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生きているだけで価値はあるのか?

私はもうずっと長いこと「誰かの役にたたなければ生きている価値がない」という考えにとらわれて生きてきました。
好きなことも得意なこともなく、何をしても人並みにこなせない自分が嫌いで、必死で自分にできることを探そうとしていました。

「自分には何の取柄もなくて苦しい」
「誰かの役に立ちたいけどその方法が分からない」
といろんなところで相談しては模索を続けていました。

そんな私に返ってくるのは、どこでも、似通った答え。
「あなたはあなたのままで素晴らしい」
「生きているだけで価値がある」

みんな心から信じてその言葉を伝えてくれている風に見えたけど、当時の私の心には素直に響かず。
それはあなたたちが”持てる人”だからなんだと感じていました。
今の私には、何もできることが見いだせないから、無理やりそう慰めてくれているのだと悔しい気持ちを抱えていました。

でもふと、「生きているだけの私に価値があるのか?それともないのか?」
そんなことは、どちらでもいいのかもしれないと感じた瞬間がありました。

きっと、大切なのは「価値がある」という前提を採用して生きてみること。

少し前、私は夫に自分の凸凹を指摘されたことをきっかけに、凸凹のある自分を素直に受け入れて、プライドや人からの評価を捨てて、自分の心に正直に生きてみようと決めました。ただ”決めた”だけ。
でも、それだけで、自分の特性や周りの取り巻く環境は変わっていないのに、これまでの生きづらさが驚くほど軽くなった感覚がありました。

つまり、これまで感じていた生きづらさの大半は、
「頑張っても周りの人と同じようにできない自分はクズだ」
「人の期待に応えるためにしっかり生きないといけない」
といった自分が自ら採用した前提によって創り出されていたもので、採用する前提を変えてしまえば、自分は簡単に自由になれるんだと気づきました。

”神様や仏様はいるのか?”という問題に対しても、同じだと思います。
それを無理に証明したり腑に落とそうとするより、”存在する”という前提でふるまってみること。
それが心地よければ続ければいいし、しっくりこなければ手放せばいい。

きっと今後も、初詣でやお墓参りに行く機会はあるでしょう。
それならば、”神様がいるんだ”という前提でお参りしたり、”仏様がいるんだ”という前提で先祖供養をしたり、そのほうが感謝の気持ちを素直に感じられて、人生がより豊かになるのではないかと私は思います。

「生きているだけで価値がある」も同じで、そう信じたほうが幸せならその前提を採用して生きればいい。
人それぞれ前提があって、そのどれもが、その時のその人にとっては正解。大事なのは、相反する前提を採用している人を否定したり、自分の考えを押し付けたりせず、どんな前提にも寛容でいられることなんだと思います。

私には、「生きているだけで価値がある」と胸をはって人に言える自信はまだないけれど、そういう前提を採用して、自分に価値があると思えるような生き方をしてみること。
「自分にとっての価値って何だろう?」
「存在しているだけで価値を与える人はどんな生き方をしてるんだろう?」
そう問いかけながら生きてみること。

そうしていつか、心の底から「自分には生きているだけで価値がある」と思えるかもしれないし、思えないかも知れない。(思えたら素敵だけど)
でも、そうすることで理想の自分の在り方に少しずつ近づいていける気がしています。

この先自分がどこまで「自分の価値」を実感できるのかは分からないけど、
あらゆるものごとに対して、寛容でオープンで、多様性を受け入れられる。
そんな自分でいられたらいいなぁと感じた問いでした。

今日も、読んでいただきありがとうございました☺

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