芸事のファンになること
知人の落語家の後援会メンバーとなり、二つ目昇進披露公演のお手伝いをさせてもらった。学びが多かった。
もともと自分が芸能人や伝統芸能のファンになったことがなく、そうした活動のことを理解していなかったわけだが、裏側から見て実感できることが多くあった。
育成の仕組み
一門制度をとっており、師匠や兄弟子が弟子を育てる。もちろん奉公の要素もあるが、一門がなければ芸事を一人前になるまで鍛錬することは難しいだろう。
そしてお客様は、おそらくはその師匠のファンだったのだろうけど、落語でいえば前座の段階からその弟子たちの応援もする。見込みがありそうな前座のファンにもなり、ちょっとした差し入れなどして応援する。だから、芸が未熟なうちから、お客様に鍛えられる部分があり、成長できる。
育成するというコンテンツ
そしてファンは、出来の悪かった前座が二つ目、真打と出世していくのを見て、自分が応援していたからだ、という実感を得る。そしてその実感は正しく、またうれしい。
自己肯定感を高めるための一つの手段としての自己有用感だ。自分が社会の役にたっている感覚。疑似的な子育ての感覚と言ってもいいかもしれない。ペットを飼う事と同じで、子どもを育てることのうち一部の要素だけを抜き出しているから、単純な喜びは子育てより大きいかもしれない(ペットロスが伴侶を亡くした悲しみより瞬間最大風速的に大きいのと同様に、子育ての喜びも必ず複雑な要素を持つため、手放しで喜びだけの子育ては存在しないだろう)。
AKBや地下アイドルの育成も、きっとそういう事なのだろう。
育成を外側に配置したビジネスモデル
では単純に、世の芸事が疑似子育てとしてビジネスとして成立し、今まで残ってきたのか。そうではない。単純に芸が、まず面白いからだ。芸能として見るに値する。つまりコンテンツの魅力がまずあり、それを育成・後継させていく周辺コンテンツが、芸事のファンになるという行為に含まれているという事だ。ただコンテンツを見るだけのファンでいることも可能でありながら、それよりはるかに大きな時間と金銭をかけるだけの商品設計がされている。それが日本の芸事のファンに対するサービスという事ではないか。
単純に売れるサービスを開発するだけでなく、そのファンになった時に、価値をさらに提供できる仕組みづくりをできないものだろうか。
神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/