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玉砕パティシエ小豆田

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結婚を考えていた彼氏からフラれた甘樂燈架(あまら とうか)は、食べ損ねたケーキへの未練から、とあるケーキ屋に足を踏み入れる。  そこでパティシエの小豆田(あずきだ)から唐突に告白…
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#創作大賞2024

玉砕パティシエ小豆田①

玉砕パティシエ小豆田①

一.フレジェな出逢い

 白いテーブルクロスがついた正方形のテーブル。窓際に設置されたその席からは、銀座の夜が一望できる。眼下に広がるのは、闇の中でグラニュー糖のように眩く光る夜景。瞬きする度に、光が変わる。
 窓は机に置かれたキャンドルを反射している。なかなか心が落ち着かなくても、揺らめく炎を見ていると、これから起こるであろうことに備えて、自然と大人の余裕を与えてくれる。

 付き合って三年。

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玉砕パティシエ小豆田②

玉砕パティシエ小豆田②

Mémoire 1

 閉店間際の店内。

 日照時間は延びてきていても、太陽が沈めば、ボトンと灯りが落ちたように。急激に暗くなる。

 こんな時間にケーキを買いに来る人は、ほとんどいない。

 夕食後のデザートをわざわざケーキ屋に来てまで買い求める人もいない。突如ケーキが食べたくなったとしても今の時代は、コンビニで手軽に買えるのだから。

 人がケーキを買う時とは、どういう時なのだろう。

 誕

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玉砕パティシエ小豆田③

玉砕パティシエ小豆田③

二.マドレーヌに誘われて

 翌日の仕事は、何とも憂鬱だった。

 昨日、いつもよりかはオシャレをしていた私を見て「この後何かあるのだろう」と察していた同僚達は、顔には出さないよう努めていても雰囲気が落ち込んでいる私を見て、別の意味で「何かあったのだろう」と察しているに違いない。仕事に支障が無いように、尚登との交際は誰にも言っていないから、内容までは推測できないだろうけど。

 それでも、残酷に、

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玉砕パティシエ小豆田④

玉砕パティシエ小豆田④

Mémoire 2

 翌日、閉店三十分前。

 今日も残りわずかなケーキを眺めながら、もう客足も引いた店内のレジに立っていた。

 最近はずっとこうしている。

 ケーキを買うお客様の顔を見たら、自分が自分のケーキに何を求めているのか、わかる気がしたから。

 厨房を他のパティシエに預けて、閑散とした店内とケーキを眺めて、物思いに耽っている。それを許してくれるシェフと同僚には、感謝しなければ。も

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玉砕パティシエ小豆田⑤

玉砕パティシエ小豆田⑤

三.光射すフォレノワール

 退職願、というものを、初めて出した。

 最終出社は四月の初め頃で調整がついたけれど、有給が残っているため、籍は四月下旬頃まで今の会社にある状態だ。
余った有給を消費している最中に『FUKUSHI』に面接を受けに行った。面接してくれたのは柏森さんではなく、あずきださんだった。こういうのはお店で一番偉い人が行うものだと思っていたが、ここでは違うのだろうか。と思っていたら

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玉砕パティシエ小豆田⑥

玉砕パティシエ小豆田⑥

Mémoire 3

 小倉都さんとプライベートで会うようになって、どのくらいが過ぎただろうか。

 きっかけは、「小豆田さんのケーキがまた食べたいです」という彼女のリクエストだった。

 彼女からそう言われる頃には、彼女と店の外でも会いたいという気持ちが強くなっていた。しかし、あくまで僕達は従業員とパティシエ。従業員の僕からお客様を、プライベートな用事で呼び出すというのは、なかなか難しかった。

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玉砕パティシエ小豆田⑦

玉砕パティシエ小豆田⑦

四.君に贈るヨーグルトムースシトロン

 ケーキを食べたいがために自らパティシエとなった小豆田さんは、別に和菓子が嫌いというわけではないらしい。和菓子の方が馴染みもあるし、むしろ普段扱うのが洋菓子な分、和菓子が恋しくなる時があるのだとか。

 それ故、職場に持ち込むお菓子はほぼ和菓子だそうだ。箱買いしては従業員に配るのも珍しいことではないらしい。私も今日の終業後、和菓子といえば一番に名前が挙がる『

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玉砕パティシエ小豆田⑧

玉砕パティシエ小豆田⑧

Mémoire 4

 都と交際を始めて、『FUKUSHI』がオープンして、結婚して、気付いた。

 都は、食に無頓着なところがある。

 彼女はフリーのイラストレーターなので、家で仕事をしている。だから、好きな時間に好きな物を食べられる。

 なのに、仕事に没頭して、食事を摂るのを忘れる時がある。
 忙しい時は空腹に気付いても食べないことがしばしばあった。

 食に関心が無いわけでなく、料理をす

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玉砕パティシエ小豆田⑨

玉砕パティシエ小豆田⑨

五.カトルカールをまたいつか

『FUKUSHI』で働いていて一カ月が経とうとしている。が、それでもわからないことがある。

 柏森さんが、なぜ離婚したのか、だ。

 小豆田さんのように変た、ではなく、特殊な嗜好を持ち合わせているわけではなく、わらびさんのように情緒不安定な面があるわけではない。

 どちらかといえば、いたって普通なのである。

 真面目で、几帳面で、時に面倒見がいい。それは彼が作

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玉砕パティシエ小豆田⑩

玉砕パティシエ小豆田⑩

Mémoire 5

 柏森くんと朔乃さんと都と四人で食事でもという話になって、そこで朔乃さんと知り合った都は、すっかり彼女と仲良くなっていた。

 サバサバとした朔乃さんの性格は、都にとって居心地の良い同性なようだ。年齢も僕より朔乃さんの方が近いから、話が合う内容があるのかもしれない。

 僕と柏森くんを入れて四人で会う時もあったけれど、二人だけで会う日も増えている様子だった。

 その日は、柏

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玉砕パティシエ小豆田⑪

玉砕パティシエ小豆田⑪

六.モンブランに秘す

 五月も終わろうとしている頃、思っていたよりも早くに葛町さんから連絡が来た。定休日の昼に、わらびさんと三人で会い、食事に行った。

「『葛町さん』じゃなくて、朔乃とか朔ちゃんでいいよ」

 厭味無く彼女の方から距離を詰められて、私は嬉しさと緊張でドキドキしっぱなしだった。

 今年で四十歳だと言っていたが、とてもそうは見えないし、自分もこういう歳の取り方をしたいと思った。な

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玉砕パティシエ小豆田⑫

玉砕パティシエ小豆田⑫

Mémoire 6

「今日は千歳に報告がありまーす」

 浮かれているのか、緊張しているのか、微妙に上がった口角と、筋肉が固まった目元。都はそんな曖昧な表情で、僕の前に座った。

 そして、目の前に、モンブランを出された。

「……ん? 報告って?」

「こちらでよーくお考えください」

 そう言ってモンブランを指した。
 相変わらず、怒っているのか、喜んでいるのか、はたまた怖がっているとも取れ

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玉砕パティシエ小豆田⑬

玉砕パティシエ小豆田⑬

七.エクレールは君だから

 六月が終わると同時に、モンブランが店頭から消えた。

 秋の栗が美味しい季節に、また販売を再開するらしい。

 しかし、その消失はついこの間まで足繁く通っていた志村様が、完全にこの店を立ち去ってしまったかのようで、私は何とも言えない虚しさを感じていた。

 それと同時に、忘れていた痛みを思い出す。

 志村様にとっての特別は森下様で、奥様にとっての特別も森下様だった。

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玉砕パティシエ小豆田⑭

玉砕パティシエ小豆田⑭

Mémoire 7

 都が出産のために入院してから、こっそりと店の近くのジュエリーショップに通っている。

 婚約指輪の代わりになる物を、退院後にプレゼントしたいから。

 せっかく都が将来のことを考えてくれたのに、それを裏切るような行為は、不誠実かもしれないけれど。無理のない範囲でなら、納得してもらえるのではないかと思うから。

 彼女が入院して、こっそりアクセサリーボックスの中身を確認させて

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