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「変化してもいい」ピカソの作品から学んだこと。

先週の金曜日からずっと、私の頭はピカソでいっぱいでした。

一昨日やっとnoteに、国立西洋美術館の「ピカソ展」へ行った記事を更新できましたが、まとめるのにかなり時間を要してしまったし、結局出来上がりは拙いものとなりました。

しかし、それは仕方のなことだと開き直ってみます。笑

今まで美術に浅く触れてきた人間が、ちょっとした興味で真っ向から、ピカソという世界中に多大なる影響を及ぼす大芸術家の作品に対面。刺激が強すぎて頭がいっぱいになるのも当然のことなのかもしれませんね。


記事を書くことによって自分が思ったことを少し整理することができましたが、なんだかまだ言いたいことがあるのにそれを言語化できず、昨日から不完全燃焼な気持ちでした。胸の奥に何かもやもやしたものが漂う感じ。

その一端を探しに、よそ様のnoteやブログを彷徨っていたところ、
とても素敵なエッセイの記事を発見し、「あ、これだ!」と、探していたものが見つかった時の爽快感を強く感じたので、大変恐縮ですがここに貼らせていただこうと思います。

この記事で触れられていたピカソの言葉。

「人間の科学」「ドキュメンテーション」

私はピカソの多彩な表現の数々から、流動的で移り行く「自分の変化そのもの」を作品にしている印象を受けていたので、ああ、やっぱりそうだったんだとすごく腑に落ち、またその人間性にも改めて魅力を感じました。



時々noteを書いていると「こんな何もない自分に書く意味なんてあるのか?」と疑念が過ぎりますが、ピカソのように「自己の変化を残す意識」で表現するのも、ひとつの原動力になるかもしれないと思いました。(それが世間の価値と結びつくかどうかは別問題として。笑)

noteには本当にたくさんのすごい人がいて、
文章表現の豊かさ、高い技術力による創造性、深い知識、面白い着眼点、自分には無いものがたくさんキラキラ輝き、「すごいなぁ」と思う毎日です。

しかし、特別な物が何もないこんな自分もわずかながらに変化している。その小っちゃな成長を「一つの人間の記録」として残してみてもいいんじゃないかと、背を押されたような気持ちになりました。


今回の美術館の記事も、
何も知らない素人が美術の記事を書いていいのかな?と結構悩みましたが、
「初心者から見た視点」という記事が一つくらいあってもいいのかも、と少し開き直った気持ちで挑戦。

結果、言語化することでより考えが深まり(疑問なども一緒に深まりましたが笑)思い切って書いてみて良かったな、とnoteに対しても一歩前進できたような気がします。


「始めるのに遅すぎることはない」なんて言葉がありますが、
確かに「ピカソを知るのは29歳でもいいじゃないか」と、今回少し自信を持って言える、そんな体験だったので、
これからも小さな興味の発露は見逃さず、どんどん足を使って体験しに行く姿勢でいたいと思います。


最後に、素晴らしいエッセイの記事から大きな気づきを与えて下さったSosyu Kikuchiさんに感謝の気持ちを念じ、今日はこの辺で終わりたいと思います。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。


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