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(続)私の父は戦争に行った・軍歴を取り寄せてみた

 前回の記事を書いてから父の軍歴を取り寄せたいと思っていた。

 それにはまず、戦争に行った人との関係を証明する戸籍が必要との事。基本的には、三親等以内の親族しか申請出来ないそうだ。

そして、申請書類の準備をした。
ウチの場合は父が亡くなっていて、私は結婚して苗字が変わっているから、親子関係を証明するのに除籍謄本が必要だった。
更に私の戸籍謄本と住民票、私のパスポートと運転免許証のコピーを揃えて送った。

一つは、厚生労働省。
もう一つは、父の本籍地の奈良県庁だ。
9月頃に請求したら、10月に奈良県庁から軍歴が送付されてきた。

こんな感じでA4で3枚びっしり。
きっちりと記録されている陸軍の仕事にまずは驚いた。

これによると父は昭和16年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、徴兵検査に合格している。
翌年の1月に陸軍二等兵(最下位の兵士)として、広島県の宇品港から船で出発し、韓国の釜山に着いている。
そこからは陸路で交通手段は分からないが、最終目的地である中国の山西省太原(たいげん)に到着した。そこに大きな基地があったようだ。

そして、4年間の間に頻繁に人事異動があった事が分かった。研修教育、〇〇作戦参加など物理的に移動もしている。

そしてコレが、今月厚労省から送られてきた留守名簿のコピーだ。
留守名簿とは、兵士の日本の実家の連絡先一覧である。この裏に父の名前と実家の住所と家長の父(私の祖父)の名前が書いてあった。
兵士が亡くなった場合の連絡先のようだ。GHQのスタンプが押されてナンバーがふられている。検閲されたのだろう。

更に、父は途中で自動車部隊から航空地区司令部に転属している。私はこの件については全く聞かされていなかったので、驚いた。

父はこの部隊で終戦を迎えている。しかし、記録によると父が帰国(復員)したのは、翌年の3月18日だ。その日に長崎県の佐世保港に着いている。実に終戦から7ヶ月も経っている。

最初から自動車部隊に配属だったようで、父から聞いた話と違う。父から聞いた話は、一体どの部分に当たるのだろう?それとも、あの話は、航空司令部に異動になった所以だったのかな?

分からない事が多すぎる上に、父のことなので胸がつまり、なかなか読み進められない。

でも、理解する為にネットや本で調べて、少し分かってきたことがある。

①タイミングと場所について

戦争の前半で徴兵された人は、北の方、つまり中国戦線に派兵されたこと。戦争後半は兵士が足りず、より広い年齢層の男性も駆り出され、厳しい戦場であった南方(ミャンマーやフィリピンなど)になったこと。

②学歴

当時の東大、京大卒の人は優遇されていたようだ。だから、父のようなケースは珍しくなかっらしい。父の話のドラマチックさが、半減してしまった。でも、当時の上官の方には本当に深謝しております。

③本籍地ごとに部隊が作られたらしいこと

父は当時東京に住んでいたが、幼少時から高校卒業まで過ごし、実家があるのは兵庫県の姫路だ。しかし、本籍地は先祖代々が住んでいた奈良県大和郡山市になっている。だから、父は奈良県の人々と共に中国に向かった。知らない人ばかりで、さぞや心細かっただろう。


そして現状は、これらが複雑に絡み合っていたようだ。
東大卒の人でも、召集が来た時期が遅かった人(30代とか)は、ずっと二等兵だったそうだ。
昇級には試験に合格する必要があったようで、更にその受験資格に年齢制限があったようだ。(28歳以下など)徴兵された時期など、運によるところも大きかったのかなぁと思案している。

一方、叔父から聴いた話では東大卒の人でも、愛国心が強いあまり、あえて激戦地への出兵を志願し、戦死した方々もいたそうだ。
やるせない気持ちになる話だ。 

それらは、この本に詳しく書いてある。
この本は、重厚な内容で簡単には読めない。おびただしい数の引用(参考)文献で、よく研究してから書かれた事は分かる。そして、文章が濃いのだ。私もまだ半分くらいしか、読めていない。

この本によると、高学歴な兵士達が義務教育のみの古参の兵士達にイジメられたそうだ。彼らは長い軍歴を理由に、何かにつけて(例えば、ワラでワラジを編むなど)大卒を「そんな事も出来ないのか?大学出のくせに」とイジメたらしい。村上兵衛の著作からの引用があり、興味深い。

「軍人の世界は、最も男らしい、という風に一般には考えられやすいが、軍隊内部における人間関係は、むしろねちねちと陰湿で女性的な感情が支配的である」と述べている(65ぺージ)。

更に、内務班という所では、古参兵たちの暴力が酷かったらしい(56ぺージ)。
父も理由も無く殴られた事をよく怒っていた。

またそこには、多くの読者に不快感をいだかせる事実も書いてあった。

まずは、徴兵にやってきた憲兵が、召集を拒んだ若者をその場で射殺した話だ。そして、そんな話が珍しくなかったという(24ぺージ)。

何という軍隊の暴走❗️そんな事があっていいのか‼️戦前の日本はこんなにも民主主義のカケラも無かったのか⁉️読んだだけで、怒りで身体が震える。

2番目は、日本では徴兵制が導入された明治6年から、男性を学歴で分け、高学歴な人ほど軍隊入隊を免れやすくなっていた。
中等以上の教育を受けた者に対する徴兵猶予や免除の特権が定められていた(18ぺージ)。
斎藤貴男著『機会不平等』からの引用。

旧制高校は知っている人は多くても、旧制中学については疎い人も多いだろう。Wikiにも詳しいので、読んでみて欲しい。現在の中学校とあまりにも違うので、想像するのが難しい。
要するに、当時は殆どの男子は、尋常小学校の教育を受けただけで働いたり、兵士になったりしたらしい。

私の心境の変化
 2つの軍歴を読み進めるうちに「どうか父が安全な部隊にいて、安全な任務をしていて欲しい」と祈るような気持ちになった(戦死した方には申し訳ありませんが)。娘心とでも言うのでしょうか?

 きっと息子を戦地に送り出した母親は、表面上は「お国の為に頑張って」とは言っても、内心こんな感じではないだろうか?

 そして、父の任務が兵士達や軍備品、衛生用品などを自動車(多分、軍用ジープ)で運搬する事らしいと分かった。

実は、私の長女(26歳、社会人)と一緒に読んでいたのだが、この一文を見つけた時に
「良かった!」と娘も同時に叫んだ。

家族で同じ人を案ずる。
なんて大切な事だろう❗️

実は今回軍歴を取り寄せて、コレが一番嬉しかった事かもしれない。

とはいえ、その先の文には運搬業務中にも敵に執拗に狙われていて危険だった旨が書いてあり、辛くなった😢

今、私の中では父への同情と尊敬(特に忍耐力に対して)、そして戦争への怒りが渦巻いている。

父は、戦争で受けた苦難によって戦後再び人生を妨げられるのだが、その話はまた別の機会に書こうと思う。

コロナ禍ではあれど、今私は平和に家族と自宅で新年を迎える準備ができている。
この「普通の幸せ」を噛みしめている。
軍歴を読むことで、改めてそれに気付かせてもらった。

厚生労働省のご担当者の方々、奈良県庁のご担当者の方々、ご多忙な中、父の軍歴を探し出して送っていただき、本当にありがとうございました。

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#エッセイ #父 #戦争 #軍隊   #家族 #熟成下書き #2020年の推しnote

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