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わたしはきのう死にました

『私、死ぬのか。』


深夜。

急激な頭痛と吐き気に襲われ起き上がれず、
もうろうとする意識の中で思ったこと。

となりには必死でスマホで
症状を検索してくれている夫と、
お見舞いのみかん(自分の大好物)を
持って心配そうにのぞき込む3歳の息子。


『死んでも、いいな』


超絶ビビリの私は、
自分の思考回路にびっくりした。


ふだんはさほど健康に気をつけて
生活している方ではないけれど、

いざ体に不調がでようものなら
ものすごく焦ってあの手この手で
長生きしようとするだろうなって
思っていたから。


遠のく意識の中で
不思議と冷静に自分の思考を
たどっていると、

意外にも奥底から
浮かび上がってきたのは・・・。

大切な人に囲まれて心配してもらえている。
これ以上に幸せな事ってないよね。

会社をやめてずいぶん生きやすくなったとはいえ
これからも大変なことがたくさんあるだろう。

だったら今このときに
死んでおくのもありなのかも。

つまり、

今私は幸せだ

ってことなのか。


日常を過ごす中で、
自分がいま幸せかどうかって
あまり考えていなかった。

でも、これまで、
「辛い」「しんどい」って
思いながら毎日を生きてきて

いつの間にかそう感じなくなっていた。
それってつまりは史上最高に幸せってことじゃないか。


ほんと。
幸せって身近にあって気づかないものなのね。


・・・そんな風に思考グルグルしているうちに
気を失って朝になった。


目が覚めると、隣には夫と息子が寝ている。

『あ、まだ、生きてるみたい。』



なんだか
一度死んで生き返った気持ちだ。

昨夜の割れるような頭痛も
胃がねじれるような気持ち悪さも
嘘のようにひいている。

頭はぼーっとしているけど
心はじんわり暖かだった。

昨日のことは、
きっと神様がくれたギフトに違いない。


これまで、
生きることが苦しかった自分。
人を思いやる余裕がなかった自分。
保護され助けてもらうばかりだった自分。

そんな自分を卒業して、
これまで私を生かしてくれた人へ世界へ
ご恩返しをしていくために

もう一度
記憶をつないだままいただいた命なんだ。


そう感じると朝の空気が違う気がした✨




思いがけずはじまった人生の第二幕。
これからどんな日常を過ごしていこうかな✨


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かみちゃん@愛と自己探求の日々
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