると躊躇なく途中でサボり、寝る。
そう、あのウサギだ。
おい!甘えんな!そして、途中で寝るなー!!

私も長女も次女も、我が家の女子は皆完全にカメタイプなので、なかなかそんな三女が理解できない。ちなみにパパはウサギ。唯一の良き理解者。

そしてうちの三女と言えば、腹痛である。

特に大きな行事の前は顕著に症状が出る。
4月半ばに体調を崩して以来、良くなったと思えば5月には体育祭があり再発。体育祭が終われば中間テスト、それが終わったら中体連。まったくおなかが良くなる暇がない。

7月の部活の大会が近づくにつれ、やはり腹痛で遅刻や早退、欠席も増えてきた。本人は、学校に行きたい気持ちはあるらしい。特に部活には出たい。でも体が追いつかない。

本人の意思でおなかが痛くなってるわけではない。わかっている。わかっているのに。

そこにしっかりと腹を立ててる自分がいた。
今期何度も訪れている、母親失格ポイントである。

「なんで普通に学校行ってくれないの」
「今日は仕事が忙しいのに」
「なんで今日に限って」
「もうちょっと早く起きればいいのに」
・・・なんで。もっと。どうして。

本当に具合は悪いのだと思う。でも、ウサギ特有の甘えるな!という部分もチラホラ見え隠れして、母は「もう少しがんばれよ!」と思ってしまう。

それが、全部三女に伝わってたんだとおもう。
そりゃそうだ。私の言葉に態度に出ていたから。

頭ではそれじゃダメだとわかってはいる。

それでも、三女に対してのイライラと、そんな風に考えてしまう自分への葛藤で、6月、私の頭の中は、毎日ぐちゃぐちゃだった。

そんな時、尾石晴さんのラジオが車の中で流れてきた。

その放送こそが、私のターニングポイントとなった。

もし、お子さんが学校や習い事に行き渋っている親御さんがいたら、ぜひ聞いてみてほしい。そして、私の話を読んでほしい。



子どもが、「おなかいたい」「調子がわるい」という朝。学校に行きたくない我が子に対し、世の中の母が出来る学校への送り出し方には、そもそも2種類あるらしい。

「お母さん今日忙しいから連絡もらっても迎えに行けないからね」と送り出す。または、
「具合悪くなったらいつでも帰っておいで」と送り出す。

多くの母は①をしがちだが、②「具合悪くなったらいつでも帰っておいで」と優しく学校に送り出すと、子どもは意外と帰ってこない、らしい。

あなたはどちらですか?と。

え?本当?そんな事あるかな??

「いつでも帰っておいで」なんて言ったら、うちの子なら速攻で帰って来そうだけどな…。

何せ相手はウサギである。
こちらが優しさを見せたら、そこに漬け込んで、ここぞとばかりに早退してくるに違いない。だから「いつでも帰っておいで」なんて今まで言ったことはなかったし、言えなかった。

でも、そうじゃないらしい。

「いつでも帰って来ていいと言われてる」という安心感が、学校という「外」で頑張れるチカラになるのだと晴さんは言う。

疑いながらも、考えてみた。
そういうもんなのだろうか。

確かに甘えてるだけではなく、本人にも説明できない、学校に対する何かストレスはあるのかもしれない。それがおなかを痛くさせているのは事実なのだろう。それをわかった上で、学校に行きたくない気持ちと、がんばって学校に行こうという気持ちの狭間で、毎日葛藤している三女の気持ちも見える。

そこに対して、
「今日、私忙しいからね。」
「電話もらっても迎えにいけないよ。」

思い返せば、私の声掛けは①一択だった。

確かにここ最近、自分が日に日に優しくない母になりつつあるという、危機感と自覚はある。

まずは、言ってみるか。
今は、良いと言うものには藁でもすがりたい。




とある朝、三女はまたおなかが痛い、調子が悪いとトイレにこもってしまった。通学のバスの時間が迫る。

いつもなら「もう、バス遅れちゃうよ!」
「今日は電話もらっても迎えに行けないからね」と厳しく言い放ってしまうのだか、今日は心にマザーテレサを召喚して優しく言葉をかける。

出でよ!私の中の、マザーテレサ!!

「今日はママ家で仕事してるから、何かあったら連絡して。どうしても具合悪い時は、迎えに行けるから。」

「わかった。」

三女はその言葉を聞いて、調子が悪い悪いと言いながらも、なんとかその日はバスに間に合い、そのまま学校に行った。


そして、夕方まで帰って来なかった。


まじで早退の連絡が来なかった。

いやいや。
まぁ、今日はたまたま調子良かったのかも。

その効果を信じきれないまま、次の日も次の日も、私は優しい声をかけ続けた。

「今日は10時以降なら家にいると思うから。」
「今日は用事がないから迎えに行けるから。」

三女は毎回「わかった。」とだけ言って、家を出ていくようになった。

そして、やはり、担任の先生から早退要請の電話はかかってこなかった。

そのまま、夏休みを迎えて、今に至る。

私は悟った。

わかったぞ。
これはウサギとカメの話ではない。

これは、「北風と太陽」の話なんだ。

旅人のコートを脱がせたいのならば、冷たい北風で力ずくで吹き飛ばそうとするのではなく、温かい太陽で自ら脱ぐように促すのだ。

学校に行きたくない娘に学校に行ってほしいのであれば、厳しい言葉をかけるのではなく、優しい言葉と態度で包み込むのが正解なのかも。

そっか。そういうことなのか。
すごいな、イソップって。
悟ってるな。
やっぱイソップ、悟っちゃってんな。

私にはできなかった。
自分もそうやって育ってきてないし、今まで「この子をちゃんと厳しく育てなきゃ」という気持ちが強すぎたのかもしれない。本人の気持ちそっちのけで。

あの子はもっと甘えたかったのかもしれない。
甘えを許さないことばかり考えていた。
甘やかすのではなく、甘えさせてあげることは必要だったのだ。

今度こそ反省した。
あぁ、ホント、人生何度目だろう。

それからというもの、私は三女とのスキンシップを増やした。気持ちを言葉で伝えた。

当たり前だが、心の底から愛している我が子だし、元々かわいくて仕方ないのだ。日々のイライラで忘れそうになったけど、大きくなった今こそ、それをちゃんと本人に伝えていこうと思った。

愛してるよ、大好きだよ、ってたくさん伝えた。
主人の出張の日には、久々に一緒に寝てみた。
週末には、一緒に並んでシチューを作った。
そしたら、ポツリポツリと本音を話してくれた。
今は薬のおかげもあって、体調も少し落ち着いてきた。

なるほど、これが正解だったのかもしれない。

母親業は難しい。深いし、重いし、疲れる。

また、鬼ババみたいに怒ったり、女神様みたいに優しくなりながら、そんな人間らしい姿ごと、子どもたちに見せていけたらいいかな。

母親歴15年。

まだまだ修行中である。





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