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日記ZINEあたふた製作日誌 ー vol.1 目覚めよ!ピュアな製作魂 #文学フリマ東京

※日記ZINE、完成しました!

誰しもカッコつけたくてあんまり言いたくないけど、自由に創作活動を続けるためにも自分の作品が売れたらいいな、というのはあるはずだ。

きっと創作を始めた頃はもっと純粋な気持ちだった。誰かのためになれたら、とか応援したい人がいるから伝えたいだとか。そういった気持ちだけでひとつの記事に何時間も費やした日々は決して無駄ではないと思う。

初めてZINEを作った時は自分の個人的な活動に人を巻き込むのが申し訳なさすぎて、企画からデザインまでひとりで担った。

経費の計算ということが頭から抜け落ちていて、とりあえず買ってもらえそうな金額をリサーチし、最終的に500円に決めた。買ってもらう自信がなかったのである。

その自信のなさは後まで付いてまわり、行きつけの本屋さんに置いてもらうお願いをするときも常にビクビクしていた。

ある本屋さんで委託を快諾してもらい、販売価格を伝えると、一瞬の間があったのち、「次に作るときは赤字にならないように価格を決めてくださいね」と諭してくれた。取材にかかった経費も印刷代やイベント出店料などを勘案して決めた販売価格ではなさそうということを一瞬にして見抜かれた。

活動を続けるためにはきちんとした価格設定が必要という至極当たり前のことと、誰にでも手に取りやすい価格にしたいという思いが拮抗する。

初めてZINEを作った2年後に、ページ数の多い冊子の制作を決めた。

それがこの2冊である。

『散歩するつもりじゃなかった』という日記本と『まちのタイル』という写真集だ。


お品書きを作る文化も初めて知った

デザイナーやイラストレーターの友人にお願いして完成し、本が届いた日の喜びは今でも忘れられない。

その名前すら知らなかった「文学フリマ」に初めて出店したとき、あちこちからお客さんが来てくれて、自分が好き勝手に書いていたブログを大切に読んでくれていた人が実際に画面の向こうに存在していたことにいちいち感動していた。

誰かに届きますようにと常々思っていたし、SNSで感想をもらって喜んではいたものの、実感があまりなかったのである。

当日は友人や仲間をはじめ、ずっと昔に話したことのある方や仕事をしたことのある方も遊びに来てくれ、ようやく一歩踏み出せたことの喜びを噛み締めた。

(ちなみに作品を一度も手に取らず自分の営業をしに来た出店者がいてとまどった。イベントあるあるなのかもだけど)


そうして冬の文学フリマにも新作を作って持っていき、少しずつ本屋めぐりも始めて取扱先を増やしていった。初めての本屋へ行くたび、まだまだ知らない世界が眠っている気がして、そこで出会った本たちと手を繋いで帰った。

今年の初夏にはエッセイ集と日記の最新作をリリースし、個展を開いた。

こう書くとなんだか色々やっててさぞ順調そうに見えるだろう。人に言われて驚いたのだが、全然順調なんかじゃない。この1年半くらいは本当に体調が悪く、メンタルヨワヨワだったのだ。

いろんな場面で体調のイマイチさと、もともとの気の弱さと甘えで数々の人に大迷惑をかけてもしまったし、何度反省を繰り返したことかわからない。

こういってはなんだが全然順調ではないのである(2度目)。自分で切り開いていかねばと思いつつ、今でももがき続行中である。なんでもやるけど、得意だと胸を張れることなんてほぼない。

自分の進む方向これでいいのかな?と聞ける相手もいないまま、荒波に飲まれてドンブラコと瀕死のボートを漕いでいる。


猛暑によって何もできない時期も過ぎ、ようやく次の日記本を作る決意を固めた。

イベントや展示で出会った方たちが静かに、でも熱く「続きを作ってください」と言ってくれたから。

勢いで3作作った日記にも続きがある。次の作品はちょうど1年前の冬の話になり、どこかでの散歩のことよりも暮らしの話が多くなりそうだ。

そろそろ日記本の製作は最後にしようかと考えているけれど、ここまでは読んでくれた方に届けておかねばという区切りまでは作りたい。

作るからにはいいデザインにしたいし、と思いつつ、なんだか表紙のイメージもタイトルも浮かばぬまま、デザイナーさんとの打ち合わせに臨んだ。

作るからにはできるだけ多くの人に届けたい。売りたい。売れたい。みたいな話になり、立ち止まる。なにか大事なパッションを忘れてるような……。きゅっと息が詰まるような感覚に襲われる。

商品の作り方や売り方を工夫するのは大事だけれど、売れている作品のイメージに囚われて作ろうとすると自分が苦しくなることはもう幾度となく経験している。せっかくの自主制作なのに!

バズろうとして不向きなSNSや記事のタイトルを工夫したりとか、得意だと思ってたことが実は全然苦手だったことに気づいたのがちょうど1年前だった。(自分の活動でなく、別の媒体の仕事であれば頑張れる)

いかに邪念を消して、誰にどんなものを届けたいのか、A4のコピー用紙に書き殴る。

はじめに日記本を作ったのは、作為的なものが溢れすぎているから、そこから逃れたくて、ただ日常を綴ってみたかったのだ。

なににも囚われずに好きなカルチャーの話もしたかった。忘れっぽい自分のために忘れたくない瞬間を書き残しておきたかった。


初心にもどろう。

誰かのような真似をして作ろうとしなくていい。そういった邪念を持てば持つほど作るのがつまらなくなる。それじゃ、わざわざ時間をかけて作る意味はない。

きっと、伝えたい人にはいつか届くのだから。

その実感がひとつでもあれば前に進めるのだ。


日記、完成しました


【新刊発売】11月11日(土)、文学フリマ東京へ出展決定!(ブース:D-4)

日記ZINEの最新作『振り返らずに、船はゆく』を発表します。今回は以前に比べてより暮らしに密着した日々の記録になりました。


エッセイ集『いつかなくなる街の風景』・日記シリーズ最新刊『この先になにかあると思ったのだ』、お取扱い書店と公式オンラインショップで発売中!

次の回を読む→あたふた製作日誌vol.2


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