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共に老いる  SS0014

敬老の日 2018/9/17

 俺は年寄りじゃねえ──。全く、どいつもこいつも、俺をじじい扱いしやがって。
 俺は好物の鶏肉を食べ残して、ため息をついた。まあ、そう言っても、このたるんだ腹を見れば、情けなくなる。若い頃はもっと引き締まった体で、活発に動けたと愚痴も出る。

 ──総務省によると今年、全国の高齢者は、過去最多となり──。テレビからお馴染みのニュースが流れる。老人週間とやらが始まっているらしい。この時期だけ騒ぎやがって。
「もっと柔らかいご飯のが、いいのかしら」
「うん、そうだな。病院の先生も食事には気を付けたほうがいいって言ってるし……」
 テレビを見ながらの会話が聞こえてくる。全くこの夫婦は、俺様を何だと思っているんだ。まだ俺は元気だし、足腰だって達者だ。まあ動くのが多少ゆっくりなのは、仕方がねえ。それが歳を重ねるということだ。

「あ、痛っ」派手な音を立てて、トイレに向かう段差で転んだ音が、聞こえた。
「お前、大丈夫か」慌てた空気が流れる。
 ほら見ろ、いわんこっちゃねえ。俺より自分たちのことを心配しろってんだ。
 慌て者の似た者夫婦だ。先が思いやられるぜ。多分俺のが先に逝っちまうんだから、体は大事にしねえといけねえよ。

 ああ、でも今日みたいに秋めいた風が吹く日は、気持ちがいいねえ。思わずあくびが出ちまう。今年は猛暑で、みんなお天道様のことを悪く言っていたが、冬の陽だまりは最高だぜ。世の中にゃあ、悪いことばかりじゃない。いいことだって、たくさんあるのさ……。

 ああ、何だか眠くなってきた。最近やたらと眠い。それになぜか昔のことばかり思い出す。この家に来て何回、冬の陽だまりで穏やかな日々を、過ごしてきたっけな……。

 側にいつの間にか夫婦が来ていた。心配げに俺を見てくる。そんな顔をするなって。
 頭を優しくなでられた。気持ちが好くて声が出る。夫婦二人して、俺のことを優しくなでてくれる。ああ、温かい手だな。俺は幸せだよ。だから泣かないでおくれ。あんたたちに出会えて、すばらしい毎日だった。
 いつの間にか俺のが年寄りになるなんてな。この幸せな刻(とき)が、永遠に続くと思っていたんだけど、来るべき刻が来ちまったかな……。

 ああ、そうだ。この感謝の想いを伝えていなかった。
 ありがとな。「にゃおん……」


 愛猫の珠(たま)が亡くなって一月(ひとつき)が過ぎた。私も妻も、抜け殻のような日々を過ごしている。
 子供のいない私たちにとって珠は、世の中の全てであった。隣の公園に捨てられていた子猫を見た時、運命の出会いだと思った。

 還暦を過ぎて猫を飼うのに不安はあった。もしかすると自分たちのが先に逝ってしまうのではないか……。でも、共に過ごし共に老いた十五年の歳月は、かけがえのない宝物になった。珠と一分一秒でも一緒にいたい──。そう思って生きてきた。だからもう……。
 妻の寂しげなため息が、零れた。珠の愛くるしい姿を思い浮かべると、目頭が熱くなる。

「──にゃあ」声が聞こえた。妻と顔を見合わせる。まさか珠が──。首を振る。空耳だろう。歳を重ねると耳まで悪くなるものだ。

「にゃあ」もう一度、庭から声がした。妻が慌てた様子で窓を開ける。珠と同じ三毛の子猫がこちらを向いて、「にゃあ」と鳴いた。
 妻が震えながら縁側で子猫を抱き寄せると、子猫は気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「──ああ、ばあさんや。卒寿までは長生きしないと、いけないな」妻は優しくほほ笑む。
「にゃおん……」陽だまりに穏やかな風が吹く中、どこからか珠の声が聞こえた気がした。

第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して自衛隊ミステリー『深山の桜』で作家デビューしました。 プロフィールはウェブサイトにてご確認ください。 https://kamiya-masanari.com/Profile.html 皆様のご声援が何よりも励みになります!