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玉砕パティシエ小豆田⑫
Mémoire 6
「今日は千歳に報告がありまーす」
浮かれているのか、緊張しているのか、微妙に上がった口角と、筋肉が固まった目元。都はそんな曖昧な表情で、僕の前に座った。
そして、目の前に、モンブランを出された。
「……ん? 報告って?」
「こちらでよーくお考えください」
そう言ってモンブランを指した。
相変わらず、怒っているのか、喜んでいるのか、はたまた怖がっているとも取れる、微妙な表情だ。
「都が作ったの?」と問おうとして、やめた。
よく見ると、『FUKUSHI』で販売しているケーキだ。
厨房から売り場は窓ガラス越しに様子が見えるが、彼女が来ていたことに気付かなかった。柏森くんからも声を掛けられなかったから、彼も都が来たことに気付かなかったのだろう。
「……都の分は?」
「私は食べられません」
「前までモンブラン食べてたよね? 好きじゃなくなった?」
「じゃなくて、食べられないんです」
強調するように、食べられないと繰り返した。
アレルギーになった……?
ならそう言えばいいし、僕に対してこんな緊張感のある態度も、とる必要がない。
「千歳くんにヒント。これは、今の私の状態です」
「じ、状態……。栗……、クリーム……、メレンゲ……、絞り……、白い山……」
頭を抱えてモンブランを凝視して、何か閃くものはないか、思いつく限りのことを口に出す。都はクスクスと笑った。材料を言って作り方を暗唱し始めたところで、軌道修正するように、彼女は口を開いた。
「千歳、モンブランの中には何が入ってる?」
「クリームと、」
「クリームじゃなくて」
「栗?」
都は無言で頷いた。
また、あの、なんとも言えない表情に戻る。
「栗が入ったモンブラン……」
栗が入った都?
栗が入った……、いや、栗は何かの比喩か……?
都の中に、何か別のものが――。
脳内で、閃光が走った。
「……都、もしかして、赤ちゃん……」
彼女はまた曖昧な表情で頷いた。
「えっ、えっ? 本当に⁉ お腹触ってもいい⁉ 明日はお赤飯炊くね!」
そこまで言って、都はぽかんとしていることに気付いた。
ふと、柏森くんから聞いた言葉の数々を思い出す。
「ご、ごめん僕ばっかり舞い上がって……。何か不安に思ってることがあるなら言って? あんまり役に立たないかもしれないけど、調べ物なら僕だってできるし、しんどい時は家のこと丸投げしてもいいからね? もし、産むタイミングは今じゃない、って考えてるなら、それでもいいから……。だから、相談したいことは、言ってね……?」
何をしたところで、彼女がこれから味わう不安や痛みは、僕には一生わからない。悲しいほどに、理解できない。
だからせめて、その彼女を一番近くで支えたいと思う。
そう思うこと自体は、傲慢ではないと信じたい。
僕の行いが本当に彼女のためになるかどうかは、彼女が判断してくれたらいい。
「いや……、まさか、ここまで喜んでもらえるとは、思ってなかったから……」
放心気味に、都は言った。緊張から解放されて、少し疲れているようにも見えた。
「あの、ありがとう。こんなこと言ってもらえるとは思ってなかった……」
「それは柏森くんにお礼を言ってほしいかも」
「柏森くんに?」
「やっぱいいや。僕が言っとく」
僕が感謝すべき事柄だ。
愚直であることしか生きる術がない彼も、彼のおかげで救われた人がいると知れば、少しは救われるだろうか。
「ところで都、モンブランで報告するなんて、粋な方法だね」
「モンブランって、妊娠とか妊婦って意味があるって聞いたことがあったから」
それは……、別の隠語を誰かが間違えて覚えて、それをそのまま聞いたのではないだろうか。
「うーん、モンブランにそんな意味はないよ? でも、比喩としては面白いね」
その隠語を教えると、空気を壊してしまいそうだったから、意味ではなく比喩に対してだけ言葉を返した。
「あとね、千歳、まだ妊娠がわかっただけだから、お腹触ったところで何もわからないよ?」
「わからなくてもいいの」
そう伝えると、彼女は気恥ずかしそうに了承した。服の上から下腹部に触れた。衣服越しに、ほんのり体温を感じる。その温もりが、ひどく愛しかった。
「この子も離乳食離れたら、サンドイッチとフィナンシェ作って、公園でピクニックしたいな」
「気が早いよ」
「きっとすぐだよ。あ、スープも作ろうか。コーヒーの代わりに水筒に入れて」
「でも千歳のフィナンシェはコーヒーに合うんだよなぁ。あ、千歳が買ってくれた私の水筒にコーヒー淹れてよ」
「その手があったか」
出会った頃、都専用に買った水筒は、そのまま彼女の私物になっている。
「サンドイッチの具は何がいいかな」
「アボカド入れてほしいな」
「じゃあアボカドに合う具材と、あとこの子も食べやすいように、卵とかハムとか?」
「何種類作るの?」
「作れるだけ。せっかくだからパンから作ろうか」
「そんな体力あるの?」
「柏森くんを見習って鍛えようかな」
もう、と言って都は幸せそうに笑った。
少しの間待てば、ここに、もう一人分の笑顔がやってくる。
「…………」
「千歳どうしたの? 急に黙って」
「いや、ちょっと寂しくなって……」
「何で寂しくなるの?」
「都はこれからこの子が生まれるまでずっと一緒にいて、生まれてからも家でずっと一緒なのに、そこに僕だけいないことが多いのかと思うと寂しいというか……。いや、つわりとか辛いだろうし、子育ても大変だし、それを任せっきりにさせてしまうようになるのは非常に申し訳ないんだけど…………」
部屋の中がシンとした。
完全に失言だ。
「……私の指輪、千歳が仕事行ってる時、千歳が持っておく?」
「……はい?」
突飛な提案に、脳がついていかない。
そもそも何でそういうことになるのだろう。
「私は家で千歳が作ったご飯とかお菓子食べてるから、会えなくてもそれで少しは気が紛れるし」
「……本人と同じ家で暮らしてるんだから、できれば本人で心を満たして欲しかったな」
「それが難しいから代わりに、って言ってるでしょ」
指先で頬を突かれた。
愛情と、少しの怒りを感じた。
「画材持って行かれるのは困るし、作品持ち歩かれて柏森くんと朔ちゃん以外に身バレするの嫌だし」
「ペンネームで活動してる意味無くなっちゃうもんね」
「指輪だったら、まぁ、その、私と結婚してる証でもあるし? 千歳が私との繋がりを感じられるんじゃないかなー、って思っただけ」
「……都さん、なかなか良い考えですね」
さっそく試しに、ネックレスチェーンに都の指輪も通してみた。
サイズ違いの二つの指輪が並んでいる姿は、なかなか可愛らしい。
「良い感じだね! もう一つ小さい指輪があれば、三人一緒って感じでちょうどよかったかも? でも、仕方がないか」
「ベビーリング、この子に買う?」
都の口から聞き慣れない単語が飛び出た。
「ベビーリング?」
「生まれてくる赤ちゃんへの祝福として与える指輪のこと」
「都、ジュエリーに詳しいよね」
「若い頃に憧れて、いろいろ調べてた時期があるかね」
そういえば、婚約指輪は、要らないというより、今後を考えて諦めたのだった。
本当は、婚約指輪ではなくても、何か記念になるような物が、欲しいのではないだろうか。
なのに、自分の物ではない物を、嬉々として話す。
「誕生石の付いた18金のリング買って、その子が将来ジュエリー好きになったらサイズ直してもらったらいいんじゃない? 千歳みたいにネックレスにしてもいいし、お金に困った時は売ってもらってもいいし。あ、この子が生まれるまでは、千歳が私の指輪と一緒に持ってたらいいよ。そしたら寂しくないでしょ?」
「……」
「千歳? 聞いてる?」
「あぁ、うん、聞いてる」
「ねぇ、今度指輪買ったとこで相談してみようよ」
「『FUKUSHI』のすぐ近くのとこか」
開店当時から、すぐ近くにあるジュエリーショップ。彼女が店の外から展示してある品を眺めていたのは、その時から知っている。
あれは結婚指輪をどこの店で買うか悩んでいたわけではなく、彼女のジュエリーへの憧れからくる、純粋な興味だったのかもしれない。
「ねぇ、都は?」
「え?」
「都は婚約指輪の代わりの物とか、欲しい物ないの?」
彼女は目を逸らして悩むような仕草をして、
「私はいいよ」
曇りのない笑顔で言った。
そこに遠慮を隠しているのだと指摘するのは、できない雰囲気だった。
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