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伝統文化を継ぐということ

伝統文化の継承。それに異論を唱える人はあまりいないと思いますが、「伝統とは何か?」と問われると答えに困ります。そこで、どこかに定義されていないかと少し調べてみました。

例えば、1994年に採択された国際宣言「奈良文書」では、ある文化遺産の真正性(Authenticity)は、固有の文化に根ざして考慮されるべきとの見解が示されていて、世界の文化の多様性が讃えられています。

我々の世界の文化と遺産の多様性は、すべての人類にとってかけがえのない精神的および知的豊かさの源泉である。我々の世界の文化と遺産の多様性を保護しおよび向上させることは、人類の発展の重要な側面として積極的に促進されるべきである。

文化遺産の多様性は、時間と空間の中に存在しており、異なる文化ならびにそれらの信仰体系のすべての側面を尊重することを要求する。

すべての文化と社会は、それぞれの遺産を構成する有形また無形の表現の固有の形式と手法に根ざしており、それらは尊重されなければならない。

文化財がもつ価値についてのすべての評価は、関係する情報源の信頼性と同様に、文化ごとに、また同じ文化 の中でさえ異なる可能性がある。

価値とオーセンティシティの評価の基礎を、固定された評価基準の枠内に置くことは、このように不可能である。逆に、すべての文化を尊 重することは、遺産が、それが帰属する文化の文脈の中で考慮され評価しなければならないことを要求する。

世界文化遺産の評価基準に関する国際宣言なので文章が難解ですが、「ある文化遺産が本物(真正)かどうかは、原型を留めているかどうか、という事よりも、その土地の風土や歴史を考慮した上で、その遺産が属する文化圏の価値基準によって評価されるべき。」という事でしょう。この「文化の真正性」を僕は「伝統」と理解しました。

これは恐らく、西洋の「石の文化」に比べて耐久性に劣る、「木の文化」を持つ日本ならではの考え方だと思いますし、それが国際的な価値評価基準として認められたという事にとても意味があるのではないかとも思います。これにより、アフリカなど「土の文化圏」の文化遺産も世界文化遺産として登録されやすくなったそうです。

本来、文化というものは、長い年月を経て「伝統」として固定化され得るものではなく、その土地の人々が精一杯豊かに生きるために工夫をしてきた証であり、現在進行形のものではないでしょうか。

「誇りの喪失」が地域の活力が衰退していくひとつの要因だとも言われていますが、僕は里山の民の誇りは単なる愛郷心ではなく、「何世代にも渡り必要なものは自分たちの知恵と技で自然から生み出してきた」という自分たちの生活文化に対する自負心だろうと考えています。

現存する里山の文化も、今を生きる僕たちが常に新たな解釈をし直し、どう価値を見出していけるか、つくり変えていけるかどうかが大切で、それが本当の意味で「伝統」を継ぐということではないかと思います。

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高知の里山で山仕事をする傍ら、Kamino Wallet というブランドで、シンプルな紙の道具を製作しています。興味のある方は、こちらも併せてご覧いただければ嬉しいです。


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