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言語化すること

最近よく思うことがあります。

名案が浮かんでも、自分の主張があったとしても、思っているだけでは誰にも何も伝わらないよなぁと思うのです。

これまで私は結構感覚に任せてきた部分が多く、逆に言語化することで言葉の枠にはまってしまうのが嫌でした。言葉では表現しきれない微細な感覚をそのまま大切にしたいという気持ちが強かったのです。
なので「ブワって感じがしてシャーってなります」というような語彙力ゼロな会話をよくしていました。。

自分だけのことであればそれで問題ないのですが、人と共有する必要がある場合には深いところまでは理解し合えないことが多く「感覚頼みもこれまでか…」と限界を感じるようになりました。

そうして言語化をする練習も兼ねて始めたnote。
気ままなペースでの投稿ですが、気づくこともいろいろあります。


言語化することの良さ

言語化することで感じたメリットは2つあります。

①感覚は記録しておけないが、言葉はその時の状況や空気感まで記録しておくことができる

これは私が感覚に頼ってきたことで起きるデメリットを補完する役割となりました。その時の感覚を大事にしたいと思うものの、その感覚を鮮明に思い出すのは記憶だけだとなかなか難しい。

そこで日記やnoteなどで書き留めておくと、読み返したときにかなりの解像度で蘇らせることができます。言葉に意識を向けて書き残そうとすると言葉選びも丁寧になるのでいいですね。

過去の日記の場合、感情をそのまま書き綴っているので読み返してその時の気持ちになってどんよりするのもある意味同じ現象だと思います。笑

②自分の考えや思っていることを整理して伝えられる

何を言いたいのか、何を残したいのか頭の中を整理して文字に書き起こしていくので、個人的にはブレインダンプと同じ効果があると思います。
最初から綺麗な一文は書く必要はなくて、思い浮かんだキーワードを羅列していくところから始まります。

そして①の言葉選びが丁寧になるというのにも通じるのですが、自分の考えや思っていることがどのような言葉だとしっくりくるのか、要素を抽出するように言葉を選ぶようになるのです。
そして感覚を言葉に置き換える過程で自分の考えも整理されるので新しい気づきにつながります。

あれこれ思ったことを話すのではなく、考えが整理できているとその場に応じて必要な情報を引き出せるので、混乱することもなく効率的です。

言葉にできればもっと伝えられる

例えば整理収納をお仕事としてさせてもらっていますが、私の中での整理収納は「なんとなく得意なこと」という位置付けでした。
小さい頃から得意だったというわけではないけど、ここ数年で得意かもと思うようになった。

じゃあなぜ得意になったのか、その過程には何があったのかを言語化していきました。
出来事だけではなく、その時の自分の感情なども書き出します。

5〜6年前は頻繁に旅行に行っていたので、

「そういえばパッキングを繰り返ししていたことでキャリーケースやバッグの限られたスペースに必要最低限のものを効率よく収めるという力が培われていったのかもしれない…。飛行機はLCCだったから重量オーバーすると莫大な追加料金払わなくちゃいけないし。コンパクトに収めるのは大変だったけど、あれこれ試行錯誤しながら結構楽しかったな…」

と気付きます。

それに付随して「そういえばあの時も…」と整理収納にまつわるエピソードを思い出しながら、行動と感情を整理していきます。

するとただなんとなく整理収納のスキルが身についたのではなく、旅行やリゾバ、ワーホリなど短期間で移動する生活が続いたため、強制的に決められたストレージ内に収まる必要最低限のものしか持てなかったことが大きく影響していることがわかりました。

言語化をしていくことで「整理収納の感覚が養われたのは旅行を通じてモノに対する価値観と空間の使い方に向き合う機会が多かったから」という自分の整理収納に目覚めるきっかけにたどり着いたのです。

「どうやって整理収納ができるようになったんですか?」と聞かれても感覚だけの場合だと「いや〜、なんとなくですね〜」としか返せなかったのが、言語化できるようになると

「えっと…、なんでだっけ…。あ、そうそう旅行行ったりあれこれ移動している期間が3年くらいあったんだよね。そこで何度となくパッキングしたり住まいが変わったことでモノに対する価値観も変わったし、いかに効率よくものを詰めるかに腐心してたのが整理収納に活きてきてるんだった」

と頭の中で整理して伝えられるようになりました。

何より自分でただなんとなくそうすると漠然とした感覚をニュアンスで伝えるよりも相手に伝わりやすくなります。


SNSと言語化

言語化と密接な関係なのはSNSです。
いつでもどこでも誰でも個人で発信できる世の中。
直接本人と会わなくても、Twitterやnoteなどを読めばその人の考えや人となりがなんとなくわかります。

この人の考え方に共感できる、その考え方いいなと思ったときなど会ったこともないし向こうもこっちのことなんて知るわけもないのだけど、なんだか発信者に対して親近感が沸くこともしばしば。

逆に何も発信していない人の場合はどんな考えを持った人なのかわからないですし、そもそも発信していないのだからその人の考えや思いが人の目に触れることは絶対にありません。

どんなにすごいアイデアを持っていても、どんなに巧みな表現力を持っていても、自分で言語化して発信しなければ共感も何も生まれません。会議でもブレストでも言葉にしなければ何も伝わらないのです。

そうそう、今ふと思い出したのですが、小さい頃親に怒られたとき理由を問われて「口があるんだからちゃんと口で言いなさい」と言われました。
自分の頭の中にあることを言葉に変換して発信することは、簡単にできるようでできないことなんですね。

例えば英語で言えばライティングは得意だけど、だからといってライティングと同じように話せるというわけではないことと似ています。どちらも訓練することでできるようになります。
言語化も回数を重ねていくことが大切だと感じています。


コミュケーションを円滑にするために

人とのコミュケーションの間で「言わなくてもわかる」という暗黙の了解や空気を読むことが当たり前になっていますが、そもそもお互いを理解し合うために大前提として「言わなきゃわからない」んですよね。

言わなきゃわからないの前に自分で何が言いたいのかわからなければ相手に自分の考えを言うことすらもできない。

自分は何が言いたいんだろうと整理して言葉に変換しておくことが必要です。
相手に自分の考えを適切に伝えるため、思考の整理をするためにもこれからも言語化することを意識していきたいと思います。


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