姉のすがたをした別人の幽霊と暮らして七年になる。それはミチの姉、カケルが死んでから七年が経ったということだ。見た目だけは当時高校二年生だった姉そのままであるブレザー姿の幽霊は、中身が別人であることを隠しているつもりのようだった。ミチは止まってしまった姉の年齢をとっくに越え、大学三年生の冬休みを迎えた。 「いいかげんどこか遊びにいけばいいじゃない。冬休みでしょ」 ベッドで寝ころびながらスマートフォンをいじるミチに、カケルは姉っぽく言う。 「休みだから、どこにも行かない
勉強机に敷いた紺色の布の上で、ミホは念じながら、よくシャッフルしたタロットカードをひとつにまとめる。それを三つの山に分けてから、真ん中、左、右の順番で重ねた。一番上になったカードをゆっくりとめくる。今日のカードは『運命の輪』だ。冬休みが終わって最初の登校日に『運命の輪』が出るなんて、幸先がいい。ミホは部屋の結露した窓越しに冬の澄んだ空の色を見て、ほんの少し明るい気分になる。 毎朝学校に行く前に、その日一日のことを占う。すっかり日課になったミホのルーティンは、占いを始めた
1 渡された絵具には『ビリジャン ヒュー』と書かれていた。ばかにされているみたいだ、と宇内里穂は思う。金属チューブの中身が張り詰めて重く冷たい。キャップを開けなくても、深い緑色が詰まっているのを知っていた。 「今更言うのもなってもたもたしてたら何年もたっちゃってて。大きいサイズのやつだし、本当、返したいとは思ってたんだ。長い間ごめんね」 ファミレスの窓は鏡のように室内の景色を反射しているので、外が暗いことを忘れてしまいそうだ。里穂はそこに映っている後ろ姿から、本体の藤
自動販売機から二本の缶コーヒーが吐き出された。 遠目に『無糖』の二文字を見た菜穂は苦笑する。一成はブラックが飲めない。いつもの彼なら「間違えた!」と盛大に騒ぎ出すはずだが、今回はそうはいかないようだった。何事もなかったかのように装って、だぶった『無糖』の片割れを菜穂に差し出す。 「ありがとう」 菜穂の手を暖めるそれに、街灯の明かりが反射してチラチラと揺れた。横で渋い顔をしながら『無糖』をちびちび飲む一成を見て菜穂はまた苦笑しそうになるのをこらえる。お互いの白い息
プロローグ 「あと何回会えるんだろう」 駅までの帰り道に長谷川新はそう言っていた。あまり、らしくはなかった。 「顔合わせるだけなら300回くらい?」 倫は答えた。本当のことは誰も知らない。 「デートは?」 「デートは100回?」 「適当に答えてんなあ」 「だって」 その先に続く言葉はない。長谷川は自分が始めた会話を後悔するような顔をして、それからしばらくは、二人で黙って歩いていた。 倫は余計なことしか考えないようにしていたのかもしれない。必要のない『もしも』をいく
彼女はその犬のことが好きではない。 犬は彼女の手が好きで、撫でようとするとべろべろに舐め、執拗に噛むからだ。犬としては甘噛みのつもりだが、歯形で赤くなるくらいには痛い。 彼女がその犬がいる家に入ると、犬は吠える。大きな声で吠えて、止まらない。そのうるささに家にいる全員が顔をしかめる。 「静かにしないと遊ばないよ」 言っても犬は聞かない。うるさいので、そのまま彼女が見つめていると、犬はお座りをした。そうすると彼女が手を伸ばしてくれるのを犬は知っている。 知っているのにいつも