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碧い花  SS0008

 母の日 2018/5/13

 また花が、無惨にへし折られていた。

 数十本の白いカーネーションのつぼみが、朝日が射し込む温室の地面に落ちているのを見て、私は大きなため息をついた。
 夫が脱サラをしてから十年が経つ。花卉(かき)園芸農家をやりたい、と相談された時は、目の前が真っ暗になり、大反対をした。しかし、始めてみると、花の栽培は思いのほか面白かった。最近は売上悪化に悩む夫を差し置いて、私は経営拡大を目論み、精を出している。
 もちろん植物相手の仕事だ。天候や市場などの影響をまともに受け、土日もない。結構、力も必要な仕事で、夫婦二人だけの経営では、体への負担も大きい。ここ数年、酷使しすぎた身が悲鳴を上げることも多く、昨年私は、二度も入院した。繁忙期には、一人娘を近くに住む父に預かってもらうほどだ。幼い娘はそのたびに泣いたが、去年、小学校に上がってからは、ぐずることも少なくなった。
 カーネーションは主力商品だ。赤、ピンク、黄色、多くの種類を生産している。ゴールデンウィークの今は、母の日に向けて、一年で一番忙しい。娘も母の日までは父の家だ。
 温室の片隅では、白いカーネーションをひっそりと栽培している。商品として販売もしているが、この一角は、私にとって、幼い頃に亡くなった母を想う──追悼の場所だ。
 その白いカーネーションが、ここ数日、何者かによって、みじめに手折られている。
 温室の入り口は一応鍵を掛けているが、忙しい時は忘れることも多い。長野県の田舎町だ。今までこんなことはなかった。目の前に公園があり、小学生がよく遊んでいるが、いたずらされたのだろうか。又は、最近よく経営方針でぶつかる、夫の意趣返しか……。
 私は肩を落としながら、土にまみれた白いカーネーションを、丁寧に拾い集めた。

 その晩、夫は農協の会合に出掛けた。薄暗い台所で一人きりの夕食を急いで食べ、疲れた体を引きずりながら、温室に向かう。明日、出荷予定の花の選定作業をしないといけない。
 闇の中、ぼんやりと光る温室に、動く影が見えた。掛けたはずの扉の鍵が開いている。慎重に近づいていくと、誰かが白いカーネーションの前に立っていた。私は息を呑んだ。
 ──娘だった。
 娘は何かを考えるかのように、しばし佇んだ後、意を決して白い花を乱暴に折り始めた。
 飛び出して怒ろうと思った瞬間、体が固まった。娘の頬に涙らしきものが光った。娘はつぼみを数十本折り、急いで鍵を閉め、温室から出て行った。父の家にも鍵は置いてある。
 私は、しばらく呆然とした後、立ち上がり、痛ましく折られた白い花を見下ろした。娘は咲く前のつぼみを選んで折っている。まるで咲くことを、禁じるかのように……。
 白いカーネーションは、亡くなった母を偲んで捧げると言われている。ため息をこぼす。

 会合から返ってきた夫に、私は経営拡大ではなく縮小をしようと提案した。それでいいのか、と訝る夫に、「もう少し家族の時間を持ちましょう」と言った。夫は優しく笑った。
 娘が帰ってくる日まで、私は咲く前に手折られる白いカーネーションを片付け続けた。今年は白い花が、温室に咲くことはなかった。

 母の日に、昼食を取りに家に戻ると、父と戻ってきた娘が、無邪気に遊んでいた。
 台所のテーブルに、我が家では栽培していない青いカーネーションが飾ってあった。青いカーネーションの花言葉は──永遠の幸福。
 透明感のある柔らかく優しい青色の花は、宝石のように輝いていた。碧い花を見ながら、私は目頭を押さえた。
 ──今日も頑張ろう。

第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して自衛隊ミステリー『深山の桜』で作家デビューしました。 プロフィールはウェブサイトにてご確認ください。 https://kamiya-masanari.com/Profile.html 皆様のご声援が何よりも励みになります!