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6階 「怪盗が盗んだもの」

「キミに秘密を教えよう」
 男は疲れていた。
 男が父親から仕事を引き継いでもう三十年になる。
 頭には白いものが混じり、体型には気をつけているものの肉体は年の流れには勝てず、垂れ下がってきていた。
 かつて切磋琢磨していた同業者たちも今では足を洗ってしまった。男だけが取り残されて未だに沼の中でどっぷりと足を浸してもがいている。
 クリーニング店〈ルパン〉。
 父の匂いの染み付いたこの店で罪滅ぼしのように汚れを落としていた。
 取材にやって来たクロサキという青年に秘密を話してみようと思い立ったのは、いいかげん楽になりたいという思いもあったのかも知れない。

   *

「おや、ハルミちゃん。こんなところに居たのかい?」
 今日も今日とて階段をのぼるクロサキくんは階段の上にてとぐろを巻いた白蛇と遭遇する。下の階の探偵社にお邪魔した帰り際、妹さんから「逃げ出した白蛇のハルミちゃんを見かけたら教えてください」と言われていた。
 へっぴり腰のクロサキくんが恐る恐る大蛇を掴み上げようと扉の前で煩悶していると、ガラス戸を開けて家主が現れる。
 おそらく奇妙な動きをするクロサキくんが中から丸見えだったのだろう。
「取材にやって来たクロサキという者ですが」
「そうか。それでは、キミに秘密を教えよう」
 クロサキくんはハルミちゃんを腕に抱えて、訳もわからぬまま、あれよあれよという間に奥の部屋に連れ込まれてしまった。

   *

 大量の洋服にカモフラージュされた隠し部屋。
「実を言うとクリーニング店はあくまで表の顔、本当の正体は怪盗なのだ」
「ほほう。詳しくお聞かせ願えますか」
 調査員を自称するだけあって臆することなく聴いてくる。その心意気やよし。
「私の家系は代々怪盗として活躍していたのである。父も祖父も夜の街を駆け、夢を振り撒いていた。私が怪盗となったのもごく自然の成り行きであった」
「怪盗とは実在するのですか?」
「無論。こうして目の前にいる。しかしキミがそう問うように、近頃、怪盗が物語の中の住人と思われている。非常に嘆かわしいことだ。怪盗が忘れ去られてしまわぬよう、辞めるわけにもいかなくなってしまった」
 そう。この街にもかつては数多くの怪盗がいた。そして、怪盗のお眼鏡にかなうようなお宝も溢れていた。今は心が躍る宝自体が減ったように思うのは、歳と共に悪くなった目のせいだろうか。
 だからこそ、男は自らの計画を思い出すとニヤリと笑みが溢れた。
「しかしだ。私は今、とても大きな獲物に狙いを定めているのだ」
 クロサキ青年が息を呑むのがわかった。
 いいぞ。そうだ。怪盗はこう皆を驚かせていなくてはならない。
 偶々連れ込んだ青年であったが、なかなかに見所があるではないか。男は内心ほくそ笑んだ。
「実はな、私は探偵の手柄を盗んでいるのだ」
 男は下の階に住む探偵の兄妹のことを思う。たいへん仲の睦まじい兄妹であり心優しき善良な市民であるから、彼らの仕事を奪うのは心が痛む。が、男の方もなりふり構ってはいられなかった。
「でも待ってください。探偵の手柄を盗んでも仕方ないんじゃないですか? 探偵は怪盗を捕まえたりするんですよね?」
「そうだ。怪盗と探偵は永遠の好敵手。そして、私はその探偵よりも先に他の怪盗を捕らえている。紛うことなき同業者狩りだが、私如きに捕まる怪盗などいずれにせよ大した怪盗ではない。探偵のかませ犬など、もうこりごりなのだ。正義は必ず勝つと言うが、正義と悪など簡単に分けられるものなのだろうか? 我々が勝つ時があってもいいはずだ」
 話したことで肩の荷が少し降りたような気がする。気持ちが軽くなったところで先ほどから気になっていたことを質問する。
「ところで、君の膝の上に乗っている白い蛇であるが、なんだか見覚えがある気がするのだが……」
「ああ! この子ですか。下の階から逃げ出してきちゃったんですよ」
 何と迂闊な。この妙に勘の鋭い蛇こそ、あの探偵社において一番厄介なのだ。そんな彼女の前で渾身の計画を話してしまうとは。
「いまの話だが、聞かなかったことにしてくれるとありがたい」
 そう言うと怪盗は煙のように消え、後には風になびく白シャツだけが残されていた。


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