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よるがこわい

先日、「人魚の眠る家」という映画を観て、それはそれは号泣してしまった。最新の涙が約一年前だというくらい泣かないわたしが、エンドロール中も、映画館を出ても、電車で帰る最中も、新しい涙を流しつづけた。

それは、わたしの、とあるスイッチを押したからだ。

わたしは幼稚園から小学校くらいの間、なぜか、身近な人を突然亡くす経験が多かった。ピアノの先生、親友のパパ、一個上の親戚。親しい友達が、死ぬかもしれない大怪我を伴う交通事故も2度、目の前で見た。

幼い頃に焼き付けられた、
「死んだ人の顔」の冷たさ。それは明らかに、生きた人間とは何かが違う。
こないだまで、さっきまで楽しく遊んでいた人が一瞬にして動かなくなる、怖さ。
大人たちの動揺、取り乱した姿。

すごく、こわい。
人が死ぬということが。
人がいなくなるということが。

今でも、突然誰かと連絡がつかなくなったりいなくなったりすると、心臓がバクバクして冷や汗が出たりする。

なぜ、あのときあんなに死が身近だったのか。意味はきっとない。ただの、偶然と偶然の重なりにすぎない。 
でも人は、人の死に意味を見出だしたがる。そうしてないと、いられないからだ。

わたしは、この感覚を持ってるからこそ、忘れないからこそ、人を大事にできるし、伝えようと思うことができる大人になれたんだ、そう思うようにしている。
そうしてないと、いられないからだ。

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