見出し画像

夏休みと研究と私

やや方向性迷子しながらも先日の研究会でだんだんとここから手をつけよう…みたいになってきた院生です,こんにちは.
お盆休みも今日で終わりですね,私ですか?研究者を目指しているとは思えないくらいのオフを過ごしましたが,代わりに行きたかった展示や美術館には行けました.

今日は特に目次を設けないでだらっと書きます.

・D生としての夏休みの過ごし方
・帰省中の彼と家族含めた一大イベント
・焦りと地道な研究のこれから

みたいにだらっと書いてきます.(設けてんじゃん…)

D生としての夏休み

 去年,「来年からはD生だからザ・学生の夏休み,は今年で終わりにしよう!」と言っていた自分はどこへ行ってしまったんだろう…とか最初思ってしまいました.
 夏休み.期間も一般的にはお盆休みのあたりで一週間前後で,大学や院では期末考査が終わり次第新学期まで,という期間.そんな中で毎日夏休みのように時間を与えてもらっているD生は,毎日の繰り返しというか同じような過ごし方をして,研究もちゃんとやっていつもと変わらない毎日を過ごすこと,夏休みなど関係なく研究をしなければ研究者になんてなれない,夢物語,人生そんな甘くない.そんなことを考えてました.
 実際前期は研究研究,となって思い詰めてはゼミで泣き,家族にはラインで焦らずにと言われ,彼には電話で慰められ,助教に叱咤激励され,博論のとき死ぬぞとか脅されたり(笑)して,気付いたらM生(修士課程)の頃よりも行きたかった展示やデザイン関連の展示,幅広いインプットができていなかったことに,前期の中間発表が終わって前期を振り返ってから気が付きました.自分が研究に必要な展示や博物館,資料館,図書館には通うけれど,Mの時には出来ていた,気になっていた展示とかふらっと立ち寄ったデザインの展示をついでに観て行くということが出来なくなっていました.資料とか,それだけで疲れてしまって研究の資料は勿論大切だけれど,視野を広げるためのインプットが疎かになってその視野を広げるための「余裕」が本当になかったんだと思います.
 そういう意味で,遠距離中の彼が仕事終わりの金曜の夜,定時上がり一番の新幹線で帰省してくれて,いつもよりも一日長く日曜日までいてくれたことは少し,息抜きでありガス抜きにもなり,私が意識的にしないと断絶できない研究というものを切り離してくれたように思います.オンとオフの付け方の話です.私はこういったスイッチの切り替えは下手ですし,Dの期間はそのオンとオフの切り替えをできるようにする事も目標にしているくらいです.今はまだ誰かに言われたりしないと気付けないので,寧ろお盆休みをがっつり,普段はゆっくり遊んだり一緒に展示を観に行けない彼と過ごせたのはインプットにもなり,ストレス発散にもなり,明日からの作業効率の向上にも繋がったので,最初に述べたような去年決めた私の理想のD生の夏休み(仮)というものは,実際に研究生活をして私にはまだまだ高すぎる理想でした.きっと研究者像としては理想なんでしょうけど,修行の身としてはハードルが一気に上がったようなものでした.人間,よく笑い,程々に泣き,そして学業(仕事?),というのがいいのかもしれません.

彼と家族含めた一大イベント

 ということで,今年の夏休み,実は少しドタバタしておりました.時を遡ること2ヶ月か3ヶ月ほど前,遠隔のラインを飛ばしまくりまして,西は両親のソウル,そして広島,東京,彼の実家,という見えないやり取りが縦横無尽に飛び交っておりました.色々と調整をして,8/11に無事両家顔合わせというイベントができました….
 もとよりフォーマルなものが嫌というか堅苦しいことが苦手な私たちの特性と彼の両親への思いと色々を含めて企画から現地の下見までして,全部遠隔でやり取りをしたのは正直大変だったので勿論大事な話は電話などで直ー間接的に話し合いましたが,こういうのは直接話し合うのが一番ですね….それができないのでこうなっていて仕方ないのですが.
 というわけでして,正直まだ経済力もなく大学院に所属して研究している身での結婚話というのは戸惑うというか困らせたり迷惑をかけたりするのではないか,という不安や相手側の受け止め方だったり思うところはたくさんありました.ただ,今一番私が時間を持っていて研究をしながらでも彼のサポートをして,もっともっと忙しくなる前に籍を入れるというのは色々と考えた末ですし両家共にもう公認なので,研究をするにあたって彼がいることの後ろ盾というか精神的な支えは大きいです.D生はお母さん学生もいらっしゃいますし,もう大学院は日本でよくイメージされている大学とは全然違うところだと私は思っています.(というか日本が硬すぎる…)
 何歳で就職,何歳で結婚,出産,何歳で〇〇みたいに区切るのは言葉が過ぎるのを承知で言いますが古臭いと思います.フランス留学中は同じ教室でL2(学部2年)の授業をもう50近いマダムと一緒に,もうバカロレアをとって飛び級した17歳の生徒が勉強していました.韓国にいる両親から聞いたのは,韓国の大学戦争の背景にあることですが,就職に到るまでに1年以上海外でのインターンが必須とか,男性は徴兵制がありますし,新入社員や中途でも,所謂「同期」という年齢層は幅広く,スキルや出身大学含め選考しますが寧ろ「同期が同い年なのは当たり前」というのはほとんどありません.最近は人生100年なんとかで私の大学でも50代以上とか大人をターゲットとした受験制度や学費形態などがあります.
 理解のあるご両親で本当に頭が上がりませんし,受け入れてくださった彼にも感謝しかないです.

焦りと地道な研究のこれから

 ということでやったー!となるとすぐに舞い上がってしまうのが私の悪い癖で,研究でも少しいいデータが取れただけで先生!先生!とか騒いでますし,落ち着きのない私ですが,本当にせっかちで焦り癖が酷いです.昨日も彼にまた確認されたり焦り過ぎてない?とか,人に言われないと全く焦っていることすら気付かないポンコツです….
 それでも夏休み強制的に休んで,ちょっと休み過ぎない?ヤバくない?とか思っていたところからまた明日からの研究に繋がっていきますし,そんなにすぐ結果とか研究なんて大成功!なんてことにはならないので,これからも地道にやっていきます.
 夏休み入ってすぐに京都で開催された研究会では,D生は私だけでした(苦笑)が,とても勉強になることばかりで楽しかったです.そして二日目は円卓でシンポジウムがあったのですが,恐れ多くも発言してしまいました….というのも,学会なので大枠のテーマが被る研究者達と情報交換をしたり勉強会をしているわけですが,新聞広告やポスターなどを研究している方はいらっしゃいましたが「パッケージデザイン」をメインに扱っているのは私だけだったのです….本当に恐縮でしたが,先生方ともたくさんお話をすることができ,私はこの学会の中で今までいなかった分野をやっているのかな,という気がしてデザイン史の中でもパッケージデザインを研究していく意義はあるのかなというか,私がやりたい,という気持ちになり,そこでやはり研究成果を発表できるようになりたいと思ったのでモチベーションにもなりました.(とりあえず私の研究意義ってなんだったんだろう…絶望…からは抜け出せた感)中間発表直後は反省会やどうしていのかわからなかったことも,だんだんと,こういう路線で少し見てみようかな,というヒントを与えられた気がして明日からまた頑張っていきます.
 そして今週末には実家へ戻る引っ越しが待っていますが,その前に博物館で学芸員さんとの意見交換,そして引っ越しの2日後には初の筑波侵入してMの時から尊敬していた先生と研究と学会のお話をしてやることはたくさんあります.そのほうがなんか嬉しい.スケジュールが埋まってることほど嬉しいことはないな,と思ってしまいます.

ということで,今年の夏休みは「こんなに休んでよかったのだろうか…」ではなく「こんなにリフレッシュできてサイコーだったから明日から頑張ろう」ということで良かったのかな,と思います.
勿論一生懸命やるのは大事ですが,ただ計画性もなくがむしゃらにやるのは良くないなと思った夏休みでした.論文も章立て出来たので指導教員にもちょっと相談しながらジャーナル投稿目指してまず一本投げたいです,いや,投げます.笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?