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わたしが政治家を目指した理由

子ども時分から、大の本好き。
小学校時代は図書委員。
中学ではアナウンス委員。
高校では文芸部。
大学では仲間と雑誌を作りを楽しむかたわら、新聞社での原稿係りや家庭教師、イベント司会なども手掛ける。

高校生のときに、落合恵子さんの『恋は二度目からおもしろい』という本に出会う。
アナウンサー、作家、女性と子どものための本屋さん「クレヨンハウス」を青山に構えている落合さんならではの、女性が社会で働きながら生きていくには、という本を読み、ぜひに本の作り手になりたい!

その一心で大学卒業後、出版社に入り、放送局や衛星番組の紹介などを中心とした月刊誌の編集に従事。企画、取材、写真撮影、原稿作成、編集、校正、と1人6役を兼ねる。

その後、本来作りたいと思っていた女性のための書籍や生きる勇気の湧く人生本を手がける。

なによりも、社会人になって1995年3月20日の地下鉄サリン事件。宗教団体の毒ガスにより多数の死傷者を出し日本社会の信頼感を根底から覆すほどの未曾有の事件が起こったことから、私自身にも徐々に気持ちの根底に、本作りと社会作りとを結んでいきたいと痛感。

自分自身に何ができるのか。。。

生きるのが大変で困難な世の中だからこそ、生き抜くためも、家族や友だちや仲間たちに大丈夫?って声を掛け合い、勇気づけあえるように、生きる勇気の湧くことばを紡いでいきたい。

それから出版社の社員編集者、市立図書館での嘱託職員を経て、出版広告の企画編集の個人事務所「プレシャス」を立ち上げ、出版物やチラシなどの出版広告物を作成。

同時にビーズアクセサリーの講師の資格を取り、10年以上生徒さん方にユザワヤ吉祥寺店、立川店、多摩センター店、多摩センター学院で教えさせていただく。

結婚、子育て、そして肺がんが見つかり亡くなるまでの間の父の看病、その後の東村山市内で起きた母の交通事故による後遺障がいや介護などを通して市内をもっと住みやすく、暮らしやすくできないか周りと話し合ったり、運輸のパート事務員に就いてから、物流に関わる人と交通不便地域や危険箇所、防犯について感じることも多数。

子育てと介護は私達の世代は重なってくることが多く、日々の生活で疲労困憊し、疲れ果て行政には補助金の申請や、書類の届出くらいしか足を運ばないことが多くなり、もっとも政治を必要とし、政治の支援が必要な世代にこそ、行き渡らないことを痛感。

地域活動、保護者会を通しそんな抱え込んでいる声を共有し、行政に届けていきたい。
これからの未来をつくる子どもたちに残す社会は、今の私たちが作っている。

そんな思いから政治の世界を志すようになり、当時、DV被害者支援活動もしている中で、市民活動と政治をつなぐ場として、民主党大学の第4期生となる。
民主党の都議、国会議員から政治を学びつつ、当時厚生労働大臣であった、「ミスター年金」こと長妻昭衆議院議員から「至誠天に通ず」「未来を予測する最善の方法は未来を創造すること」と学び、ながつま昭未来創造塾にて第4期生。

その後、2011年に東村山市議会議員に立候補するも落選。2015年に再び挑戦し、当選させていただきました。

みんなで、
つながりあいたいです。

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