5階 「探偵とその妹」
冬とは昔から混じり合わない。
どうして神様は人間に冬眠を許してくれなかったのか。
眠るのは嫌いでないし、すっかり暖かい気候となった頃に外に出るくらいで構わないのだが。
寒空の下、手がかりを求めて一日中歩くにはたいへん厳しい季節である。
物語の中の安楽椅子探偵に憧れて探偵となったトオルであるが、名探偵と呼ばれるには程遠く、その探偵業の大部分は地道な調査で構成されていた。しかし、今はこうして仕事がないので日の大半をストーブの前で読書をして過ごしていた。
「お兄ちゃん、そんなとこに座っているぐらいなら、チラシでも配って宣伝してきてよ」
兄である自分に小言を言うのは妹のカズハ。彼女も探偵社で一緒に働いている。きりりとした眉とつり上がった目は彼女の強気な性格をものの見事に反映していた。
「冬の間は探偵は休業中だよ。ただでさえ、最近は探偵を呼ぶような事件がめっきり減っているんだからさ。寒い中チラシを配ったところで、うちに依頼する人なんていやしないだろう。骨折り損のくたびれもうけ。風邪なんか引いた日には目も当てられないよ。カズハもこっちに来て休むといい」
トオルがかろうじて探偵として生活ができているのは、妹のカズハによるところが大きいので強くは言い返せない。が、どういうわけか、ここのところ探偵の活躍の場が減少しているのも事実である。
「そんなこと言って休んでばっかりじゃない。ホントにハルミちゃんがいないと何にもできないんだから。少しは探偵として自立してよね」
ハルミちゃんというのは妹の飼っている白蛇のことで、何を隠そう、彼女こそこの探偵社のブレーン。人間にはない嗅覚でたちまち事件の手がかりを見つけ出す。今までに解決した依頼のうち、八割はハルミちゃんの功績によるもの。
しかし、ハルミちゃんは変温動物の蛇なので、冬になると頼りない探偵を残してさっさと冬眠してしまう。つくづく冬とは合わない。
玄関のチャイムが来客を告げる。久しく聞いていなかった音だ。
「ほら、お仕事の依頼が来たんじゃない?」
妹に急かされるように重い腰をあげ、素足で歩くには冷たすぎる廊下を足早に通り抜ける。
「すみません。クロサキという者ですが、取材をお願いしたいのです」
奥の部屋から地獄耳を持つ妹が聞きつけて、
「取材!? お兄ちゃん、絶対受けなよ。うちを宣伝するチャンスじゃない。ほらほら、上がってもらって」
この年若いクロサキという青年、聞けばこのマンションの一階から順に調査をして上がっていると言う。探偵も真っ青の地道な脚を使った所業だ。
妹なんぞはしきりに感心して、
「うちの兄にも見習って欲しいです」
などと話している。
兄のトオルとしては居心地が悪い。
しかしその「居心地の悪さ」こそ、トオルの探偵の原動力であった。幼少の頃から常に居心地の悪さというものを感じて生きてきた。その寂しさを埋めるように小説を読んだ。妹に呆れられるほど読んだ。都会の居心地の悪さから逃げるように街の外れで探偵をしていた。
その頃から妹には迷惑をかけてばかりだったように思う。僕が探偵社を始めた時も、「お兄ちゃんひとりだと心配だから」と手伝いを申し出た。
「僕が憧れる探偵にはどうやらなれそうもありませんが、せめて兄妹が満足に暮らせるくらいには頑張ろうと思っています」
自らの思いを語るのはどうもむず痒い。
「兄はこうカッコつけて言っていますが、先刻までストーブの前でぐうたらとしていただけですから。実際どこまでが本当なんだか。外面だけはいいんですよ。あっ! でも、探偵としての働きぶりだけは確かなので、ご依頼の際はぜひうちに。兄には私がよーく言って聞かせますので」
「それは安心ですね」
本当に妹には敵わない。
気づけば探偵社の実権も彼女のもので、トオルは平社員のようだ。
「あれ? ハルミちゃんがいない」
クロサキ青年の帰り際、異変にいち早く気がついた妹が言う。
言われてみると彼女がひと冬の間じっと眠っていた寝床にその姿は無く、空っぽになっていた。
どうやら人間には気づかぬうちに春はもうすぐそこまで来ていたらしい。事件の匂いがする。
トオルはストーブのスイッチを切り、徐に立ち上がった。
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