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東京少年は此処にいる!!!

12年前とは時が立つのは早いもんだなぁと感じます。
僕の人生を変えた出会いがあった2007年。
場所はアフリカ マダガスカル。
当時、僕は19才。
ひとり、自転車でマダガスカルを横断していました。

▼プロローグ。

本当にたくさんの良い人に恵まれ、たくさんの貴重な体験、そして多少の痛い目にあったからこそ、間違いなくマダガスカルでの出来事は自分の人生を変えた出会いであり、現在の僕をつくっているものと胸を張って言い切ることができるっす!

マダガスカルで出会ったものは、そこに暮らす様々な人たちとその文化。

知らないことや想像できないこと。
考えてみると当たり前、だけれど、実際に直面するまで気がつかないこと。そんなことだらけの旅で出会った様々なことが僕の人生を変えました。

▼"人は一人では生きてはいけない。"

本当、考えてみたら当たり前のことっすね!
なんだけど、19才の僕は"人は一人でも生きていける。"って、そう思っていました。
もうちょい細かく説明をすると、誰にも迷惑をかけず、お世話にもならず、貸し借りつくらず生きていくから、誰も僕に構わないでください。なんてことを思っていました。
本当、ひねくれた奴っすね!

そんな僕が"人は一人では生きてはいけない。"って変わったのは、人は誰しもが誰かに迷惑もかけるし、お世話にならずにはいられない。
すなわち、貸し借りつくらないので構わないでくださいなんてのはどだい無理な話で、なんて都合が良くて、ちっちゃくて、臆病なうえにダサい生き方なんだろうって感じてしまったからです。

"人は一人では生きてはいけない。"
ほならば僕はどうすれば良いのだろう?
っていう疑問への僕なりの回答はとってもシンプルなことでした。

誰かに迷惑をかけてしまったら、ちゃんと ごめんなさい をいえば良いし、自分にできることがあればその分してあげたら良い。

誰かのお世話になったのであれば、ちゃんと ありがとう をいえば良いし、その分自分にできることをしてあげれば良い。

貸し借りをつくらないように遠慮をするんじゃなく、生活の全てが持ちつ持たれつなんだから人への配慮をすれば良い。

誰も僕に構わないでくださいなんてつれないことはいわないほうが良いし、ビビらずに、恥ずかしがらずに自分をちゃんと見てもらった方がきっと良い。

どうせ一人じゃないのなら誤解が生まれないように。
どうせ一人じゃないのなら理解してもらえるように。

以上、つまるところはこれだけのことなのだと思います。
普段自分がいる場所から外に出てみると、世界は思ったよりも自分に無関心ではいてくれないことをたくさんの出会いを通して知りました。

▼2007年6月某日。

っと、まぁ出会ったのちに僕がどう変わったのか?ということから書き始めましたが19才の僕が当時感じていたことや、マダガスカルでのエピソードを少々お話したいと思うっす。

当時、僕は充実はせずとも騒がしく楽しい毎日を"でも、これじゃねーんだよなぁ感"と共に過ごしていました。
何だか自分は此処にいるのに何処にいるんだろう?って感覚。
最初に自覚したタイミングは覚えていませんが、二十歳が近づくにつれて自分の中で無視できないほどにその感覚は大きくなり、いつも僕に付いて回っていました。

梅雨真っ只中、夏も近づいてきたある日、僕は友達のたけし君から2冊の本をおすすめされました。
たけし君は少し変わった子で、みんなからはウツ君と呼ばれていました。
普段の僕は読んだとて、誰かが買った週刊少年ジャンプぐらいだったのですが、そんな僕にたけし君が、わざわざ、おすすめしてくれた本とは一体どないなもんだろうと興味を持ちました。

その2冊はいわゆるエッセイや手記、自叙伝のようなものでした。

。。。ぺらぺらぺら。。。
。。。うーむ。。。
。。。すっげぇ、おもしれぇ。。。

その2冊からは書いた人の"生きてる感"がめちゃくちゃ伝わってきます。

。。。ぺらぺらぺら。。。
。。。うーむ。。。
。。。そうそうっ!こんな感じっ!!。。。

こいつらみたいに俺も何かに全力で取り組んでみたいなぁ。
一生懸命生きてみたいなぁ。
自分は一体どこまでやれるんだろうなぁ。
全部出し切ってぶつけてみたいなぁ。

2冊の本を通じて日々感じていた"でも、これじゃねーんだよなぁ感"の正体を"自分の全力と限界を試したい欲"と実感した瞬間でした。

▼自分の全力と限界を試すためには?

それじゃあ"自分の全力と限界を試す"にはどうしたもんか?
とりあえず僕は日本じゃ楽勝だと思い、海外に出ようと思いました。
そして海外とはいえ、どうせ北米やヨーロッパは楽勝だと思い、一番ハードそうなアフリカに行こうと決めました。
最終的には、絵本 星の王子様でそのあまりの巨大さに星ひとつ壊してしまうと紹介される巨木バオバブのあるマダガスカルに決めました。

さて、行き先は決まったけれどもまだ足りない。
自分の全力と限界を試すからには己の五体を使わねばならない。
というわけで、東から西へ自転車で横断することに決めました。
パスポート取って、ビザ取って。
卒業研究は友達に頼んだし、地図も方位磁石も持って準備は万端。

▼東京少年は此処にいる!!!

本を読んでから2ヶ月たたずに僕は世界で3番目に大きな島国にいました。
アフリカの第一印象は"変な匂い。"です。
空気からして"あー、日本じゃないとこに来たんだなぁ"って感じです。

さぁっ!!!
こっから俺の物語が始まるぜっ!!!

って威勢が良かったのも最初だけ。
空港から出て1時間後には警察署の裏で体育座りをしている僕がいました。

空港を出て30分後。
めっちゃカツアゲされました。

めっちゃこわかった。
僕はすぐに屈服してしまいました。
情けなかったし、めっちゃダサかった。

もう無理だぁ。
自転車で横断なんて無理だぁ。

もうホテルに引きこもっていよう。
って本気で思いました。もうリタイヤっす。

えっ?俺の全力ってこんなもん?しょぼすぎだろ。
めっちゃ友達にイキってきちゃったけど、帰った時になんて話そう。
などということも思いました。

しばらくは街行く人々全てが怖くって、拗ねて、いじけていました。
しかし、更にしばらくすると僕は段々、色々なことに腹が立ってきました。

あー!もう無し無しっ!!
今のは一旦無かったことにしよう!!

不意打ちだあんなもん。大人数で来やがって。
よっしゃ!こっちももう準備はできた!!
俺の全力はまだ全然出し切ってねー!!

都合の良いことに僕は自分の記憶を一旦リセットした後、コンパスで西を確認してペダルを回し始めました。

▼人生を変える出会い。

そこから色々な出会いがありました。
ぼったくり、売春、麻薬、人さらい、人種差別。
野宿、便秘、ラップバトル、マラリア、赤痢。
宗教、結婚式、葬式、青年海外協力隊、自警団。

人にこの話をすると、"いやいや、無茶しすぎだろ。"ってよく言われます。が、そもそも観光目的で行っているのではなく、僕の目的は"自分の全力と限界を試す"ことでした。

やってみたら、どうなるかこの先わからないからこそ試す意味がある。
やってできそうなことをやっても意味がないと思っていました。
何だかいっちょ前なことをいっていたものですが、今になって当時の自分を振り返ってみると、"難しいけれども、俺だったらこの条件でもギリギリ達成できる"って設定をしていたようにも思います。

何だかいっちょ前なことをいっていたものですが、今になって当時の自分を振り返ってみると、"難しいけれども、俺だったらこの条件でもギリギリ達成できる"って設定をしていたようにも思います。
その"俺だったら"って言葉の先にはおそらく"一人でもなんとかなる。"ひいては"人は一人でも生きていける。"という風に考えていたように思います。

自分に自信を持つことはとても大切だし、実際に横断をやりきったのは自分の実力でもあります。

でも、例えば、
・服を着替えるにしても
自分で服は作れない、買うにしても村に服屋などない、洗濯するにもどこですれば良いかわからない。
→村の人に尋ねて、最寄りの川まで連れて行ってもらい、石鹸を借りて洗濯をする。
・ご飯を食べるにしても
持てる食料は限りがある、お弁当など売ってはいない、飯屋に入っても読めない喋れない。
→もちろん僕は一生懸命伝えるけれど、村の人からの一生懸命に理解するという協力が必要。
・屋内で眠るにしても
野宿はもう無理、村に宿泊施設などはない、この村の先もその先にもずーっと先の大きな街に行くまでない。
→村の人に相談して好意で自宅に泊めてもらうしかない。

自分の行動の結果、なんとかしてきたけれども、ある意味、自分一人では生活の基本となる衣食住ですらままならないという経験をしてしまいました。

今まで服やご飯、家などに困ることがなくって気がつかなかったけれども、どれも自然にポンっとあるものではなくって、誰かが誰かの為に作ってくれたものなんだという感覚になりました。

そんなマダガスカルでの旅を通して、日本から出なかったら感じなかったであろう普段の自分の生活の中に、色々な人の助けがあって生きているという感覚を新たに感じ取れるようになりました。

こうした出会いにより、僕は"人は一人では生きていけない。"と文字通り人生観が変わりました。

▼僕がみんなにシェアしたい言葉。

最後に旅中、僕が一番感動した言葉をシェアしたいと思います。
現地はマダガスカル語なので僕が都合良く解釈している部分も大きいとは思いますが、人生で初めて人から受けた好意で涙が止まらなくなった時に聞いた言葉です。

お金はいらない。
ここでは助け合うことが当たり前だからだ。
人からお世話になった恩は返さなければいけない。
しかし相手を選んでいてはいけない。
量もタイミングも選んではいけない。
自分が誰かに返せるタイミングで返せる量を返していけばよい。
もしみんながそういう風にできたのであれば、自分がお世話になった恩人にまで恩が回り回って届くかもしれない。
ここではそうやってみんな生きている。
だからあなたが困っている時は遠慮せずに私たちに相談したら良い。
きっとみんな話を聞いてくれるだろう。

行き倒れた僕を助けてくれた小さな村のドクターより

最後まで読んでいただきありがとうございます! ここまで見てくれたことがとっても嬉しいっす!! 心からさんきゅっす:-)