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私という人間。成長と家庭環境。

はじめまして。

ご覧いただきましてありがとうございます。

地方の大学に通っております、かなえと申します。4年生です。

ずっとやろうやろうと心に秘めていたnote、始めてみました!

どうぞよろしくお願い致します。

今回は自己紹介、私の価値観を書き残そうと思います。

【私について】

・岐阜生まれ、千葉育ち、アメリカ経由の大学4年生。普段大学では日本史の研究をしています。

・自己統制感が強く、失敗してもとことんやり続ける性格。「私を幸せにするのは私しかいない」「私が幸せになれるかどうかは私次第である」といった価値観があります。

・回復志向・原点思考が強く、人や物事の過去や原理、原因を探ることが大好き。また1度考え始めると思考が中々止まらず、授業内容で気になったところを考えていたら授業が5分進んでる…なんてことが多々あります。

・一方で共感性も強く、人の痛みや苦しみが伝わりやすい性格です(失恋系ドラマは1度観ると頭から離れなくなるのでなるべく観ないようにしています…😭)。その場の雰囲気や空気、その人の今日の調子にも敏感な方です。

・趣味…歌うこと、料理、毎日違う入浴剤を試すこと。昔から入浴剤が大好きで、お風呂に浸かっている時間が1日の中で最もリラックスできる瞬間です。

…ざっくりまとめるとこんな感じです。

その中でも今回は、私の最大の特徴(?)である「私が幸せになれるかどうかは私次第である」という価値観について、お話しようと思います。

【誰も助けてくれない、という感覚】

この「すべては私次第」的な感覚は、感覚として言い換えれば自己統制感、能力として言い換えればレジリエンスというものに近いです。

自己統制感とは、あらゆる成功や失敗などの結果は、自分の能力や行動ゆえに起こったことであるという感覚。レジリエンスとは、失敗から立ち直ったり、何度も跳ね返したりなど、物事から回復する力です。

私は今までの人生を生きてくる中で、

「かなえちゃんってよくそんな諦めないでできるよね!」

「知らないところに1人で飛び込んでいけるの、すごいよ」

「目標高っっ!」

と言われることや、一方で

「割とすぐ落ち込むこと多かったりするよね?」

「意外とメンタル弱いよね~、なのによくそんな頑張れるね」

「そんなに悩んでたの!?かなえちゃんのこと、みんなそんなに責めてないよ?」

と言われることが多々ありました。

頑張るんだけど、その中で上手くいかないと割とすぐ落ち込む。だけどしばらくしたらまた最初の目標に向かって突っ走る。これをぐるぐるぐるぐる繰り返す。これが私の性格であり、長所になることもあり、もちろん短所になることもあります。

【教育熱心な母、暴力、濡れ衣、4人兄弟の長女】

なぜ私がこのような性格であるのか。

その理由は、子供の頃の家庭環境にあると思っています。

私の母は教育熱心なタイプで、ご飯の食べ方やマナー、習い事に対してすごく厳しい人でした。今思えば、私のことを愛してくれているからこそ、私のことを思って、本気で私に教えてくれていたんだと思います。

でも、いつも怒られるのが怖くて怯えていました。私なりに頑張っても中々上手くできないと、私の行動による「結果」がよくないと、何かモノや手が飛んでくる、締め出される。かなえなんか生まなきゃよかった、と私の目をみて金切り声で言われる。そんな環境でした。

暴力はまだ序の口だとしても、一番衝撃的だった事件は、小学4年生の頃、濡れ衣を着せられた、いや、着せられにいってしまったこと。

家の壁が傷ついているのを母がみつけ、2時間口論したのにも関わらず私がやったことにされてしまいました。というか、私から濡れ衣をかぶりにいってしまった。。

「誰が悪さをしたのか」で揉めるのはヒリヒリする、もしこれが1つ下の妹に擦り付けられたら…。私が母から妹を守ってあげないと、私が変わるしかない。だから、自ら濡れ衣を着せられにいって話を早く終わらせよう。

私のこうした行動はこの時が初めてではありませんでした。私がこうしないと、事態が収束しそうにない。そのように思ってこの行動をとりました。

しかし、

「かなえちゃんがまた悪さしたのよ、いっつも迷惑かけてごめんね。」

「あーかなえなんて生まなきゃよかった!!」

1つ下の妹にそう話しているのが聞こえた時、悔しさと悲しさとあきらめが混ざったような、やり場のない虚しさのような感情が、自分の中を駆け巡った感覚を今でも覚えています。

人を守るために、無限に疑われ続けるという時間をなくしたいと思って行動したのに、自分は信頼を失い、一番大切な人に生まなきゃよかったと言われてしまった。

そうか、私は生まれてこなければよかったのか。

でもじゃあ、なんで産んだの、産まないでよ、生きちゃったじゃん。

「大人になったら絶対お母さんみたいなお母さんにならない。」「大きくなったら、私は世界一優しいお母さんになるんだ。ずっとにこにこしてて優しい話し方をして、自分の子どもをいーっぱい、これでもかーってくらい、たくさんたくさん愛してあげるんだ。」強烈な経験から、私は幼少期や小学生ながら、そのような想いを強く持つようになりました。

こうした子どもの頃の強烈な原体験に加え、私は4人兄弟の長女でした。したがって、一家の中で「お母さんも、お父さんも、もちろん私も初めてのこと」を、最年長者として、一番多く経験してきた子どもでした。

初めてのことや1人でやることでも、ためらっている場合はありませんでした。生まれた時からそうだったし、妹や弟が私を見ていたはずです。びびったり泣いたりなんかとてもいられないし、むしろ私はこの子たちを恐怖や不安から守ってあげなきゃいけない存在でもあるんだ。

そうした感覚が転じ、小学高学年の頃には早くも親と一緒に出掛けるのが少しはずかしくなりました。なんだか「子ども」みたいで、甘えてるみたいで嫌だったからです(子供なんですけどね…笑)。

中学に入ってからは勉強や部活動にも精一杯取り組みました。結果で妹や弟に負けるなど、当時の私にはとても受け入れられなかったからです。

【まとめ—私という人間について。】

…と、ここまで書いてきた通り、

①幼少期~小学生にかけての、母からの厳しい教育

②4人兄弟の長女であったこと

この2つが、「自己統制感が強い」という自分の性格を創り上げたのだと、私は思っています。

「できない」と愛されない、元々そんなに自分は必要とされていないし元々味方なんていない、おまけに私は出来の悪い子である。でも年長者としてしっかりしなければならないし、弱音は吐いてられない、逃げ場はない。

であれば、私が変わらなきゃだめだ。私が変わらない限り、私の周りや外にあるものは変わらないんだ。味方なんていない、じゃあ私が何かアクションを起こすしかないよね。そうしたら私で私を守れそうな気がする。大丈夫、私には私がいる。

このように言葉にすると、メンタル最強!にも見えますが、実はそんなこともないんです。むしろ、若干HSP気質なところもあって、おそらく平均よりも繊細で、先述したとおり「意外と打たれ弱いよね」って言われることも多くあり、その通りだと思っています。加えて私自身、人間のメンタルって実はそんなに強くなくて、人による差も微々たるものなんじゃないかなって思っている節もあります。

おそらく異なるのは「落ちちゃった後」で、落ちても落ちても死なない限り、どうせまた高い目標をかかげて突っ走る。じゃないと、私が幸せになれないから。私にとって幸せとは、人から手をさしのべられることで感じるものとは少し違って、「自分で捕まえる、逃げないように持ち続ける、逃げちゃったらまた急いで捕まえに行くもの」という感覚が強いです。

【おわりに】

今回は「私の性格や価値観、そしてそれがどのように形成されたものであると考えられるのか」ということについて、書いてみました。少しでも興味を持っていただけたら幸いです。

次回は、そんな私がなぜnoteを始めたのか、そして私が社会に対して何をしていきたいのか、想いを書き残そうと思います。読んでいただけると嬉しいです。実はお母さんのことが今では嫌いじゃない理由とかも、書きたいです。

それではまた次回にて!

これからよろしくお願いします。

かなえ

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