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満艦飾  SS0011

海の日 2018/7/16

 姉貴のことは嫌いじゃない。ただ、深夜まで試験勉強をしていた大学生の俺を、早朝に叩き起こして、新潟まで運転手をしろ、というのはさすがに如何なものかと思う。

 栃木県のさくら市の実家から新潟港まで、俺は眠い目を擦りながら高速道路を飛ばす。
 彼氏に会えると浮かれる姉貴は、「まんかんしょくっ、まんかんしょくっ」と騒がしい。
 何なんだよそれはと聞いたら、軽蔑の目つきで、「満艦飾も知らないで、ボーイスカウトにいたなんてよく言えるねー」と仰った。
 いやボーイスカウトは山だから。海洋少年団にいた海好きの姉貴に、訓練と称して海でしごかれ溺れかけてから、俺は海も潮の匂いすらも大嫌いだ。我が故郷に海なぞはない。

 海上自衛隊の艦船は、海の日など幾つかの祝日の際、停泊中の船を艦首から艦尾まで信号旗で派手に飾るらしい。姉貴の彼氏は海上自衛官で護衛艦「ひゅうが」の乗組員だ。新潟港で行われている「海フェスタにいがた」のイベントで一般公開するため寄港している。

「護(まも)ちゃん、やけにノリノリでさ。この間、変なダンスの動画を送ってきたの。見る?」
「運転中だよっ」スマホの画面には、両手を盛んに動かしている彼氏の動画が見えた。
「何それ超うけるーって返したら、ずっと既読スルーなのよ。怒っちゃったのかな……」

 海関係の集まりで知り合い、もう付き合って二年近く経つらしい。海上自衛官でなく陸上自衛官だったらよかったのに、と俺は思う。
 そりゃあ姉貴の幸せは願っている。父子家庭だった我が家では、姉貴は母親のような存在だ。後部座席で寝ている無愛想な妹ももう高校生だ。一抹の寂しさは感じるが、そろそろ姉貴は自分のことを考えてもいいはずだ。

「ほら、陸夫(りくお)、もっと飛ばさないと間に合わないよ」と頭を叩かれた。まあ、まだいいか。

 連休最終日ですごい人出だ。「ひゅうが」に並ぶ長蛇の列を見て、姉貴は早々に見学を諦めた。満艦飾もしておらず、姉貴はぶつぶつ文句を言いながら、屋台で海の幸を頬張り、昼間っからビールを飲み始めた。一応、彼氏が航海中、姉貴は大好きなお酒を断っている。

 いつまで経ってもこない姉貴に痺れを切らして、彼氏から連絡がきた。船首の日の丸の所にいるらしい。三人で東埠頭に向かう。白い制服姿の彼氏を見つけ、姉貴は無邪気に手を振る。彼氏は真顔で両手を動かし始めた。
「やだー、またあのダンス踊ってる。はやってんのかな」赤ら顔の姉貴は恥ずかしそうだ。

 踊っている割りには、直立不動の姿勢が多いし、足も動いていない。
 ──ん、これは。俺は右手を斜め上に挙げ、上下に振った。
 俺の動作に気付いた彼氏は、気を付けをし、両手を垂直に挙げ、水平にまで何度か振る。
 俺は右手と左手を、交互に数回挙げた。
「何、陸夫も踊ってんのよ、恥ずかしい」
「ケツコンシヨウ シアワセニスル」
 彼氏から、赤白旗のない手旗信号が届く。
「ワガアネワ テバタヲゲセズ」
 ボーイスカウトも手旗を習うが、きつい訓練に耐えきれず海洋少年団を一か月で辞めた姉貴は知らない。海洋少年団にいたことを自慢したのだろう。彼氏が困惑の表情をする。
「ドウシヨウ」、「シランガナ」、「コマツタ」、「アタツテクダケロ ホネワヒロウ」
 彼氏は意を決したかのようにうなずいて、両手を口に添え叫んだ。「結婚しようっ!」
 姉貴の顔がみるみる赤くなる。周りの観客が拍手と野次を飛ばす。上空を祝福するかのようにブルーインパルスが飛んだ。空派の妹が呟く。「いいねー」。満艦飾のような一日だ。
 俺は思った。まあ、海も悪くはないか──。

第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して自衛隊ミステリー『深山の桜』で作家デビューしました。 プロフィールはウェブサイトにてご確認ください。 https://kamiya-masanari.com/Profile.html 皆様のご声援が何よりも励みになります!