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ゲイ・バイセクシャルと、古代ギリシャ・ローマ時代と現代作品からのちょっとした考察

最近、Netflixで『The PROM』という映画を観た。ゲイである女の子が大好きな彼女と、学校のイベントであるプロムで堂々とダンスを楽しむ為に奮闘する物語。応援団として、メリル・ストリープやジェームズ・コーデン、ニコール・キッドマン演じる人たちが登場し、ミュージカル形式で物語が進んでいく。 観ていて楽しいし、辛い場面もあるけど、心がじんとなる。

昨日急に聴きたくなって、運転しながら口ずさんでいたのは、ブロードウェイで演じられたのがビデオになったのをみた『RENT』の曲だ。劇中『Seasons of Love』は有名な曲だが、1年という時間をはかるのに、「愛というのはどうだろう?」というその歌詞は、その意味を噛み締めながら歌うと、何度も感動して胸が詰まってしまう。この物語も同性愛を扱っている。

最近読もうかなぁ、と思って少しだけページを繰ってみた小説は、村上春樹の『スプートニクの恋人』だ。それってどんな恋人だろうと思ったら、早速冒頭でそのことを説明している。主人公のすみれという女性がそう呼ぶのは、彼女が電撃的に恋をした年上の女性らしい。

しかしながら、最近わたしが一番ハマっているのは、古代ギリシャ・ローマ時代。美術館で絵を観たりするのが好きなので、最近自宅で時間があるのをよいことに、教科書で美術史を勉強しようと思ったら、やはり少し詳しく時代背景を知りたくなり、図書館でちょっとした歴史の本を借りてみている。
映画や小説もそうだが、歴史ももちろん人々の物語。最近はあちこち身体が移動できる時期ではないけれど、歴史となるとタイムスリップもでき、人間のあれこれがみれて大変面白い。

ちなみに古代ギリシャ時代の同性愛は当たり前。男尊女卑傾向にあるため、むしろ男性同士の恋愛が対等の権利として扱われているのではないか、とわたしの借りた本には書いてあった。(『古代ギリシャのリアル』藤村シシン著 実業之日本社 2015)
なので古代ギリシャの人々が信仰していたギリシャ神話に出てくる神の面々も、バイセクシャルが当たり前。

ローマ時代にも、美術解説の本に≪ハドリアヌス帝の庭≫という避暑地別荘の建物の写真が載っているが、10代の美少年と愛を語り合う為だけに創られた、というロマンチックな解説がついている。
この後、200年くらい経ってからがキリスト教の時代。

歴史を勉強してみるとわかるのは、その時々の権力者がその時々の神や宗教を利用して色々行っていることだが、神話だけをみてもギリシャとローマの神はごっちゃごっちゃになっているし、そこにエジプトの神やアジアの神もはいってくる。それが一神教のキリスト教に取って代わったところで、歴代の私利私欲のある多くの人間たちが権力の座につき、これは都合が悪いからやめて、これをこうして、とか後づけでどんどん変わっていくのは、むしろ自然なことなんだろう。(所詮、神でなくただの人間のすることだ。)敬虔なキリスト教徒が結婚しちゃいけないとか、同性愛は云々とか言い出したのはいつからなのか知らないが、とにかくそういうことなのだ。

LGBT(正確にはもっと色々な性的指向・自認があるけれど)の人たちを非生産的、というような言い方をした日本の国会議員がいたと思うけれど、人間には幸福を追求する権利がある。幸せを感じていて物事に対して意欲があるときと、精神的に不安や不満を感じているとき、例えば仕事においては、どちらが効率的に生産ができるのだろう。
経済的な理由も一因となって男女のカップルが子供をつくらないという現実もあるなか、同性愛者のカップルが結婚をして、子供を育てていたらどうだろう。
わたしはその人たちが幸せであれば、それに対してごちゃごちゃいう人のほうが面倒くさいと思う。
(ところで、人のお金でステーキを食べている間になにを話し合っているのかなぁ。)

今も昔も、人間ってあんまり変わっていないのだなぁ、と思う。何か少しずつましになってるといいなぁ。わたし自身が、旅をする過程で少しずつ心を解放していけたら素晴らしい。
Forgiveness is the key to happiness.

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