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玉砕パティシエ小豆田⑩
Mémoire 5
柏森くんと朔乃さんと都と四人で食事でもという話になって、そこで朔乃さんと知り合った都は、すっかり彼女と仲良くなっていた。
サバサバとした朔乃さんの性格は、都にとって居心地の良い同性なようだ。年齢も僕より朔乃さんの方が近いから、話が合う内容があるのかもしれない。
僕と柏森くんを入れて四人で会う時もあったけれど、二人だけで会う日も増えている様子だった。
その日は、柏森くんの自宅で、という話になっていた。優光くんは保育園に行っている時間だ。
手土産に都から好評のヨーグルトムースを持って行くと、パウンドケーキとコーヒーでもてなされた。
「あぁ、私の分はいいから」
サーバーから人数分のカップにコーヒーを淹れようとしていた柏森くんに、朔乃さんが言った。
「水にしとく」
そう言ってカップを一つ片付けて、グラスを取り出して水を注いで戻ってきた。
「……やっぱり、体調悪いのか?」
「全然。最近ちょっとカフェイン控えてるだけよ」
今日柏森くんの家で会うことになった理由は、最近朔乃さんの体調があまり良くなさそうだから、と柏森くんが気を遣ったからだ。
朔乃さん自身は元気だから予定通り会いたいと言っていたそうなので、場所だけ自宅に変更したというわけだ。
柏森くんが心配そうに朔乃さんを見つめる。
その視線から逃れるように、朔乃さんは「二人とも召し上がって。作ったの青葉だけど」と言って話題を変える。
激務のはずなのに、朔乃さんが疲れているような素振りは、僕は見たことがない。
初めて朔乃さんに会った時は、柏森くんが彼女と結婚したことに、妙に納得した。真面目でしっかり者の柏森くんなら、歳上で自立した朔乃さんを射止めてもおかしくない。
二人の出会いは、柏森くんが事故に遭って治療のために運ばれた病院で、と聞いたが、なぜ事故に遭ったのかは怖くて聞けていない。
事故に遭ったのに出勤しようとしていたらしい、と朔乃さんから聞いたからだ。その時はまだ僕とは出会っていないから、彼がホテルパティシエだった時のエピソードだ。
「ご無理なさらないでくださいね? 僕達、いつでも日を改めてまたお伺いさせていただきますから」
「小豆田君も気にしないで」
「……朔ちゃん、もしかしてにん」
「都ちゃーん!」
不自然に、朔乃さんは都の言葉を遮った。
「都ちゃんに見せたいものがあるから、ちょっと来てくれる?」
「え? うん?」
言われるがままに席を立ち、部屋を出ていった。リビングのドアも閉まっているのに、別の部屋のドアが閉まった音が、しっかりと聞こえてきた。
沈黙が訪れた。
「………………朔乃さんさぁ」
柏森くんが僕を見る。
バチリと視線が合う。
「もしかして、妊娠してるのかなぁ」
「…………いや、そんな話聞いてないぞ」
また妙な沈黙が訪れた。
その中で柏森くんと見つめ合っているというのも奇妙なのだが、変な緊張感から目を逸らせないでいる。
「……これから報告されるんじゃない?」
「…………それは、なくはないかもしれないな」
柏森くんが先に目を逸らす。
普段から感情のムラがなく、柔軟に対応できる冷静さがある彼の口角が、少し上がっているように見える。目元もどことなく緩んでいる。
いつも仕事に真摯に向き合う彼の眼差しが、緊張感が解ける瞬間が、確かにある。
嬉しいことがあってもわかりやすくハイテンションになる人ではないし、彼がそういう姿を見せるのは、大抵人の事だ。
僕と都が結婚した時も、誰よりも喜んでいたのが柏森くんだった。
「二人目だってわかったら教えてね! お赤飯炊いて行くから昼にでも食べてよ!」
「何でお前が浮かれてるんだ」
「このくらいは祝ったっていいだろ?」
「そんな時間があるなら都さんのために使え」
「じゃあ我が家でもお赤飯炊くよ」
「そうじゃない」
柏森くんは眉間に皺を寄せて、困ったように溜め息を吐いた。
「俺のことはいいから」
どうも彼は、自分のことで誰かに時間を使わせるのが、好きじゃない。
いや、というより――。
何かで自分を縛っているようにも見える。
彼の生真面目さからくるのか、単に自分が主役になることが照れ臭いだけなのか。それとも――。
それとも、事故に遭っても出勤しようとするような、自己虐待的な面がある所為なのか。
彼は本当に、「事故」に遭ったのか。真面目で「責任感が強い」から出勤しようとしていたのか。
例えば、他者からの故意による負傷で、その加害者を庇って事故だと言っているとか。その加害者に、大した負傷ではないと報せるために、出勤しようとしていたとか。
……こんなの、考えても無駄だ。
想像も妄想も、いくらでも広がる。
「じゃあ、朔乃さんと優光くんへのお祝いってことで」
再び、沈黙が訪れそうになった。
「それならいいだろう?」
考える時間を与えないように、言葉を重ねた。
彼は珍しく眉を弛緩させた。
口元が緩い弧を描いている。
「……あぁ。なら、頼む」
自分よりも過剰に相手を優先してしまう彼が、その分誰よりも朔乃さんと優光くんを想っていることは知っている。
このパウンドケーキを食べたらわかる。シンプルだからこそ、嫌というほどわかる。
愚かなくらいのまっすぐな想いが、よく伝わる。
僕は一生この味を超えられないだろう。『FUKUSHI』のパウンドケーキは彼のレシピを使わしてもらっているが、正しい判断だと思う。
「じゃあ一回目のお赤飯が報告された時で、二回目が生まれた時だね」
自分だけを置き去りにしてしまう彼が、いつか、自分自身にも、手を差し伸べて背中を押せるように。
間接的にでも、今から少しずつ。
僕から祝福させてくれ。
「お前人ン家に赤飯炊きすぎだろ」
控えめに笑うその顔を、いつか思いっきり破顔させてやりたい。
後日、一回目のお赤飯を炊いた。
けれど、二回目は来なかった。
やはりその理由は、詳しく聞けていない。
さらりとした声と表情で、何事も無かったように離婚したと告げてしまう人だ。
涙は愚か、辛い表情一つ見せない彼は、仕事と誰かの世話を焼くことで、痛みを忘れようとしているようにも見えた。
彼が己を戒めていないといけない理由は、今の僕にはわからない。
わかる日が来るのかもわからない。
僕は柏森くんに助けられても、僕は柏森くんを助けられないのかもしれない。
ならばその代わりに、なんて言うのは厚顔無恥かもしれないけれど。
けれど、彼の幸福の象徴は、これからも店で販売しよう。
もし僕が死んだら、この店を託すのは絶対に彼だから。
だから、その幸福だけは、いつまでも絶対に、色褪せないように。
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