ファスティングと聞き上手
先日、4日間のファスティングを行った。そこでの気づきが多く、また聞き上手について考えさせらえることが多かったので、ここに記しておきたい。なお、考えがまとまっているというよりも、気づいたことをそのまま書いているので、メモに近いものになっている。その点だけ最初に断っておきたい。
どのように行ったか
平塚にある株式会社いかすの白土ご夫妻にリードしていただき、オンラインでつながりながら10名程度が同じタイミングでファスティングに参加。事前に具体的なやり方と背景の考え方を教えてもらいスタート。毎日夜9時半にはオンラインミーティングを行い、各自の体調や気づきをシェアし、疑問を聞きつつ、瞑想なども行って翌日に備える・・という形で3日間を過ごした。
ファスティングの内容は、前日から徐々に食事量を減らしつつ、ファスティング期間中は酵素ドリンクのみで栄養を取り、頭痛などする際は塩をなめるというやり方。固形物を一切取らないファスティングだ。
どのようなことが起きたか
結果としては、それほど苦痛はなく、得るものが多かった。以下、時系列的に変化を書いてみたい。
1日目
緊張感がものすごい。これから3日間食べられないのか、という予断で身がすくむ。そして空腹感は強い。町中に出たときに飲食店から出てくる食べ物のにおいにものすごく惹かれている自分がいる。ずっと食べ物のことを考えている。つらくなって塩をなめるとものすごく美味しく感じる。
一歩引いて、自分が獣になっているような感覚を得る。本能的な欲求(食欲)が自分の思考の大部分を占めている。
2日目
朝起きたときから、それほどお腹が空いていない。何度か食欲の波はあるが、酵素ドリンクを飲むとそれで満足できてしまう。食べ物のことをそれほど考えなくなる。わりと上機嫌に過ごせるようになる。
3日目
朝から穏やかな気分でいる。あまり食べたいという感覚がなくなっている。その代わり確実に思考能力は低下しているようで、ミーティングなどでも思ったことをそのまま言う傾向が出ている(しゃべっているときはそうは思わない)。未来や過去ではなく、今やっていることだけを考えている感覚。とはいえ、集中力が増しているというよりは、他のことを考える余裕がないだけ、しかもそのことに対する自覚があまりないという感覚。
4日目
平塚に集まり、大根の収穫などをさせていただき、直接集まって感想などを言い合う。「同じ釜の飯を食う」という言葉があるが、逆の「同じ釜の飯を食わない」仲間としての一体感をものすごく感じる。平塚の農場の空気や土の感触がものすごくダイレクトに伝わってくる。はだしで土の上に寝ころびしばらく過ごす。なにも考えない時間が流れる。
まだまだいける気がするので、予定より少し伸ばしてこの日もファスティングをつづける。調子はほとんど変わらない。
5日目以降
食事をとり始める。徐々に力が戻ってくるのを感じる。ここ数日間、エネルギーが不足していたことに、食事をすることで気づく。ご飯のおいしさに気づく。
なんとなく、今までよりもコンディションがよいように思う。何か、といわれると難しいが、整っている感覚がある。
・・・
というわけで、総じて当初想定していたよりも、2日目、3日目となるにしたがって苦しさはほとんどなくなり、物事の考え方がどんどんシンプルに変わっていく感覚を味わった。今まで感じたことのない新鮮な体験であり、驚きだった。
またやりたい、と今は思っている。
聞き上手への学び
さて、面白い体験だった、で終わりになるかというと、そうはならない。身体性のある体験は、その時自分が生きている主題そのものに強い影響を及ぼさざるを得ない。以下、聞き上手について視座を得たものについて書いてみたい。
1.空腹は嘘である
空腹は嘘である。嘘というと言い過ぎかもしれない(実際にカロリーは足りていない)。ただ、1日目に頭の中を支配していた食べたいという気持ちが、2日目、3日目にはほとんどなくなっていた。むしろ、「数時間は1回食べなければお腹がすくに違いない」という先入観に自分の感情や、本能そのものがコントロールされていたように思う。新鮮だったのは、それまで自分の中で確信に近いくらい確かな、「腹が減る」という感覚が、いとも簡単に、食事をせずになくなってしまったその感覚だ。確かなものは何もないということが、すとんと腹に落ちてきた。
仏教における唯識などは、世界の確からしさとともに自分の欲も自らが作り出したという(正確には末那識という無意識の領域が作り出している)。修行によってそうした我欲に相対するために、修行の場では基本的に粗食であり、場合によって断食を含んでいるのは、大変自然なことであると感じた。欲をなくすために厳しい場に身を置くのではなく、欲を相対化し、消すことができることを確信できることに意味があるのではないか。
聞き上手に展開しよう。さて、自分の本能的な欲求そのものですらその程度の確からしさなのだから、聞き手として話を聞く際の、相手に対する前提や先入観にどれほどの確からしさがあるだろうか。聞き手として求められるのはすべての先入観を消し去った前提を用意して話を聞くことであり、それは訓練を積めば不可能ではない―とてもとても難しいがーということを実感できた。このことは大きい。
病気だから辛いに違いない、名誉ある職業についているからやりがいがあるに違いない、子供3人に囲まれて幸せに違いない・・・そうした先入観もそうだ。仮に話し手がそう思っていても、そこに対して絶対視する必要もないし、正しくもない。本人自体が騙されている可能性もあるし、いずれにせよ重要なのはその詳細であり、その気持ちそのものを聞くことなのだ。その聞く対象となる心そのものも、不確かでうつろいゆくものである前提をもって聞けると、今までよりも落ち着いて、泰然と聞けるのではないだろうか。そう思った。
2.イマココ感
ファスティング期間中は、イマココ感を強く覚える。過去や未来のことを考える時間が減り、いま、ここにいてやっていることだけを考えるようになるのだ。酩酊感のないアルコール摂取中のような状態に近いかもしれない。
実際は脳に十分な栄養がいかないために、脳がマルチタスクでなくシングルタスクになった結果、今にしか気を向けられないということなのではないかと思うが、これは意外と悪くない感覚でもあり、より直観的に意思決定をしている感覚でもあった。
聞き上手においてもイマココ感は重要だ。イマココで相手の話を聞く、それだけに自分をおき、他のことから遠ざける。Aという会社で辛い目に合っている話をされているときに、Aの製品やA社の業績に連想を飛ばさず、目の前の話し手の感情だけに集中し続ける。これができれば、相手にとって聞き手の価値はとても高いものになるだろう。
もちろん、聞き上手はイマココだけで話を聞くことでは足りず、より俯瞰的に、コミュニケーション自体の状況把握・時間管理や、「いま話し手は〇〇という感情でいる」というメタ認知的な気づきも必要である。使い分けは非常に難しいが、最低限のメタ認知要素を残しつつ、ここぞというときにイマココで話を聞けると、よりメリハリの利いた聞き上手が展開できる。すぐには難しいかもしれないが、あるべき聞き上手のイメージがより先鋭化されたように思う。
余談だが、最終日、車を運転して平塚を往復したのだが、車の運転のイマココ感はすごかった。特に解散が発表されたDaftpunkを聞きながら運転したときは、音と道路だけが存在する時間があり、とても心地よいものだった。
3.多様性を認めるというより、所与のものとする
ファスティングはそもそも、ダイエットのために行うものではない。腸内にいる細菌や細胞に余計な消化物(=仕事)を与えず、休ませる。それにより本来あるべき腸内環境を作る、というのが目的だ。
その考え方の根本にあるのは、腸内フローラという腸内の細菌の多様性に対する信頼感だ。腸内には1,000種1,000兆個以上の細菌がいて、それぞれ影響をしあっている。そして、ファスティングをして腸内をニュートラルにすることで、それが本来あるべき整ったバランスに戻る、という考え方がベースにある。多様性を信頼している。
そして、今回のいかす農園で話を聞いて初めて知ったのだが、いわゆるオーガニック栽培も同じ考え方に基づいているのだ。自分は今まで、オーガニック農法というのは、無農薬にすることで農薬という悪い物質が野菜につかないことで健康に良く、美味しい野菜を作るということだと理解していた。実際は、その側面もないことはないだろうが、むしろ野菜をとりまく細菌たちの多様性を維持し(農薬をまくとあらゆる細菌が死んでしまうので多様性が著しくなくなる)、その多様性によって野菜が美味しく育つことに期待をすることだという。
つまり腸内で多様性を認め、畑で多様性を認めることが、フラクタルにつながっているのだ。人間社会にも同様のフレームを適用することができるだろう。社会そのものにも多様性を認めるべきであるし、そもそも多様性が前提になっている。その多様性の何かをつぶすのではなく、その中の何かに価値を見出し、引っ張り出し、価値を顕在化させること。それが社会のあるべき姿でもあり、企業であれば競争優位性にもつながるだろう。
そう考えると、まさにそうした多様性の中から「何か」を見つける作業にこそ、聞き上手が使えると言えるだろう。前提として対象に価値を見出し、暗黙的なものを含めて拾い上げるコミュニケーション技術である聞き上手が、多様性を前提とした企業の中でできることはまさにこれからより重要になっていく。そう確信した次第である。
まとめ
やや牽強付会になってしまったと思われるかもしれない。今回強く感じたのは、なんでも聞き上手につなげたいわけではないのだが、聞き上手という技術が背景に持つ価値観が、ファスティングやマインドフルネス(もしかしたらオーガニック栽培も含めて良いかもしれない)などが持つ価値観と、かなり近しいということだ。だから、学びがそのまま聞き上手に展開できると確信した。
すなわち、あるべき聞き上手とは、自己/自我を絶対視せず、今ここに注目し、多様性を所与とする。
これから聞き上手を発展させるにあたっても、上記を常に意識し、考えを深めていきたい。
神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/