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知らない恋人【1】

忍の一字で生きて来た母

母がガンだと知らされた時、あぁ、そうだろうなと思った。

我慢強く、語らず、自営業の父と共に黙々と仕事をし、父が下町のおっさん達と釣りだ野球だ、飲めもしないのに飲み会だと散財しようが文句も言わず、自分のモノを買うより、父の親族、親戚の子供にまで小遣いをくれてやる始末。
自分の為にお金を使えばいいのにとか、自分の事を大事になんて言っても残念ながらプライドが高く、人様に恥じない付き合いの為に自分は我慢するヒト。

息苦しい…
母を見ていてそう思っていた。
黙って尽くして幸せだと微笑んでいるならばいい。
でも幸せそうに笑っている母の顔が思い浮かばない。
何かに苛立ち、私に八つ当たりをし、それをしていないと言い張り…長女のワタシは、
(あーはいはい…大変なんですねー)
と流すのみ。

私は離婚後も実家を頼る事なく、距離を置いたまま。
そして母も大丈夫かと連絡してくる事もない。
クールな関係だった。

そんな母がある日、父の事を相談して来た。
自分は愛されて来なかった。
父の関心は常に子供と外にしかなく
自分は決して大事にされては来なかったと。
なんだ、どうした今更。
それを私に言ってどうして欲しいのだろうか。

私は覚えている。
父が買い物へ行こうかと誘っても
「行かない!」
と頑なに言い張る母の姿を。

また別の日には、
口紅を塗り、財布の中を確認してパチンと閉じ、
「はい、行けます」
と言った母に、父が
「えっ?お母さんも行くの?」
とふざけて言った途端に、財布の入った手提げをすぐに仕舞って、まるで行く気などなかった振りをした母を。

(タイミング悪いなウチの親…)
と思っていた。
片方がたまにかける声に、お互いがまったく素直に答えられない。
挙げれば些細な事ばかりなのだけど。

父がお金の管理をしていたのも問題で
母はもっと家庭に入れてとは言わなかったし、母が我慢したおかげで家や車を買って自営業でやって来られたとも思う。
ただ、女性にとって買い物ってやっぱり自分で残高を知っているから出来る訳で、手持ちを使い切ってもまた貰えるかしらとか、これ買ってもいい?とかスパッと言えるタイプじゃない母は、心の中で
(そんなにヘラヘラ買い物に行ける程貰ってないわ!)
と思ってたのかもなと察する。
かといって、可愛らしく
「買って♪」
とか言えるか!とつい意地を張る気持ちも分かる。

でも、もう70を過ぎ、結婚生活50年を迎えても尚、母は愛されたい、愛されてると実感したいのだと思った。

だったら全部父に話すしかない。
全部話してぶちまけて寂しかったと言えるなら言った方がいい。
父はたぶん、まったく察する事が出来ていないのだから。
まさかお金が足りないのに、足りないと言わない訳がない。
自分は頑張ってお金を貯めて家も車も買ったのに、それでも不満な訳がない…と。
一緒に働いて来た母に感謝もしてるし、それをいちいち口に出さなくても分かってるはずだと。

典型的な昭和の父。
そしてハッタリで生きてる下町の父。
悪気はないが、すげー迷惑な父をずっと愛して来た母。
愛が足りないというのによくもまぁ50年も…。

私ならとっくにブチ切れてるし、離婚出来るなら逆にハッピーだが、…で、私はハッピーな離婚しちゃったんだけども…それはさておき、母は父に愛されたいだけで離婚などしたい訳じゃない。
確認がしたいのだ。

想いを小出しにしたところで父に通じる訳もなく、昭和の江戸っ子オヤジが、それが愛だとは言えないんじゃ無いかなぁ…。
そもそも愛してるだ、大事だなんて言えるかってんだ!
っていう父だから。

かと言って一旦崩れた母の気持ちが納まるはずもなく、この戦いはしばらく地味に続くのだけど母のガン発覚で大きく展開して行く事になる。

はぁ、こうして書いてると私は母親の性質と似ていて同じような事してたんだと自覚する。気をつけたいわー。

<続く>

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