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「書く」ことと大学院生活1年を振り返って

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過去note見てたら本当に恥ずかしくなるくらい若くて若くて苦すぎて胸が恥ずかしさのあまり苦しくなるんだけど、「書く」ことによってあの時の自分の感情や出来事を残すことが出来るから大切。
ただ、今も然り当時は目先のことやなんでも出来る!って酔ってる自分もいて見るに見兼ねない酷い有様なってる…。気がしなくもない。

「書くこと」による対話

「書くこと」が苦手な自分は自分の気持ちを文章に表すのが非常に苦手。
誤字脱字も多いし支離滅裂だしとにかく書くことを避けてきた…。

避けてきたというか向き合ってなかっただけか。
自分の感情を文字にのせるのって凄く難しい。

それでいて読者に向けて伝わりやすい文章で書かないといけないし、どんなものでも読み手が必ずいることを想定して書かないといけない。
自分との対話でもあり読者との対話でもあり過去のと自分との対話でもあり。
修論書いてて非常に感じる、自分の言葉で「書く」という大きな壁。

「書く」ことは対話でもあり、記録でもあり。

自分の日常で使用している言葉を振り返ってみると、時々自分でも迷走するくらいよく分からない言葉使ってる気がする。
多分みんななんとなくカナが言いたいことってこういうのとやんな〜って受け取ってくれて今まで生きてきたんだろうけど、「書く」となればその流されてきた部分と向き合わないといけないのよね。
それって本当に楽しさもあるけど難しい。

学期が一段落して、レポートを終えて思うことはもっともっと自分と向き合うためにも自分の言葉で「書く」ことに向き合いたいなぁと。
このnoteもそうだし、書いていたら自分の頭も整理できるしね。

「言葉の力」

今回は「書く」ことが対話だ〜っと述べたけれど、自分の言葉を会話の中で表現することも対話だと思うの、の。
こうやってごまかすの良くない悪い癖。

言葉の力って偉大よほんと。
武器にもなるし盾にもなるし。
「書く」時はある程度時間もとって熟考する時間を与えることが出来るけれど、「話す」となれば瞬間で自分の想いを言葉で表現しないといけない。
大変な作業やでこれまた。
ひとつ間違えれば怖い武器よ。

あまり本当の意味でのコミュニケーションをとるのが得意じゃなく、愛想で誤魔化してきた自分だけど結局は自分の発言によって言葉によって必死に愛想や仮面で覆ってる殻みたいなのを剥がされるのが怖いのかなって思う。
薄っぺらい人間って気づかれるのが怖い、みたいな。
これを今日言葉で表現出来た自分の背中をポンポンしたい。

なんか最近上っ面だけの殻作りまくってる気がする。頑丈になりすぎて剥がすの大変そう。

今年の春は沢山自分と自分の持っている言葉を信じて前を向こうと思う。
薄っぺらい人間って思われるのが怖い反面、そんな他人の評価気にしてたって(気にせなあかんやろうけど)何も出来へんなるだけやから、受け取るところは受け取って失敗は自分を強くしてくれることを信じて背筋伸ばしたい。
人を傷つけんようにだけ!!!!
今年の目標。

大学院生活1年を振り返って


自分の新しい一面と素敵な出会いにも恵まれた1年だった。

憧れていた「理想」の大学院生活に踏み出せなかったのは自分の行動力然り、あまり研究に専念できなかったからかな。

夜遅くまで研究したり同期と色んな話したり、深夜に「お腹すいたね」ってカップラーメン食べたり、そんな生活予想してたんだけど思っていた以上に孤独で、日本語よりも分からない多言語聞くことが多くてナーバスなったり、 「理想」としてた大学院生活を実現できないって悟ったのに悲しくなってた前期。

色んな人がいるよね。
人間だものあいだみつをってセリフ何度繰り返したことか(笑)

「研究」が入院の第1目的ではなかったけれど、それでもしたい研究が出来て楽しい!反面、オフィスで深夜1人画面と向き合ってるのに寂しかった…。今も普通に寂しい。

カップラーメン仲間募集してる。

ただ、入院前に思い描いていた「理想」ではなかったけれど大学院で素敵な先生方に出逢えた1年だった。
それに気づけたのも成長じゃないかな。
特にこの1年は大学生活における自分的ビッグイベントが2回も。

1つめは、勉強してきた英語と大好きな映画が繋がって世界な広がったドイツ人の教授とのお話。
「言語って面白いよね!」
「言語が異なると表現の仕方が変わったり、表現出来ない言葉があったり難しいよね!」
「でもその違いに気がつけば、世界が広がるよね!」
って言語の壁を越えてお話出来たのは一生忘れないだろな。

まさか「Carpe Diem」なんてラテン語を別れ際に言い合える人(教授)と出逢えるなんて幸せだな。
映画に出会えて良かったし、英語を勉強していて良かったし何よりこの先生と出逢えて本当に良かった。
また世界が広がったんだよ〜〜。

2つめは、教育学の授業で破天荒な先生と出逢えたこと。
あんま言いたくないけど、レポート出すだけ出してフィードバックなしに成績評価、はい今季終わり。みたいな授業が多い。

先生方も忙しいから仕方ないんだろうけど、点数で評価するならば「仕方ない」んだったらレポートださんかったらええやんって。
学びって授業受けて終わりじゃなくて、そこからフィードバックを得て自分をふりかえってこれからの自分の生き方や人生、学びをブラッシュアップして次の学びな繋げるものだと思う。

「何のための大学?」
「何のための必修?」
「何のためのレポート?成績評価?」

っていう疑問が多くて、先生方にフィードバックくださいって送っても忙しい、無理って返事がかえってくると授業料払ってまで授業とってる自分と大学院に行かせてくれた親に申し訳ないやるせない気持ちになった。

まあ自分の積極性も問題なんだろうけどね。

そんなことを考えながら受けた授業の中に24年間生きてきて出会ったことの無い破天荒な先生に出会った。
この授業と先生に出会えてよかった。
こう思えることだけで、大学院に進学して良かったなって思う。

大学も教育機関よな。
その授業の成績つけて終わりじゃなくて、そこからの学生の学びまで考えてフィードバックくれる先生なかなかいない。
それが本来あるべき姿だと思うけどまあ色々システム上の問題もあるんだろうが。

成績に対する的確な明示による信頼感が教師、その授業への信頼感へと繋がるし、何より卒論の添削か!思うくらい丁寧に私の今学期の「学び」をフィードバックくれたのは人生で初めてだった。
深夜に書き書きしてることもありちょっと感傷的になっちまった。

学部の時に気づかなかった「いいな」が沢山見つかったこの1年。
今の自分の「理想」の大学院生活送ってる。

気づけたことが今年の1番の成長かな。

なんかまた中途半端な文章で終わりそうになってるけど眠たいからここまで。

今年の1年も最高の一年にする。
おやすみなさい。

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