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#7 【気候変動の本当の問題】 自伝を長期的に保管していくうえでの保証について

 2020年からレジ袋が有料化され、今では2人に1人以上がマイバッグを常備。2009年には余剰電力買取制度がスタート。太陽光発電などのクリーンエネルギーへの取り組みにも注目が集まる。電気自動車購入時に補助金を設けている国も多数。2022年には世界の販売台数の約9%が電気自動車という計算。
 
 環境問題を背景に、これらの政策が進められている。が、肝心なことの一つ、「気候変動問題は実際のところどうなっているのか?」これが気になります。
 
 そこで、この記事では、「気候変動問題はどうなっているのか?」というテーマでわたしなり(自伝の執筆と保管を文化に|匿名性自伝サービス「アークカイブ」運営代表)の考えを紹介したい。あわせて、アークカイブが自伝を長期的に保管していくにあたって、保証の問題についても触れる。

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すっきりしない気候変動問題

 記録的な猛暑の夏、記録的豪雨、世界的な高温、そして記録的なハリケーン。ここ最近のニュースを見ていると、記録ずくめの報道にも見慣れてきた印象だ。報道に限った話でもないかもしれない。体感として、読者の中にも「以前より季節外れの気温が増えたな」と感じている方も多いかもしれない。
 ある説では、人類が地球環境に影響を及ぼす時代(人新生)に入ったとのこと。そうなると、記録的な観測結果も人為的な影響によるものなのだろうか。一方で、気候変動懐疑派の人たちの意見もある。あるいは、気候変動懐疑派の人たちの言うように、温暖化は誇張され過ぎているのだろうか。専門家の間でも意見が割れる中、政策は進められている。この不透明な感じこそ、気候変動問題のイメージ。どこかすっきりしない。

書籍「気候変動の真実」

 この機に気候変動について理解を深められる書籍はないかと思い、「気候変動の真実」をこの記事で取り上げる。著者は、米国のスティーブン・E・クーニンという物理学の教授。オバマ政権時にエネルギー省科学担当次官を務めていた人物で、科学者の中でも重鎮の一人とのこと。、この本の中でも多数のデータを交え、多角的な視点からわかりやすく気候変動について解説していた。
 特に印象的だった内容は、読者への著者クーニンからの忠告。気候変動という複雑なテーマは、細部まですごく敏感なもの。そのため、単純化や推測で語るべきではなく、各自でデータを見ていく姿勢が重要だと述べていた。これはどんなときも同じかもしれないが、とにかく実行が難しい。ひとまず、最終的には私たち一人一人が確認を取っていくことを前提に、今回は私なりの解釈で「気候変動の真実」を見ていきたい。

気候変動は実際のところどうなっているのか?

 本題の「気候変動は実際のところどうなっているのか?」を見ていこう。まず、温暖化といえば、ここ100年の間で気温が1.2度上昇したという、インパクトのあるデータを見かけた読者も多いはず。

地球の地上気温の偏差(1850~2019年) image from wikipedia

 個人的には、「たった1℃か・・・」と初見で感じた一方、「このまま右肩上がりの上昇はマズイのでは?」と、焦りを感じた記憶もある。じつはこのデータは書籍のなかでも解説されていた。またその解説を通し、気候変動の理解には、長期間にわたる膨大で複雑に絡み合った要因の分析が求められていることにも言及している。
 では、具体的にその解説を見ていこう。まず、気候変動問題には、時間軸に注目することが大切なようだった。たとえば、先程は100年の期間を切り取られたデータ。では、過去1500年というさらに長い期間で地球の気温を追って見ると、どのような変化が見られるだろうか。

過去1500年間の地球の平均地上気温偏差 image from IPCC AR5 WGI, Figure 5.7. https://www.ipcc.ch/site/assets/uploads/2018/02/WG1AR5_Chapter05_FINAL.pdf

 見てみると、まず日本でいう古墳時代の500年ごろから、平安時代の1000年ごろまで、もともと暖かい時期が続く。そこから徐々に地球は冷えていく。また、室町時代の1450年から江戸時代末期の1850年ごろにかけ、過去1500年の中でも最も気温が低い時期になっていたようだ。そして1850年ごろから再び気温が上昇トレンドに乗り、今に至っている。
 過去1500年の地球の気温の変化がわかったところで、もう一つ確認しておきたいデータがある。それが人類の活動。気候変動問題では人類の影響か、それ以外の自然要因か、その区別が重要になる。
 そこで、1900年ごろから考える。この時期の人口といえば、現在の1/5程度。人間の環境への影響はわずかだったものの、地球の気温はすでに上向いている。また、人類の影響が強まり続けたこの100年間、気温は右肩上がりに上昇を続けたわけでもない。よく見ると、1940年から1980年にかけ、逆に冷えていた時期もあったことに気が付く。
 ここで一度話をまとめると、地球の気温はこの100年で確かに1.2度上昇した。しかし、そこには自然要因も大きく働いている。膨大な熱量を有する海洋、陸上や海上の雪氷、植物や微生物、そして太陽の活動から火山活動。ようするに、自然が複雑に絡み合って気候に支配的な影響をもたらしているとのことだ。

気候システムに人間が及ぼす影響

 ここまで、気候に大きな影響を及ぼす自然要因がイメージできた。では次に、「人類は具体的にどの程度、気候に影響を及ぼしているのか?」多くの読者が明確にしておきたいであろう、このポイントを見ていこう。
 結論をいえば、気候システムに人間が及ぼす影響はわずか1%程度。どうだろうか。「わずか」という言葉がついているものの、個人的には大きいのか小さいのかよく分からなかった。そして、この感覚は間違っていないようだ。専門家の方々にとっても、騒がれている気候変動や異常気象がどの程度人間の影響によるものかを判断することは、極めて難しい問題とのこと。
 なにより、1%の人間の影響によって気候システムは間違いなく敏感に反応していることも述べられている。たとえば問題視されている化石燃料の燃焼。このとき排出されるCO2が地球を暖めていることは間違いない。さらにCO2の排出量は過去数十年で増え続けている。もはや、それを抑えることはかなり難しいようだ。

繊細かつ複雑な気候

 どうだろうか。ここまで書籍の内容のごく一部を紹介してきた。読者の中には「人間の影響は1%で小さいのか」と感じた方もいるだろう。もちろん、「CO2の排出量をなんとか抑えないと・・・」と危機感を持った方もいたはず。様々な受け止め方があったように思う。複雑な気候について人類はあまりにも理解できていない部分が多いことを実感する内容だ。わたしも読み進める中、「結局、大丈夫!」あるいは「やはりマズイのか・・・」のように、思考を単純化させないように意識していた。
 そして気候が繊細かつ複雑であることをイメージができたところで、一旦話を進めよう。気候について科学的に考えてきた次のポイントは、現在の状況や未来への展望についてだ。現在すすめられている世界規模の政策や、気候に対して長い間向き合ってきた著者クーニンの見解を見ていこう。

著者クーニンの見解

 著者クーニンによると、現在の科学技術では人類の気候に対する理解は不十分。今後の気候の変化を予測することも難しいようだ。そのため、現段階では気候システムの理解や温室効果ガス排出量を減らす技術の開発など、科学の進歩が絶対的に求められているとのこと。
 また、ここからが気候変動問題の真髄とも言える話。現在、世界では脱炭素化社会に向けた政策が進められている。たとえば排出量取引制度や炭素税といったもの。著者クーニンは、これらの政策や規制について懐疑的な立場をとっていた。というのも、これらの政策で排出量をゼロの状態(カーボンニュートラル) へ持っていくことは、可能性としてあまりにも低いとしていた。
 読者の中にも、「今の人類の経済活動の規模ではカーボンニュートラルなんて無理があるんじゃないか?」と感じている方もいたかもしれない。やはり著者クーニンも同様の意見。人間による気候への影響も今のところ1%で、その影響自体もいまいち不確実。そんな中、現実の状況としては、先進国と途上国の両方で日々の生活を維持するための膨大なエネルギー需要がある。当たり前のことかもしれないが、急激な脱炭素化社会に向けて、人々のまとまりが欠けている状態。
 状況を総合的に見た著者クーニンは、政策によるカーボンニュートラルとは別の方向性を提案している。それが気候変動に適応していくというもの。具体的には、途上国の経済発展が望ましい戦略としていた。世界の国々が経済発展を遂げることで国の基盤も安定し、気候変化への適応力も高まるという考えに基づいている。

説得のために利用される気候変動の情報

 なんとも具体的で説得力のある意見が書籍で確認された。ただし、私たちからすれば、ここで大きな疑問が生じる。「では、なぜ達成可能性の低い排出量の削減に向けた政策といったものが世界で進められているのか?」もちろん、これに対しても著者は解説を用意。
 つまるところ、政治やビジネスに関わるあらゆる立場の人たちが、気候変動の情報を説得のために利用しているようだ。現状は情報が交錯し、科学というよりはポジションや価値観の違いによって政策が決定されている。
 また、情報を提供される側についても厳しい言及があった。「大半の人は上から与えられた知恵を、無条件で受け入れるだけで自力で科学をチェックできないし、その時間も意欲もない」とのこと。ここにきて虚をつかれる。わたしも思い当たる内容だ。
 気候変動のような空間的にも時間的にも理解が難しい問題には、「専門家が何とかしてくれるだろう!」と無責任な意識になっていた。何より、日々の生活を振り返ると毎日が忙しい。目先の自分の仕事や用事で精一杯だ。言い訳かもしれないが、社会の構造も分業化が進んでしまったようにも感じる。
 それでも、この状況にクーニンは注意を促している。「価値観の違いはあれど、科学を理解しない上での決定は、よい結果につながらないので、民主主義では対応方法を決めるわたしたち有権者が気をつけなければならない」ということだ。

意識が難しい問題

 以上、「気候変動の真実」を簡単に紹介してきた。そして気候システムを理解することの難しさや、そんな中で著者クーニンが考える現実的な対策も見えた。何より、気候変動といった複雑な問題の対応を決めるときは、科学に基づいた価値観が大切なようだっだ。
 読み終えたときのわたしの率直な感想を紹介すると、先程も少し触れた通りの内容になる。「やはり忙しい日常の中、複雑な問題に対して、まず意識を持つ最初の一歩すらなかなか難しい。」もちろん、何かしら意識の持ち方のコツとかがあれば知りたい。ただし、このような問題は根が深く、なかなか難しい。多くの読者も共感してくれるのではないだろうか・・・

この記事はこのままでは終われない

 ここまで、「気候変動問題はどうなっているのか?」というテーマで記事をはじめ、一定のレベルで回答も得られた。しかし、どこかスッキリしない行き詰まった感覚が残る。自分の日々の意識の持ち方。そこに問題があったことが浮き彫りになったからだろう。そうなると、このままでは終われない。何かしらの前進が欲しい。

複雑な問題に意識を向けていた人物

 暗中模索。しばらく考えていたところ、「では、複雑な問題に対して意識を持って取り組んでいた人物はいないか?」こんな問いが浮かぶ。そんな人物がいた場合、学び取れる部分もあるかもしれない。
 そこでふと、子供のころ、学校の課題で調べた芸術家のピカソが浮かぶ。後に起きる、第二次世界大戦をピカソが予言していた話を思い出す。改めて調べ直すと、1930年ごろ、当時の社会に漂う危機を察知し、その後の第二次世界大戦を予言したような恐ろしい雰囲気のスケッチをピカソは描き上げていた。
 つまり、ピカソといった芸術家は、空間的、そして時間的にも実感しにくい複雑な社会の問題に対し、意識を向けていたのだろう。そして自分の価値観をスケッチを通してぶつけていたのかもしれない。もっといえば、芸術家の仕事には社会に潜む問題への主張もあることに気が付く。
 そうなると、少し唐突だが、一つのアイデアが浮かぶ。気候変動のような空間的にも時間的にも複雑な科学の問題に対しては、同じくグローバルな舞台で、科学を意識して作られた芸術作品に注目していくこと。これにより、複雑な問題に意識を向けていくための心構え、あるいは何かしらのヒントが見つかるかもしれない。つまり、芸術家の作品を通して、意識に変化を加える試み。
 もちろん、読者の中には「そんな不確かな方法で大丈夫か?」と、不安の声も出ているだろう。正直にいえば、実は私も根拠のないまま探求した。そして幸いにも、(強引ながら)着地点は見つかった。是非、読者のみなさんにも確認してもらいたい。

太陽の塔

 グローバルな舞台で科学を意識して作られた芸術作品を探す中、ある作品を見つける。誰もが知っている芸術作品。それが1970年、大阪万博で芸術家・岡本太郎によって制作された太陽の塔。とはいえ、いきなり1970年の万博と言われても、記憶が曖昧な読者、あるいはまだ生まれていない読者も多いハズ。そこで当時を簡単に振り返ると、外せない出来事がいくつか出てくる。
 たとえばアメリカとロシアによる宇宙開発競争。また、この日本も高度経済成長中で、技術力が急成長していた。大阪万博でも、宇宙船、リニアモーターカーの模型、ワイヤレステレホンが展示され、今後の科学技術に大きな期待が寄せられたそうだ。また、当時は公害や国際紛争といった問題も頻繁に話題になっている。これらの背景から、人々の調和を模索していきたいという願いが、グローバルな祭典に込められる。最終的に、大阪万博は「人類の進歩と調和」というテーマで開催となった。

太陽の塔 image from wikipedia

 そんな万博で建てられたのが、「誇らかな、人間の尊厳を象徴」した、高さ70mの巨大な太陽の塔。過去、現在、未来が、表側にある特徴的な3つの顔によって表現された。また、生命の進化の過程を連想させるオブジェも塔の内部に設けられる。さらに特筆すべきは、全体の造形だ。なんとも説明のしようのない、超自然的な感覚を覚える。「この全体の造形は意味するのか?」万博が開催された当時も注目を集めたそうだ。そして解釈によっては、岡本太郎が影響を受けた縄文土器の思いが込められているとのこと。

太陽の塔に込められた縄文

 複雑な問題に意識を向けていくヒントを求め、グローバルな舞台で科学を意識して作られた芸術作品を探すと、大阪万博で建てられた太陽の塔が挙がった。ただし、技術力や調和がテーマとされた舞台で、岡本太郎がこだわったのは古の造形。一見すると、却って調和を乱しているようにも見える。当時の社会に潜む問題に対し、岡本太郎が価値観を全面に主張しているポイントではないか。少なくとも、何かしらのメッセージが潜んでいるように見える。確信はないものの、岡本太郎が縄文土器に衝撃を受けた理由、そして太陽の塔に込められた主張の世界に踏み込んでみよう。

岡本太郎が縄文土器に衝撃を受けた理由

 なぜ縄文に影響を受けたのか。最初に、この疑問に対する答えを求め、岡本太郎が縄文土器について解説している書籍を見ていくことにした。1951年、東京国立博物館で縄文土器と出会った岡本太郎。その造形に大きなインパクトを受け、縄文時代の調査をはじめる。その結果、どうやら縄文時代を、ほかの時代とは全く別の世界と捉えるに至る。
 読者の皆さんもご存知のように、弥生時代以降は農耕生活。安全な日々のなかで求められる能力は、計画や決まり事に従うセンスだ。一方、縄文時代は狩猟生活。誰もが自然の不確かさや脅威と隣合わせ。この生活の違いから、縄文の人々には、それ以降の時代とは明らかに異なる価値観とエネルギッシュさがあったとのこと。何より、この突き抜けるようなバイタリティーのような感覚が、ほかならぬ縄文土器の独特の造形に表れているというのだ。
 さらに興味深いのは、文明の発展した時代だったからこそ、縄文土器から滲み出る感覚に気が付けたと、岡本太郎自身が考えていたところ。これはどういこうことか。簡単にいえば、文明の発展した現代と縄文時代の生活が似通っているということらしい。実際、当時の水爆実験や経済危機を例に、科学の強力で危険な側面や、莫大な資本が流れる様子は、スケール感こそ違えど、縄文時代の予想のつかない危険な自然環境を想起させると説明している。現代こそ、縄文の突き抜けるようなバイタリティーが再び求められているということのだ。

太陽の塔に込められた主張

 縄文から影響を受けた理由がわかったところで、太陽の塔を通して、岡本太郎の主張を整理してみる。すると、現代を生き抜いていくためには、「2つの性質が必要だ」と人々に主張しているように解釈できた。
 まず一つ目は、意外にも、弥生時代以降の社会で必要になった、計画や決まり事に忍耐強く「適応していくセンス」。この主張は万博の展示からも読み取れる。科学技術や資本主義の力により、グローバルな調和を計ろうとしていた世界の大きな流れがあった1970年。その中、世界中の人々が忍耐強く適応し、文明社会を支えてきた尊厳を万博の展示で表現している。
 そして二つ目が、やはり、強固な価値観で「ぶつかっていくエネルギッシュさ」。単純に、計画や決まり事にただ従うだけでは、現代の強力な科学技術や莫大な資本に、いつの間にか取り込まれるということを警告しているのではないか。太陽の塔の古の造形と合わせ、地下の一角の展示場からもこの主張は読み取れる。そこには、多様な民族の道具を世界中から集めて裸で展示し、まるでぶつかり合うことを表現。
 これから人々が生きながらえていく上で、「適応していくセンス」、そして「ぶつかっていくエネルギッシュさ」の両方が求められているという岡本太郎の主張。非常に高い要求だ。ただし、岡本太郎はただ主張したかったわけではない。太陽の塔をよく見てみると、応援していることも感じ取れる。これには、先ほど説明した塔の内部に設けられているオブジェが関わってくる。一説では、進化の過程を示した突き上げるようなこのエネルギッシュなオブジェが、太陽の塔の内蔵を意味しているとのこと。つまり、あらゆるエネルギーが原始時代からわたしたちの中に受け継がれているということを思い出させるための太陽の塔ということだ。

まとめ|自伝を長期的に保管していくうえでの保証について

 以上、ここまで気候変動問題を皮切りに、太陽の塔について見てきた。厳しい自然の中で人類は科学を発展させてきた一方、人間の活動が自然へ影響するようになったことで気候変動に関心が集まっている。
 そこでこの記事の前半では、「気候変動の真実」を通し、気候システムを理解することの難しさや、気候変動の情報が説得のために利用されていることを学んだ。今後の対応には科学に基づいた一人一人の価値観が大切になってくるという、著者クーニンの主張は鋭く、記事の後半のテーマを決定づけた。
 実際、記事の後半では、気候変動といった複雑な問題に意識を向けていくためのヒントを求め、岡本太郎の太陽の塔に迫ることに。強力な科学技術や膨大な資本が取り巻く現代では、計画や決まり事に適応するだけでなく、価値観をぶつけ合うエネルギッシュさが求められているという主張を読み取る。
 なんと、ここに来てあることに気が付く。適応の日々の中で、価値観をぶつけ合う大切さを、著者クーニンと岡本太郎の両方が主張していたのだ。著者クーニンの場合、多忙な中でも、科学に対する十分な知見を持つことが重要であると訴え、岡本太郎はわたしたちにそのポテンシャルが備わっていることを思い出させていた。
 なお、アークカイブでは執筆された自伝が長期的に保管されることを目的に誠心誠意活動している。ただし、自伝の長期的な保管を保証できるものはない。縄文時代の日々、危険な科学技術や莫大な資本に流される現代の日々、そして気候変動問題と同じかもしれない。
 ただし、時間や空間を超え、科学に基づいた価値観を共有していけるような場とアークカイブがなれば、気候変動といった難しい問題に、さらに多くの意識が集まっていくように思う。またそうなれば、アークカイブ自体も自伝の長期的な保管は達成できると考えている。

【参考文献】

・環境省 「もっと先の未来を考えるエコ・マガジン」 https://www.env.go.jp/guide/info/ecojin/scope/20210929.html
・一般社団法人 日本自動車工業会 「世界生産・販売・保有・普及率・輸出」
https://www.jama.or.jp/statistics/facts/world/index.html
・International Energy Agency「Gobal EV Data Explorer」
https://www.iea.org/data-and-statistics/data-tools/global-ev-data-explorer
・日本気象協会 「お天気トレンド大賞」
https://www.jwa.or.jp/news/2023/12/22010/
・吉成真由美(2017) 「人類の未来」 NHK出版
・スティーブン・E・クーニン(2022) 「気候変動の真実」 日経BP
・S.ギーディオン(1961) 「現代建築の発展」 みすず書房
・岡本敏子(2006) 「岡本太郎:岡本敏子が語るはじめての太郎伝記」 ケイツー
・岡本太郎(2011) 「伝統との対決」 筑摩書房
・平野暁臣(2018) 「『太陽の塔』新発見!」 青春出版社

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