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ビジネスの世界で「ルール」を試す

2014年にブラジルで行われたサッカーのワールドカップで、日本はグループリーグで1勝もできずに敗退しました。
ワールドカップの直後に、アメリカ人のコンサルタントと話をしていたとき、彼が
「日本はなぜ負けたと思いますか?」
と聞いてきたので、
「まだ、世界で通じるレベルではないのでしょうね。」
と答えると、
「日本はルールに負けたんですよ。」
とおっしゃり、そこから色んな話をしてくださいました。

私自身はそんなにサッカーに詳しいわけでもないのですが、確かにあのときのグループリーグでは結構ラフプレイもあり、審判の判断にイライラさせられたことも多かったかもしれません。日本贔屓な目線で見ていることもあり、日本人はちゃんとやっているのに、ひどすぎるんじゃないかと思うこともあったように思います。

氏いわく、日本以外の多くの国は、まずは大きな大会で「ルール」の境界を探りにくるのだと言うのです。今回の大会では、あるいはこの審判は、どこに限界をもっているのか、どこまでやっても許すのか、ギリギリのところを探ることで、ルールの境界いっぱいのところで戦おうとする。これが欧米流だというわけです。

それに対して日本人はとても人が良くて、ルールをきちんと守ることを美徳としていて、ルールの境界線から一歩も二歩も下がったところで公正な試合を心がけるというわけです。

このことは、ビジネスの世界でも同じことだと氏は続けます。

職場に新しい上司がくると、日本人の場合、しばらくは様子を見ようと大人しく、静かに上司の動向を見守るという傾向がありますが、アメリカ人の場合は、新しい上司に意地悪をしたり、挑発的な行動をとることで、上司との距離感をはかりに来るのだというのです。

プロスポーツの世界でも、新参者が来た時に、審判の見ていない所で偶発的に見せながら顔面にパンチを加えるようなことは日常茶飯事だと氏は続けます。

もちろん、アメリカ人全員がそういうことをするわけではないし、日本人だって中にはそういう輩がいるのだと思いますが、チームや組織全体での動きとなると、大きな違いになるのかもしれません。

氏のロジックでは、これは欧米人のルーツがハンターであり、日本人のルーツが農耕民族であるからということですが、島国である日本が他国と国境を争うような必要が歴史的に少なかったことも影響しているのではと、話を聞きながら感じていました。

中国がときおり、日本の領空、領海に侵入してきたり、ギリギリのところで軍艦や軍用機を飛ばしたりして日本を刺激します。これも日本の反応を試しているものかもしれません。万一大人しくしていたら、分捕ってやろうということではないかと思います。

昨年大騒ぎをしていた鴻海によるシャープ買収劇では、シャープ側の経営陣が鴻海のCEOテリーゴーに翻弄され続けていましたが、あの件も、日本人としては常識的と思われる暗黙の了解の範囲(ルールと思われる範囲)をシャープ側はかってに「ルール」内と考えて仕事を進め、一方の鴻海は契約ギリギリのところで自社の言い分を通し、結果としてシャープ側が右往左往することになったように思います。

日本人の奥ゆかしさというか、きちんとルールを守ろうとするところを、私は嫌いではないし、日本は日本の良さで勝負すればいいと思う一方、ビジネスの世界でグローバルな戦いをするのであれば、“勝つ”ということが至上命題であるはずで、そのためには戦いが不利になるような日本らしさは捨てるべきだとも思うわけです。スポーツの世界でもビジネスの世界でも“勝ち”にこだわり、そのためにギリギリのことをするというのは、至極当然のはずなのですが、これができているかどうか、もう一度身の回りを再チェックしてみるべきではないかと思います。

トランプ大統領が吠えています。自国の利益になることは何でもやると、日本企業が名指しで非難されたりしています。日本企業も、日本国も、これから当分の間は振り回されることになるのかもしれません。

しかしながら、トランプの場合は、自分は自国の利益優先で、そのためにはルール変更も辞さないと、言ってみれば腹の内を明かして挑んできているわけです。
一方、鴻海などの場合は、ニコニコ笑って私はあなたの味方ですよ、と近づいてきてパンチを食らわすわけなので、本当に怖いのはどっちかと、常に周りの状況を見極めて、自らも勝つための腹黒さを忘れてはいけないのだと思います。

ただ、日本人の国民性は急には変わりません。
「時代遅れの人事考課制度」の中でも触れましたが、組織全体を重視するところから“個”を強くすることで、結果として組織が強くなるような取り組みは必要だと強く感じます。

“個”を強くする社会が、自己の利益をもっと考える風潮を生み出し、国民全体が勝つための少しの腹黒さを持つようになれたらいいなと思っています。

最近、働き方改革という言葉が新聞で踊っています。
安倍首相も、企業のトップも、2017年は働き方改革を実行する年だと、しだいに大きな声になっています。労働時間短縮、同一労働同一賃金、一億総活躍、そして副業の勧めなど、幅広い改革が叫ばれていますが、肝心な働き手からの声は、長時間労働で疲弊しているという以外の声が聞こえてきません。

我々自身はどうしたいのか。
どんな働く環境を作って欲しいのか、あるいは作りたいのか、本来は労働側からももっと声をあげるべきではないかと思っています。これも農耕民族の奥ゆかしさだとは思いたくない気がします。

政治家や企業のトップが決めたトップの都合による「ルール」が作られようとしているとき、我々、”個“も、「ルール」にモノ申していきたいものです。

「ルールは破られるためにある。」という名言もありますが、ビジネスの世界で、もう一度「ルール」について考え直してみて、勝つために「ルール」の境界を試してみるようなことを私もやってみたいと思います。

次は、働き方改革について少し考察してみたいと思います。

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