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HSCってなに?不登校っていけないの?【4】

<豊かな心模様は見せて行こう>

※こちらのイベントは終了致しました為、場所や詳細は削除しております※

HSP/HSCという言葉が使われ始めましたが、繊細、敏感である人はもちろんのこと、洞察の鋭い系もいるし、責任感、誠実さを杖にして、辟易としつつ自覚なく働いていたり、しれっと社会に溶け込んでる風でやさぐれている私の様なモノもおりますので、相当数存在します。
5人にひとりはHSPと言われつつ、なんとなく社会に馴染んで見えるので目立たない。
外から見えていることなんて、その人のほんの一部に過ぎないのにね。

そしてこう書くと簡単に「みんな頑張ってるのに!頑張らない人が敏感繊細とか言い出してんじゃん?なんでもラベリングすんな」とも言われがちですが、今までなぜHSP/HSCという言葉が出てこなかったのかを考えれば分かるはず。

繊細、敏感であることを恥ずべき事と思い込んで来たから人に言って来なかったというだけ。
生物の生存戦略とも言えるというのに、なんと健気な!と思っちゃうよね。
HSP/HSCだから気を使ってくれとは言ってない。
『なんだ、繊細でいいんだ、敏感でいいんだ、めっちゃ洞察力働かせて先回りしていいんだ、こういう性質の人ってたくさんいたのか、良かった!自分だけじゃなくて!』
ってだけ。
無駄に気を使っていただく必要はありませんが、ご理解お願いしますってだけなの。

『繊細で生きづらい』などとやんわり表現されているけれど、人は子供であっても無理をさせると死に近づきます。
死にたいのではなく、消えたいとまず思う。
誰もわかってくれない孤独を抱えつつ、『みんなが行ける場所、みんなが出来ること』へと押し出される苦痛や恐怖。
でも怖いと言ってはいけない、通じない。
堂々巡りだと知っている。
「怖くてもみんな行ってる、慣れるものよ」と。

ただ、親の気持ちも分かります。
『おどおどしてるとバカにされる、お友達も出来ない、早く慣れて楽しく過ごしてほしい』って。

でもね、子供が行きたくない怖い場所に行くには『お守り』が必要なんですよ。
周りの理解とか愛を感じる言葉とかね。

私はよく、きれいな小石を拾ってポケットに入れてました。
『これがあるから大丈夫!』って。
ウチは典型的な昭和の親。
怖いし、理不尽だし、子供に甘くするとロクな子にならないと刷り込まれている世代。
なので私は親ではなく、小石とか、ビー玉とか、綺麗で自分の拠り所になるものをポケットに忍ばせて自分を応援していた訳ですが、結構すごくないですか?
賢い子供だわ〜!だてに幼少期からやさぐれてないわ♪
…とまぁ、私は私で自分の味方を自分でしなけりゃやってらんなかった訳です。

なのでね、世の中の刷り込みのチカラって不可抗力と言うか、『みんなそう』の中を生き抜く時、心を強くしていかなきゃと思う親を責める気にはならない。
ただもしも、自分の子供がHSCかもしれない…と気づけたなら、ご自分を責めるよりも、後悔するよりもまず、『あなたはこれだったんだね』って声を掛けて理解して欲しいです。
子供だった私が思うのは親の無理解を責めようとか、反省して欲しいなんてこれっぽちも思わない。
後悔して悲しんで欲しくない。
子供って親が自分のせいで凹む姿って見ていられないと思うんです。

「HSCだったのか、じゃあどうしたい?どうしていこうか」
と隣に並んで座ってくれたら、話しを聞いてくれたら満足です。
(あーーひとりじゃないんだ!)
と思えた時の安堵感と、『もう大丈夫なんだ!』と急に力が戻ってくる感覚、大人でもあると思います。

先日、デンマークのHSP協会の理事長、アティナさんのお話会の中でグループに分かれて色んなママたちとお話しした時も、ご自分がHSPだと知らず、我が子にも可愛そうなことをした(内容は控えます)と何度も口にされていた方がいたけれど、「それは私も同じーー!」と気持ちを共有出来てすごくほっとしました。
「ウチなんて娘がアラサーになってからの親子関係の結び直しでしたけど、なんとかなりましたよー」とかね。
我が子が心配だし、色んな恐れを知る前からこんなこともあるからこう対応して乗り越えたらいいよとか伝え過ぎてしまったし、かと思えば怯え過ぎない様に、そんなのなんでもないよ大丈夫!と平気なふりをしたり、親だって試行錯誤、良かれと思ってが良くなかったなんてことザラです。
だからこそ横の繋がりって大切で、「ウチはこんなだったー」って話せる場が親にも必要だと感じます。

お母さんの笑顔がイチバン…「そんなことは分かってるけど笑えません!」て人、たくさんいると思う。
子供が才能に溢れてるなんて言われても、「飛び抜けて上手じゃない、そうは思えないから、ウチの子は芸術家や才能をいかした将来なんて見えない!」って親御さんも居ると思う。
HSCちゃんでも、その場に慣れるのがとても大変だったとしても、応援してくれる大人、理解してくれる大人がいれば勇気が持てたりするんだけれど、まだそこまで行けてないとつい、才能だとか、まずお母さんが笑おうと言われても苦しくなってしまう。
今はそれでもいいし、ただ、何か描く、書く、写す、作る、踊る、歌うでもいいから、『今』の自分の心を表現するツールとして使ってる子たちはこの様にしてますよというモデルケースを観る感覚でサイトを覗いてもいいと思うんですよね。

画家になる子だけが描くものが絵ではないし、小説家や詩人になる子だけがお手紙を書くわけでもないから。
ただ家にいて、時間があればあるほど自分を責めてしまうなら、なんか手を動かそうか!みたいに気軽に。

ひとつ言えるのは、芸術家タイプでなくても、ちゃんとHSPに合った仕事もあるからね。
私は通販関連の仕事をしてたけど超面白かった。相手の顔を見ずにメールで相手の要望を探って行くとか、苦情に対してどこをカバーすれば相手が自分のお店の常連になってくれるか…を、共感性と洞察力を使って対応して行く、顔を知らない人と信頼関係が出来て行くのがめちゃめちゃ楽しかった!

『飛び抜けた何か』があるとかないとか関係ない。
まずは誰も悪くないこと、そして自分自身を、我が子を個人として見てみる。
世間体や、世間の助言はひとまず聞かない。
特に『普通は』と『みんな』という言葉は押入れの隅でも突っ込んで。
無心になって手を動かしたり、没頭していると徐々に自分の好きなものが分かったりする。
徐々に徐々に、押し込めていた心がじわじわと膨らんでくるから。

まぁさ、世の中って不登校でしょんぼりしてると世間は納得する訳で、元気にルンルン散歩してると『なんで学校行かないの?』とか言いたいみたいだけど、だーれもあなたの人生の責任は取れない訳ですよ。
ポストに何百万も入れておいてくれる訳でもないし、ピンポンして美味しいご飯をご馳走してくれる訳でもない。

だったらせめて家族で理解し合って、世間の言うことは一旦聞こえないフリをして、同じ頑張るなら楽しめる方向へ頑張ろうよ!…と書くと、『もう頑張れないよー!もう頑張ったの!』と泣き出す人もいるかもしれないけど、じゃあ泣いたらいい。

泣くと心配されるとか、負けた気がするとか、もういいじゃない、そういうの。
大人だって泣けばいいし、嘆いたりしてからやっとちょっと元気なれたりするから、子供ならなおのこと。

ただ、親の立場でお願い出来るとしたら、早めに言ってくれ…ってことかな。
ウチの娘も限界越してからの連絡とかザラで、「私だってHSPなんだからね!」とキレたくなること山の如し。

ギリギリまで我慢しがちなHSP/HSCたち。
余力があるうちに進路変更すれば傷は浅く済むから、自分の心の手の鳴る方へ!

では、
またね!

世の中、捨てたもんじゃないよ!

サポートして頂けると嬉しいです。パソコンがそろそろ寿命なので買い換えたいです!🤣