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息を引きとる。〜母と私の365日⑥〜

1月8日。私は自分の家に帰ってた。
18時頃、父から電話が入り、状況報告。
「お母さん、ほら、娘だぞ。」
「お母さん、ご飯食べてねー。お薬も飲むのよー」
「はーい。ありがとうーー」

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1月9日。
その日は、仕事始めだった。
午前中、体操教室をやっていた時、
父から電話が入った。

「先生が話したいそうだ」

「娘さんですか?お母さん、呼吸も苦しそうで、腹水でお腹も張って痛みもあるみたいなんですね。でも、血圧も低くて、腹水を抜くのは現実的じゃないんです。それで、少し楽になるお薬を処方しようと思ってます。、、、、」

先生は、きっと、そのお薬を始めたら、もうお話しすることはできなくなる事を伝えたかったんだと思う。
でも、私は、先生のその言葉を遮って、
「私は、もう覚悟してますので、母が苦しくない様に、先生よろしくお願いします。私は、大丈夫です。」
そう、伝えた。

覚悟ってなんだ?
私に、なんの覚悟があったのか、今でも思い出せない。わからない。

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午後1時半、自宅到着。

母は、眠っていた。

う〜ん、う〜ん。

お薬はまだしてないそう。
14時半、兄、到着。

16時、お薬到着。
なんかタイマー式の機械で、持続的に薬が体に流れるようにするらしい。

16時半、声をかけても反応がない。
バイタルは落ち着いていた、、気がする。
苦しそうだったのか。
私に、その時間の記憶がない。

その後、先生がやってきて、
ちょっと楽になるお薬をしましょうと行って、
針を刺して、ボタンを押すと、そこにお薬が流れる様にしてくれた。

10分くらいして、母がちょっと眠った感じになった。

ずっと左下にして寝てるから、ちょっと仰向けにしようかと
体を動かしかけた時、母の呼吸が明らかにおかしくなった。

あぁ、そういう事なのね。

お母さん、お母さん。
ありがとうお母さん。
ありがとう。

母は、家族に見守られながら、
息を引き取った。

(あぁ、人って本当に息を引いて終わるんだな。生まれる時と逆なのね。)

「母の息が止まりました。」

訪問診療に電話をした。

「まだ、お耳はきこていますから、声かけたりしてあげてください。すぐに先生に向かってもらいますね。」

(あぁ、なんて優しいんだろう。)

その後、先生がすぐに来て、臨終を告げた。

「午後18時、ご臨終です。
お母様、本当によく頑張りましたね。」

なんかよく聞くような、ありふれた言葉だけど、嬉しくて、
先生も、看護師さんも、うっすらと涙を浮かべてて、
私たち家族に、母のそばでこうして最期を
見守らせてくれて、本当に、本当にありがたかった。

本当に、たくさんの人に感謝。感謝。
母のそばにずっといてくれた父に感謝。
なんだかよくわからないけど、兄にも感謝。

そして、お母さんに、最大の感謝を。

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現代の日本で、在宅看取りはまだまだ1〜2割。
在宅が全てではないし、病院や施設で最期を迎えることだって
悪いことなんかじゃない。

だけど、本人が望み、そして、面会制限が当たり前になっている昨今。

家族の温かさの中で、死を迎えられることは、
死という恐怖と向き合う上で、心強い支えになると思う。

死ぬことは怖い。

でも人は必ず死ぬ。

そして不治の病と言われれば、尚のこと死と向き合わなければならない。

病状が進む中で、その恐怖と対峙することは、
本当に不安で、怖くて、心細いことだろう。

母のそういう思いを少しでも軽くすることができたなら嬉しいのに
と今は思う。

その人その人の環境諸々あると思うけど、
私は、在宅看取りを選んで、本当に良かったと思う。

在宅看護、在宅介護のハードルは沢山あるけれど、
それをサポートしてくれるサービスがあることも確かだ。

自分たちの理想を、受け止めて、行動してくれる人たちがいる。

この日本の福祉サービスは素晴らしい。

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そういえば、お母さんとの最期の会話
「ありがとう」だったな。

私はずっと忘れない。
母に感謝された事を、誇りに思って生きていくよ。

ありがとう。

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