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子どもに「障害」や「車いすユーザー」を、どう説明するか?

週末、外出自粛の暇を持て余して大学時代のPCを整理していたら、懐かしい資料が出てきた。

5年前、私は複数の小中学校に向けて、車いすに関する障害理解教育を試行錯誤しながら行っていた。

障害理解教育とは、福祉教育とも言われ、教育現場で行われる障害についての学習のことである。方法としては、子どもたちが車いすの乗ったり、アイマスクをつけたりするなどの擬似体験や、障害のある人の講話などが多い。

当時、障害理解教育について考えた内容と、中学生たちに実際に行った対談を公開してみる。

1. これまで行われてきた手法への疑問

車いすに関する障害理解教育では、従来以下のような手法が取られてきた。これらへの疑問がきっかけになり、私は障害理解教育に関わりたいと思った。私が関わっていた頃から5年が経過した現在は、検討が進んで変化していることを信じているが、改めて当時自分が感じていた問題点を言語化してみた。

「車いすの人を見かけたら助けてあげようと思います。」は失敗!?
まず多いのが、車いすに乗って、学校内や街中を移動する「車いす体験」。

正しく行えば、障害の社会モデル(障害は社会側にあること)や、バリアフリーの必要性について身をもって実感できる。

ただ、多くの車いす体験は「車いすの移動は大変だと思いました。だから車いすの人を見かけたら助けてあげようと思います。」という結論で終わってしまっている。

「どうすれば、大変じゃなくなるのか。」それを考えなければ、バリアフリーが進んでいく時代に生きる子どもたちに伝える意味がない。

「段差を乗り越えられる車いすを作る」とか、「街中の段差をなくす」とか、そういうところまで発想させて初めて、障害の社会モデル的な見方ができる。

また、同じ車いすユーザーでも上半身が鍛えられていて多少の段差なら自力で乗り越えられる人がいることや、体験用の車いすと日常的に使われる車いすは使い勝手がかなり異なっているなど、体験した時の実感と、リアルな車いすユーザーが感じている事象に違いがあることにも触れておく必要がある。

「介助方法」の学習はやらない方がいい。
車いすの押し方を学んだり、車いすで介助される体験をする「介助方法」の体験学習は、多くの小中学生向けの障害理解教育で取り入れられている。

私はこの方法はやめた方がいいと思う。

そもそも、子どもたちに対して障害について知らせることの目的は何なのか?

障害者との関わりを増やし、障害者の社会進出を促進するなどの目的がよく設定されているが、その目的達成に「介助方法」の学習は寄与するものなのだろうか。

「介助方法」を知らなければ、車いすユーザーと友達になれないのか?「介助方法」を知っていたから、車いすを使う同僚と働けているのか?

んなわけない。目的から遠すぎる。

むしろ弊害の方が多い。

「怖い思いをしないよう、乗る人の気持ちを考えて介助することで思いやりの心を育成する」という記述が介助体験の資料に散見されるけど、「車いすに乗っている人=思いやりが必要な人」という偏見を植え付けているようにしか思えない。

それに冷静に考えれば、乗る人が怖いと感じない車椅子の押し方は「思いやり」ではなく、単に「技術」によって実現するものである。感情論も大概にしてほしい。

仕事や家族の介護で必要になったときに学ぶ、というのは納得できる。「介助方法」は一つのスキルであり、学んで生かすこと自体に大きな価値があるとは思う。

ただ、介助方法というスキルがどこで必要になるのか分からないまま、車いすユーザーへの理解という名目で介助方法を学ぶと何が起こるか。

「車いすユーザー=後ろから押すもの」という誤解が発生する。事実、私も介助用グリップが後ろについた簡易型電動車椅子を使っていた時に、見ず知らずの人にグリップを掴まれて身動きが取れなくなったことが何度もある。「街中でいきなり後ろから押されて怖かった」という手動車椅子ユーザーの声も少なくない。

「車椅子ユーザーを知る」という文脈で障害当事者が登壇することの怖さ
障害の当事者として話をすることもやっていたが、これはやればやるほど難しかった。

どんな病気で、体のどこが動かなくて、できないことは〇〇で、できることは〇〇で、こうして欲しくて…など、身体障害の内容や経緯、その対応にまつわる話が、当事者の口からよく語られる。

しかし、車いすユーザーである私にとっては、講話で正しく障害について伝えるのは難しいと感じた。

内部障害、発達障害、軽度障害など「見えにくい障害」「誤解されやすい障害」であるなら、講話という方法は理解を促進するのに効果的なのかもしれない。

車いすユーザーであることは見た目にわかりやすいため、一括りにされやすい。「歩けない」という不自由さも、明確に視覚的情報として伝わってくるため、一見理解した「つもり」になってしまう。

多様性の中の一例として、自分の病気を知ってもらえるのなら良いが、「車いすに乗った障害者を知る」というあまりにざっくりとした期待の中で、自分の病気を伝えるのには、気持ち悪さがあった。小中学生が車いすユーザーを画一的に捉えてしまいそうで怖かった。

「できないこと」を伝えても「大変なんだなぁ」「車いすの人を見かけたら助けてあげよう」のような、ある種偏見を含んだ着地点になる。

とはいえ、「スポーツできるんですよー」とか、「一人暮らしできるんですよー」とか、「できること」を伝えたとしても、「車いすなのに〇〇できてすごい!」という、健常者レベルに追いついた障害者への称賛、という着地点になってしまう。

……私は、何を伝えるべきかわからなくなってしまった。


2. 何年か後に、ふと思い出して役に立つことを伝えたい。


そもそも、自身の障害や病気を誰か伝えるのはなぜだろう。

学校や職場で伝えたのは、「笑わない=怖い」「できない=怠けている」などの誤解をされたくなかったから。

病気を公にするのは、アンタッチャブルな事実にしておくより、ネタにした方が長期的に考えて楽だから。

だとすると、一度しか会わない中学生たちに、私の病気や身体能力を伝えたところで何になるのだろうか。

こう思うにいたり、一つの目的を定めた。

3. 目的は、「戸惑いの壁」を作らないこと

車いすユーザーが感じる大きなバリアの一つは、初めて対面した時に「戸惑われること」であると思う。

おそらく多くの車いすユーザーが、初対面の人との間にそびえ立つ「戸惑いの壁」をどのようにぶち壊すか、考えたことがあるのではないだろうか。

この「戸惑いの壁」は、なにより障害のない人にとってもストレスである。
車いすの介助方法を学び、「助けなければいけない」と教育されたものの、目の前の人をどう助けたらいいのか分からない…。「障害者に優しく」しなきゃいけないんだけど、優しい態度ってなんなんだ…。なんとなく居心地が悪い。ちょっとめんどくさい。

わかる。

その結果、車いすユーザーと対峙したときに、億劫になって避けてしまう。障害がなければ発生していた関わりがなくなってしまう。

これを解決しよう。

目的として決めたのは、中学生の彼らがこれからストレスなく障害者と関係を築けるよう、「戸惑いの壁」を作らずに済むようにすることだった。

4. 喋るべきは、私ではなくて、私の周りの人

私が喋るのが最適なのだろうか。私より、私という障害者と関係性を築いてきた誰かが話した方が、彼らが自分ごととして考えることができるのではないかと思った。
私自身ではなく、私と周囲の人との「関係性」を見てもらおうと思った。

そこで召喚したのが、山口氏。

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実習で知り合い、もう5年の付き合いになる山口氏。たぶん…親友である。

彼女とは一時期ルームシェアしていた過去がある。横浜と大阪で離れ離れになっても、相変わらず日々くだらないラインを送ってくる。

そんな彼女に率直な気持ちを中学生に伝えてもらった。

5. 実際に山口氏と対談した内容

2016年2月5日 車いす体験を終えた中学生に話した内容。社会福祉協議会の職員さんが進行として入る。

職員さん:去年の夏に社会福祉協議会で実習を行った二人の大学生に今日はお話しをしていただきます。まずは、山口さん、木戸さん、大学でどんなことを勉強しているのか、など簡単な自己紹介をお願いします。

山口:〇〇大学3年生の山口です。私は大学で、バレーボール部に入部して三年間バレーボールをしてきました。今はバレーボールは辞めて、グループホームでバイトをしてます。どんなお仕事かというと、6人の知的障害の人が同じ家で生活していて、家事など、その人達の生活を支えるお仕事をしています。

木戸:〇〇大学3年生の木戸です。私は大学で電車やバスのバリアフリーや、軽度身体障害を持つ人たちの生きづらさについて学んできました。いまは社会の車いすのイメージを変えるにはどうしたらよいのかを、大学で勉強しています。

山口:私たちは去年の夏に、社会福祉士という資格を取るための実習で木戸さんと出会って、仲良くなりました。1か月間の実習が終わってからも、一緒に買い物に行ったり、木戸さんちでお泊り会とかをしてます。

職員さん:障害者との関わりというと、つい助ける・助けられるの関係で見てしまいがちです。「障害者を助けましょう」というのはよく聞くフレーズですし、障害に立ち向かう障害者とそれを助ける周りの人、というストーリーはドラマやテレビ番組でよく目にしますね。困っている人を助けることはとても大切なことですが、本当に障害のある人は助けられる側で、障害のない人は助ける側なのでしょうか?障害者の友達と付き合う時、いつもその子を助けなくてはいけないのでしょうか?

今日は、障害を理解することはどういうことなのか、障害者のあるなしに関係なく同じ立場で付き合うというのはどういうことなのか、お二人にお話ししてもらいます。

まず山口さん、木戸さんに出会ったときの印象はどんな感じでした?

山口:今思えば、木戸さんと出会う前は障害がある人はかわいそうな人だと思い込んでいたことが分かります。でも障害を持ってる木戸さんと同じ時間を過ごしていく中で、気づいたことがあります。それは、自分は障害がある人=かわいそうな人だと思っていたけど、木戸さんは自分のことをかわいそうだなんて思っていなかったことです。最初、木戸さんがなぜ車いすに乗っているかについて触れることは絶対ダメだと思っていましたが、木戸さんから自分の障害のことを話してたんです。しかもネタみたいにさらっと。その時に、障害を持っている人=かわいそうな人というイメージは消えました。

職員さん:障害のことをさらっと話したとおっしゃいましたが、木戸さん自身は自分の障害を人に話すことについてどう思われますか?

木戸:いまは全然抵抗はないですね。数年前までは車いすに乗っていなくて、見た目からは障害者だと思われませんでした。だから他の人と同じようにできないことを「怠けてる」と思われたり、「頑張ればできる」とか言われたこともありました。どうやったら自分の障害を周りに伝えたらいいのかすごく考えました。

職員さん:木戸さんは車いすに乗っていない時期もあったんですね。

木戸:そうです。今もまったく歩けないわけではなく、少しなら歩いたり、手助けがあれば階段の上り下りもできます。同じ車いす利用者でも、歩行できる人やできない人がいます。体の状態は様々です。障害があることが見た目にわからない人もたくさんいます。私は車いすに乗っていなかった時期も病気で疲れやすかったのですが、優先座席に座っていて「若いのに…」と言われたことがあります。見た目でわからないから大変なこともあります。

職員さん:では、山口さん、木戸さんと一緒に過ごす中で木戸さんを助けることはありますか?

山口:あります。たとえば、階段の上り下りの際にエスコートしたり。 でも、基本的に木戸さんから頼まれたときに手を貸すようにしています。

職員さん:木戸さん、山口さんの行動で嬉しかったことはありますか?

木戸:うちに遊びに来たとき、お客さんでいてくれたことです。

職員さん:お客さんでいる…どういうことでしょうか?

木戸:私が何かをするたびに、「大変じゃないかな」「大丈夫かな」と思われるのはちょっと疲れるからです。私は、自宅ではほとんどのことを自分でできるようにしているのですが、人と少しやり方が違うんですね。みんなと同じようにはできないんです。例えば手を動かすときは片手で片腕を支えたり、しゃがめないので足でものを拾ったり、何かするときに肘をついたりします。

たぶん周りの人から見るとそれがやりにくそうに見えるんだと思います。だから、「やってあげるから」と言って自分ができることを全部、されてしまうことがあるんです。自分の家なのに。ちょっとモヤモヤします。

山口さんはそういう意味ではあんまり手出しすることはないです。もちろん、私が「手伝って」と言ったときは快く手伝ってくれます。でもこれって障害がない友達同士でもありますよね。

職員さん:山口さんは木戸さんの行動を見ていて何か思ったことはありますか?

山口:そうですね。私も最初は木戸さんがゆっくり行動しているのを見て、大変なのかな助けてあげたほうがいいのかな思いました。でも、よく考えてみると、木戸さんは一人暮らしをしているわけだからゆっくりでも自分で生活できるということです。そう気づくと面倒くささが勝ちゃって、木戸さんに料理も皿洗いも全部任せちゃいました。(笑)

いつもそのペースで一人で生活しているわけだし、人と違う行動だからといって「できない=助けよう」というのは違うなと思いました。

自分が木戸さんにできることというのは、一緒に時間を過ごすことだと思います。階段の方が早いけど少し遠回りしてエレベーターに乗るとか、歩くスピードに合わせることくらいです。急かすときもあるんですけどね(笑)

それに一緒に遠回りするといっても、してあげているつもりはありません。先に階段で上がって待っててもいいわけですから。みんなでいう“つれしょん”みたいな感覚です。

職員さん:なるほど。障害者を助けるってすごく難しいことに聞こえるかもしれないけど、本当は障害のない人同士の関わり合いとそんなに変わらないのかもしれませんね。木戸さんはどう思われますか?

木戸:そうですね。私も我慢して付き合われるよりは、自分を大事にできる子の方が一緒にいてて楽しいです。私を助けることを考えすぎて自分を殺してしまっている子は私も困惑します。急いでいるときは、「ちょ、急いでるから先いくな」って言ってくれる方がありがたい。障害のない人向けに作られた社会では、物理的に仕方ないときはあります。二人の関係が悪くなるほど我慢することはせず、お互いにちゃんと話し合える関係でいたいなと思います。

あと、山口さんの気を使わない言動に逆に救われたりします。ゆるキャラの話とか(笑)

山口:ああ、この前木戸さんの歩き方がゆるキャラみたいっていじって爆笑してました(笑)障害をネタにするのはよくないと思われる人は多いと思います。自分も絶対ダメだと思ってましたが、木戸さんと友達だから言えるんです。木戸さんとだったらネタにできるのを知ってるから言えるんです。

職員さん:そうですよね。木戸さんと山口さんの関係だから言える言葉ですね。

木戸:はい。私はゆるキャラみたいって言われて、「なんでやねん」って言いながらめっちゃおもしろかったし、そこまで気を使わない関係になれたことに正直うれしかったです。でも初対面の人にいきなりこれを言われたらびっくりするかもしれませんね。

職員さん:なるほど。木戸さんはジョークが好きな人だけど、あまりジョークやいじられることに慣れていない人には、難しいかもしれませんね。

そう考えると「障害者の人にこう接した方がいい」ということを、私たちが皆さんにお伝えすることはできないのかもしれません。それぞれの関係性や付き合いの長さによるのですから。

これまで、山口さんが木戸さんを助けるというお話しが多かったですが、逆に山口さんが木戸さんに助けられることはありますか?

山口:自己紹介でも言ったように、自分は3年間バレーボールをしてる間、木戸さんは3年間福祉の勉強でいろいろな活動をされていたわけで、一緒に勉強するときはアメリカでの経験とかいろいろ話してくれてすごく勉強になりました。

これは木戸さんと出会って良かったことの一つですけど、これがなくてももちろん友達になりました。 話しやすいし笑いのツボがあったりしたから打ち解けたんです。友達になることに障害のことは関係なかったですね。

職員さん:なるほど。障害のあるなしに関係なく、相手のことを知っていくことが大事なんですね。最後にお2人から一言ずつ、お願いします。

山口:私は社会福祉学専攻で木戸さんに会う前から障害者のことについては大学で勉強していました。でも木戸さんと出会ったときは、お互い初対面だし、木戸さんが車椅子に乗っているというのが見えるだけで、本当の木戸さんの大変さなんてわからないんです。でもこのわからないっていう事が大事なんだと私は思います。

木戸:そうですね。わからないってことがすごく大事なんだと思います。「わからない」ってことを知っているから、わかろうとするんですね。今日車いすに乗ってわかろうとした事は素晴らしい経験だと思います。

「わかろうとする」って言い方をすると難しいことだと思うかもしれないけれど、本当は、みんな当たり前のようにしていることなんですね。同じクラスの友達のこと、初めて会ったときは何も知らなかったけれど、今はその子のこといくつか知っていますよね。名前とか好きな食べ物とか誕生日とか。わかろうとするって言うのはそれとあんまり変わらないんです。いまみんながやっていることを障害があるとかないとか関係なくやってくれたら、私はとても嬉しいです。

6. 中学生たちの感想

小中学生の意見は、社会の潜在的な価値観を含んでいて「うーむ」と考え込んでしまう。

私は今まで車いすの方、車いす以外でも障がいをもっている方を見ると「かわいそう」や「大丈夫かな」と思ったりしていました。ですが、今日のおはなしを聞いてこれからはそう思わないようにしようと思いました。今日聞いたこと、学んだことを忘れません。ありがとうございました。
車イスに座っている人への関わり方、さんこうにしたいと思います。関わり方が少し分からないけど、話してもらったようにやりたいと思います。ありがとうございました。

「障害者への接し方」という確固たるマニュアルがあって、正解でなければならない、という感じ。

今日はありがとうございました。講師の方の話を聞いて障害者側はそう思っているんだと思うことがありました。自分も障害者側のことを思ってできたらと思います。今日はありがとうございました。

障害者「側」…。新しい表現!

車イスでお話を聞かせてもらってありがとうございました。つらい事や嬉しい事を色々と感じて、がんばっている姿に感動しました。
今回きてくださってありがとうございます。色々教えてくださってありがうございました。たいへんなことがあるかもしれないのでがんばってください。僕もできるだけ車椅子の人のことを考えてあげたいです。

あーよくあるぅー!小学生はこういう感想文が8割。

〇〇中学校にいろいろな話をしにきていただいてありがとうございます。今回で足が不自由でもそんなにつらくないということや、一人でいろんな事をできるということを学びました。
今日のお話を聞いて、車椅子に乗る人にたいしての考え方が良く分かりました。また、車椅子の人でもこんなことができるんだ、とおどろかされることばかりでした。これからもがんばってください。

こういう感想が個人的に一番きつい。笑

内容に体験談がたくさん入っていてすごく分かりやすかったです。話から木戸さんと山口さんがとても仲がいいんだなと感じました。本当にうらやましい関係だと思います。ありがとうございました。
山口さんと木戸さんのすてきな仲に負けないくらい、私たちもすてきな仲にしていきたいです。お2人の話を聞いて、人という個性を知れる第1歩近づけたと思っています。とても勉強になりました!

こういう感想がでてきた事は、山口氏を召喚してよかったなと思った。障害、ではなく、関係性に着目してくれている。

面白い。感想文。

ただ!!

感想文、いらなくね??

こういう小中学生の感想をどの学校でも共有してくださるのだが、感想を書かせること自体に疑問がある。

むずくない!?自分も昔、書かされたことあるけど、正直、何書いても正解だと思えなかった…。

綺麗事を書かねばならないという、プレッシャーがすごいぃぃぃ!

障害や病気などの著しく個人差のある話は、「ふーん」ぐらいで聞いておけば良いのにな、って思う。

「ふーん」って思いながらいろんな人の話を聞いて、いつか何かに気づけば良いのにな。

「まとめ」をするのが教育なのかもしれないが、こういう正解がないことは、曖昧なままにしておいた方が考え続けると思う。

7. 障害理解教育、こうなったらいいなー

もっと、いろんな人の話が聞けたらいいなー
5年前の障害理解教育では、肢体不自由(主に車いす)、視覚障害者、聴覚障害者が取り上げられることがほとんどだった。現在は発達障害が注目されてきているが、障害理解教育でも、発達、精神、知的、内部、なんだったら障害にかかわらず様々なマイノリティについて知る機会があると多様性の「わからなさ」を感じられるのではないかと思う。ボストンで同席した障害理解教育はオムニバス形式になっていて、糖尿病とか取り上げられていた。

もっと、ポップな雰囲気で考えることができたらいいなー
深刻そうな顔で、真面目に受けることないと思う。「歩き方がゆるキャラ」の件を入れるのとか、だいぶ勇気が要った。事実、この話をした時の先生の怪訝な顔…!忘れない。

もっと、「障害者」以外の名札で出会えたらいいのになー
「感動ポルノ」という有名な言葉を生み出した、オーストラリアのコメディアン、ステラ・ヤングさんがTEDで言っていたこの一節が印象的。

私がメルボルンの高校で 教師2年目だった時のことです 2年生の法学の授業を始めて 20分ほど経ったところで 男子学生が手を挙げて 「先生 スピーチはまだかよ?」と 言いました 私は「スピーチ?」と返しました だって長々と20分も 名誉きそん法の講義をしていたんですよ この生徒は「あれだよ やる気を起こさせるスピーチ 車椅子の人達が学校に来ると だいたい感動的な話をするだろ?」 (笑) 「いつもなら会場は大講堂だけど」と

これが私の最初の気づきでした この子は障害者を感動の対象としか 見たことがないんだ と この子にとって ― もちろん 彼のせいでもなく 多くの人が そんな風に考えています 大多数の人が 障害者を教師や 医者やネイリストとは 見ないものです

「私は車いすユーザーです」っていう名札をつけて誰かと出会うことって、日常生活でほぼない。だから、「車いすユーザーの方に来てもらいました!」って小中学生に紹介されるのが気持ち悪くて、「実習していた大学生です!」という形で紹介してもらった。

障害のある人との初めての出会いが、そんな不自然な線引きされた形で良いのだろうか、と思った。

「車いすユーザー」という名札ではなく、例えば「音楽の先生」とか、「〇〇ちゃんのお母さん」とか、「週に一度紙芝居に来るおじさん」とか、そういった名札で出会えるようになれたら。

出会うことの目的が「障害のことを知る」ではなく、一緒に何かをすることが目的で、そのおまけで障害のことを知っていく、そんな経験ができたら。

この不自然な線引きはなくなるのだと思う。

8. これって…YouTubeみたらええやん!

上記のことを書いてみたとき、これやん!というのが一つあった。

YouTubeだっ!

最近、障害のある知り合いが次々とYouTuberとしてデビューしている。どの動画もリアルで、同じ障害・病気の中でも多様性があって、ポップな雰囲気で、楽しく自分と異なる他者を知っていくことができる。検索してみると、身体、精神、発達障害、LGBT、何でもござれ。ダイバーシティの宝庫である。

めっちゃ長々と書いたけど、結論を言うと、

良い子のみんな、
介助方法学んだり、感想文書くよりも、
Youtube見ようぜ!!!

って話。

(Youtuberの皆様、これからも動画配信、楽しみにしています!!!)

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