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〈お金を稼ぐ〉ことへのブロックを外すには? (自分の場合の話ですが・・・)

 



昨日は思いがけず、充実した1日になった。

暑すぎてガレージハウスに暮らすおっさんには、自室での仕事はいたまれない。

隣町のサテライトオフィスに行って執筆作業するか、○○市内(つまり街中)に用足しがてらおーきな本屋にいくか?(冷房の効いた・・・)

選択を迫られたおっさんだったが、久々に上宮氏のチャネリング情報、「統治者の伝言 第31号」〜戦い飽きるという事と、地球人の勝利〜 を購入して読んだり、いろいろしてるうちにドライブしたくなり、市内(街中へ)

車中では、上宮氏のチャネリング情報の読み上げテキストを聴いたり、昔々のラルクを聴いたり・・・
聴きながら「だんだんヤバい時代に入ってきたなー」と痛感したりして・・・

街なかに到着して、大学前のトマトラーメンを冷房の効いた部屋で食べる。


チーズ山盛り、濃厚トマトスープ

「やはり、街中に来てよかったな」と思ったのは・・・
街は若者が多い。この大学前のラーメン店もバイトくんたちは多分○大生。

 自分が暮らすド田舎は、ジジババか自分のような中高年、もしくは子供ばかりで20代の若者とかほとんど見かけない。

 それがどーした? と思うかもしれないが、人間の想念や思考もエネルギーなので、環境に充満しているわけである。

 ジジババのババの枯れた想念と言うか、保守的で因習に支配され、世間体に自分を合わせて自分を殺すことを常識とする息苦しい思念が充満するくそど田舎は、いるだけで窒息感しか無い。← 言い過ぎだよ、ケンゾーくん。

 ・・・・なので、まちのオサレなラーメン屋の冷房の効いた環境で、ノートを開いて、生活の諸々と関連させながら、今後の作品制作、販売計画、お金のやりくり計画、そして上宮氏のチャネリング情報ガイドブック構想の内容を10項目ぐらいに分けて、ガイドブック書籍作成の企画を練ったりした。その他、懸念の重要メールの下書きまでサラッと片付けて、意識の重圧が軽くなった。

 ラーメン食べて、10分か15分でそれだけの仕事の大半をして残りは車中でやった。

 街中すごい・・・実感した。いや、想念エネルギーすごい。つか、人間の想念が環境に与えている力ってすごい・・・・

 と、改めて自分が田舎が嫌いで街が好きな理由を実感し、認識した。


カラスがよ・・・


一応、自分は個人事業主である。Kindleで3冊ばかり本を出している。巷の本屋に並ぶカタカムナ本に、宇野多美恵が伝えようとしたカタカムナが全く反映されていないので、本当のカタカムナを世の中に伝えたいと思い、意気込んで出したが、全く売れていない。

それで、マーケティングを勉強しないとダメだな、と思い、今、マーケティングを勉強しているが、基本原則は「必要としている人に、必要としているものを必要なタイミングで届ける」ことだそうだ。

そりゃそうだよね。理想はね。でもね、現実に情報商材コンテンツ売ってるみなさんは、「いくらいくら稼いだ」とか「あんたにも稼げます」とかメリットを訴えて需要を喚起して「売る」人が大半だよね。中にはハイエナのような人たちもわんさといる。・・・LINEってそういう合法スレスレ詐欺のハイエナたちの餌場になっているとこあるよね?

もちろん、全部が全部では無いのはわかっているけど、どうだろ?半数以上はグレーゾーンで、まともなのは1割以下という印象なんだけど?

だから、自分は電子書籍以外にコンテンツ(講座とかの)やるとしてもLINEリストは基本、作らずにやるつもり。万一、顧客リスト必要ならせいぜいメルマガかなんかで済ませたい。っていうか、宣伝したくないのが本音だ。

自分が購読者の立場なら、LINE登録呼びかける業者にまず、疑う・・・からだ。「稼ごう」系も自己啓発系もスピリチュアルも嫌いだ。投資話と同じで詐欺系が多いと思っているから。(LINE登録自体を否定しているわけではなりません。まともな人たちが大半なのも知っている・・・けど、一部の騙し系が警戒心を高めて、全体のイメージを下げているのも事実。活用するならその辺り認識して置かないといけないのかも、と言う話)


描いてみたらイナズマンみたいに・・・

商品か作品か?

マーケティングを勉強していて、自分の場合、大変困ったことに、カタカムナについて〈商品〉として売る、ということにかなりのブロックがあること。(これは、師匠の宇野に仕込まれたところもある。宇野は、その頃から、カタカムナを利用して金儲けする奴が大嫌いで、訴えまで起こしている)
もちろん、カタカムナの本質を理解し、それを真に求めている人に伝達することは歓迎されているのだが、これがなかなかうまくいかず、私の人生ぐーらぐら、である。

西野亮廣のマーケティング理論の革新性に自分が打たれたのは、西野の理論は、まさしく、作家向けの、作品制作者向けのマーケティング理論だったからだ。

一方、一般のマーケティング理論は、どう転んでも〈商品〉マーケである。



では、商品と作品の違いは?

 西野は言う。
「商品は、消費者のニーズによって作り出されるが、作品は、作者が〈作りたいから作っている〉(西野は違う表現だったが、ごめん)」

この「作りたいから作る」と言うのは、内発的衝動であり、人間の探究心、根源的なものへと遡及していく原動力、人間の本質とは何か? と考える好奇心・・・などであり、〈生活必需品〉ではない。

西野は、「商品」は生活必需品(生きていくのに必要なもの)と言い、「作品」は、生きていくのになくてはならないものではない、と位置付ける。

これに対してはもちろん私は異論がある。

カタカムナの世界観も、上宮氏のチャネリング情報も、明らかに私とっては生き抜くために必要な情報、世界観だったからだ。

宇野は、「ウタ」の語源を「真情の吐露」と訳した。カタカムナウタヒとは、宇宙構造や原子、素粒子よりも深いレベルの潜象を体感したカタカムナ人がその世界観を吐露したものである、と。

(つまり、このnoteで、〈真情を吐露する〉表現者は、作品の前身となるものを模索中と言えるので、作家予備軍であることを自覚して欲しい)

そしてそのヒビキを(カタカムナの思想を通して)体感しなくては、意味がない。頭の先で理解したつもりになってカタカムナを使い回すなよ、お前ら・・・(とは言いませんでしたが、勢いとしては・・・そう言う気迫がありましたなー・・・←おっさんの回想)

まぁ、自分が売っていきたいのは、どう転んでも「作品」である。読者が求めているものを計算して売れそうな商品を作り上げていく才能は自分にはない。

なので、西野の理論を知った時、結構、救われた。
情報が人の命を救ったりもするのである。侮れない。

(そしてこの世の大半を占めるイカサマ情報発信者たちは、情報で人の命を奪っている自覚がない。しかし、自覚がない人間に文句を言っても仕方ないので、犠牲者を減らす、予防線を張るしかない)

ちょっとイキってしまったかな・・・

昨日が充実した日、と言えたのは、事業計画の大要を纏められたのに加え、自分が設置すべきブランドコンセプトの転換ができたこと、そしてターゲットユーザー(読者対象)が明確化したことだ。


目が覚めたら周りはみんな宇宙人だった


最近、突然、吾妻ひでおが気になり出し、今、本を3冊ぐらい注文して取り寄せている。

吾妻ひでおは、美少女マンガ? コミケ文化? オタク文化の先駆者と評価されているらしいが、晩年は、中島らもと同じくアル中になり破滅型人生を辿ってしまった天才である。(逃亡日記、不条理日記などで若い人にも知られるようになった?)

社会的に才能を認められ、成功したように見えても、社会適応できずに転落してしまう才人もいるのだ。そのくらい、この社会、世界の世界の負荷というのは厳しいものである。(80年代は特に厳しかっただろう)

なので、これを読んでいる人の中に「死にたい」願望がどうしても首をもたげてしまうという人、大丈夫です。まともです。正常さの証です。
ただ、現状を乗り越えていく世界観をあなたがまだ知らないだけです。

マーケティングを勉強する受講生とちょっと交流し始めて、わかったこと

〈カタカムナ〉は、宇野や自分が伝達しようとしているものとは、全く別の層(スピリチュアル好きとか、オカルト、不思議大好き、古代ロマン、現世ご利益等々)として求められている(ニーズがある)ということだ。

これでは、『自分が提示するカタカムナ』は、提供ユーザーの期待を裏切ることになる。(このことが売れてない今の時点で明確化できてよかった)

なので、〈カタカムナ〉を前面(フロント)に出すのは「やめたほうがいいな」と認識した。(今使っている表題も下げる予定)

では、どのようなブランディングイメージが適切か? 自分の発信したい情報、思想をアイコン化できるのはどういうコンセプトか?

そこで、思いついたのが、吾妻ひでおが描いた〈不条理世界〉のテイストである。


社会適応できない苦しみ→生きづらい→なんで自分はこの世界に異和感感じまくりなの? ・・・・この先にあるのは、タイプによるが自虐や怒りである。 怒りへ走る人は陰謀論系に行ったりするが、そっちへいく人には用がない。

適応障害を起こしている人は、大体「死にたい」と思ってしまう(自分も、上宮氏のチャネリングの統治者の世界観を理解するまではよくそう思っていた。吾妻ひでおが、逃亡→アルコールに走ったのもこの希死念慮である。・・・自分的に言えば、この理不尽な世界に〈希死念慮〉を自覚する方がまともな人間である)

そうだ、このタイプの人が前向きに生きれる世界観を提示しよう・・・

昨夜、遅く、最近、急に増えたフォロワーさんなどを覗いて見たりしているうちに、noteユーザーには「死にたい」と痛感しているている若い人(20代〜30代)がものすごく多いのに気付かされた。

 もともと、自分は宗教、スピリチュアル、自己啓発系が嫌いである。しかし、ジャンル的には、〈スピリチュアル、自己啓発〉にならざる得ない。それがジレンマだった。

 〈スピリチュアル、自己啓発〉を自分の属性にしては、自分が届けたい層に届かない・・・というジレンマ(しかし、インスタではこの自分の帰属ジャンル特性を明確にする必要がある)

まとめるとこうなる。

 今後、採用していく自分のブランディングイメージ→ 〈不条理ワールド〉っぽいマンガ的な、シュールなコンセプト (このコンセプトでインスタで発信したらアルゴリズムがどう動くか?これまで通り無視される可能性も高いが・・・実験してみる価値はあるかもしれない・・・どう転んでも、インスタでは未だにフォロワーゼロの超底辺なので、これ以上、転落しようもない(爆) フォロワーゼロと言うのは、インスタ市場における〈自分への評価〉なので、リサーチデータとして有益な情報である。

なので、今後は、不条理マンガを描く人、というコンセプトイメージをフロントに活動してみようかな、と。


よしだー、スパナ持ってこい

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