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大学という組織について(1)自浄作用

こんばんは。久し振りの投稿となります、かんりにん1号です。
かんりにん1号はこれまで大学教員をしていたのですが、今年の3月で辞めました。思えば大学業界について若い頃より色々思うところがあったこと、むしろ自分のこれまでのノウハウを活かした起業に興味があったのでそちらに進むことにしました。
こんな記事を書いているのも、日本の教育とか研究が何処に行ってしまうのかなぁと思い、元大学教員の視点で綴っていきたいと思っています。

シリーズもの的になりますが、第1回は「自浄作用」について書きたいと思います。
かんりにん1号は色々な大学を転々としてきましたが、概して大学という組織は極めて閉鎖的と感じます。閉鎖的というのは、客観的・第三者的な視点に乏しかったり、人的な流動性がないことを指しています。何十年この組織にいるんだろう?という人達が多くいて、年功序列的?組織内ルール的?な不文律が多くまかり通っている気がします。
また最近は第三者的視点を入れようとしている大学もありますが、そういう外部の視点がない組織は、あらゆる意味での不条理の温床になっている、要するにブラックであるといって過言ではないと思います。
もちろん、そういった組織は「自浄作用」がありません。自浄作用の欠如の行き先は悲しいことに学生さんに行きます。要するに大学においてハラスメントというものが横行しがちなのも、組織として閉鎖的になりがちな大学特有のものがある様な気がします。

ハラスメントも色んな原因があるかと思いますが、される相手のことを想像できないこと、自分の満足?を優先してしまうこと、人間関係において理性的に判断できないこと、などが挙げられるのでしょうか。
もちろん完璧な人間などいるはずもなく、誰かを傷つけてしまったり、または傷を負ってしまうこともあるかと思います。
ただ「嫌だ」と言っているものに対して、「嫌」を止められないのは、ハラスメントをしている「本人の責任」といって差し支えないと思います。

残念ながら、その「本人の責任」を理解できない人は社会に一定数居るのだと思います。
その様な者が組織に居る場合、組織として何かしらアクションをしなければならないのは自明であり、それがコンプライアンスというものかと思います。
しかし「自浄作用」のない組織においては、コンプライアンスの遵守も危ぶまれるのも自明かと思います。

次世代を担う若い人を育てる場が大学であるはずなのに、平然とハラスメントを受けている学生さんを多く見ます。
本人がハラスメントと気付いていない、「嫌だ」と声を上げられない・何処に声を上げたら良いのか分からない、または「嫌だ」を押し付けられている原因は自分にあると考えているケースが見られます。
個人で何とかしようと思っても、自浄作用ある組織に変えるなど中々離れ業ですし、半沢直樹バリに痛快なチャンバラなんてさらさら期待も出来ません。

結局は学生さんにおいても、自分の身は自分で守るしかないということになるのでしょうか。。。
その種の「無力感」を、教員として味わうことが多くありました。

…という単なる報告の文章で、有効な解決策なんて思いつくほどアタマも良くなく申し訳ないのですが、ただこの「無力感」を共有したくて文章をしたためてみました。
最後まで読んで頂き有難うございました。

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