父が急死しました
夜21時頃。
突然母から電話が来た。
「パパが倒れて息してない」
詳しく聞くと、トイレで倒れてから救急車を呼び、そのまま病院に搬送され、その間ずっと呼吸が止まっているとのこと。
病院までは車で片道40分くらいですぐに駆けつけたが、心臓マッサージの機械が「コシュコシュ」と父の胸をただ圧迫してる様子を見て、延命措置を止めてもらった。
享年51歳だった。
それからは、葬儀の場所を決めたり、父の死因の説明を聞いたり、関係各所に連絡したりと、嵐のようにやることが舞い込んできて、父の死を受け止める余裕もないまま、通夜、葬儀とこなしていった。
葬儀後も、父の負債が見つかったため、相続放棄の手続きや香典返しの手配、お金の計算など、やらなければいけないことだらけで、全く心休まらない日々。父のことを考えても、思い出よりお金のことがちらつくのは自分が薄情だからだろうか。
母とは血はつながっていない。
いろいろあって、半ば他人のように感じていた。母が生んだ弟が2人いるが、彼らはまだ学生でありながら、父の死をしっかりと受け止められていて、感心した。
低学年の時に夜逃げのように家を出て、父と引き離されて、少し大人になったら次は父の死だ。普通だったら荒れても誰も何も言えない環境なのに、強く生きている。
自分はどうだろう。
いつからだろう。
父が父に思えなくなったのは。
あんなに大好きだったのに、少し離れるだけで寂しくて泣いてたのに、父のことを考ることもなくなったのは。
まだ29年しか生きていない。
ただ、その29年間で随分歳を重ねた気がする。
嫌なことがいっぱいあった。
逃げたこともいっぱいあった。
そしてもう、あんまり生きることへのこだわりもない。
いつ死んでもいいし。
いつ死ねても幸せ。
2度と幸せな家族の風景は見ることができない。
帰る実家だってない。
それを作ればいいという励ましも有難いけど、やっぱり自分も子供でありたかった。
父は死ぬ間際の最後、何を思ったのだろうか。
地獄のような現実から解放されることを喜んだろうか。
それとも、もっと生きたいと願ったのだろうか。
今もなお、涙は出ない。
多分一生涙は出ない。
世の中に希望はない。
そして絶望もない。
機械に生かされてた時に握った父の手。
父の手に触れたのはいつぶりだろうか。
あんまり怒られも褒められもしなかった。
父の手は冷たさを通り越して、ただの肉と皮膚だった。
49日が終わればどうなるだろう。
母は旧姓にもどり、弟たちも旧姓になるだろうか。
それを咎めたりはしない。何もかもそのまま受け止めればいい。
生活だって変わりはしない。
元々父とも1年に1回会うかどうかだった。
現に月曜日からは、また普通に仕事をしている。
みんなが悲しんでる。
みんなが前を向こうとしている。
その中で自分だけが飄々としている。
悲劇とも思わない。
辛い過去をファッションにもしない。
普通の家庭がある数と同じくらい、こういった家庭があるのを知っている。
こうしてもっと他人に優しい人間になっていく。
物怖じはしない。
いつ死んでもなんとも思わないから。
あした死んでもいい。
今死んでもいい。
死んでもいい。
それくらい生きたはず。
悲しみは比べられないけど。
まあまあ悲しかったと思う。
寂しかったと思う。
今はそんな気分もどっかにいった。
自分すらも他人。