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【笑っていいともろー】自分に自信が持てない全ての人へ

母親からの愛情に飢えていた。

小学生の頃、両親が離婚した。

中学生になり、父子家庭の中で、妹と共に3人で暮らし始めた。

父親が母親代わりの一人二役となり、必死に家事仕事をこなしてくれて、今までと変わらない生活が表面上流れた。

日常生活で常に感傷的になることはなかったが、食事の時間、弁当や出前が多くなった静かな食卓に母親を思い出しては、夜中になぜ離れ離れになってしまったのかと泣いてしまう日も多々あった。

高校生になり、文系の英語科クラスだったので、周りに女子が増え、男子10名に対し、女子30名のクラス編成に3年間いた。

女性が多い空間で、半強制的に女性と交流する機会が増え、初めてできた恋人が優しく包んでくれる愛情が、母親からの愛情に飢えていた部分をいくらか埋めてくれた。

大学生になり、行動範囲も広くなり、自由になった気分で、様々な女性と触れ合った。

捨ては捨てられを繰り返していく中で、様々な愛の形があることを知れた。

社会人になり、決められたルールの上で働くことによって、街中に溢れる愛のないサービスに男女問わず敏感に感じ始め、日々の生活の中でも飢えた愛情を満たそうとするアンテナはしきりに動いていた。

外に愛情や居場所を求め続けた結果、疲れ果てて傷でボロボロになった自分を自分ですら愛せなくなり、引きこもってしまった時期があった。

家族や仕事や友達との連絡を遮断し、殻に閉じこもりながらも、映画、本、音楽に愛情を求めては、名前も忘れてしまった女性達に1日分の愛情をもらっていた。

仕事も名前も外見もほとんど捨ててしまったような自分が見知らぬ女性と繋がり合う中で、唯一誇れると気付いたのが言葉だった。

身も心も空っぽな状態なのに関わらず、自分に向かって言っているが如く、女性を癒す言葉はありふれるように出てきて、笑顔になって帰っていく彼女たちを見送りながら、いつか元のような生活に戻りたいと日々ゆっくりと自尊心を取り戻していった。

2、3ヶ月の時が流れる間に、仕事はクビになり、新たな職場に心機一転しようという中でも、ぼんやりと言葉の可能性について考えており、どうにかして形にできないかと日々考えていた。

地元大阪から夢を追って東京に出てきた。

今までのことをなかったことにするように地元に帰るのもしっくりこず、このまま東京に残るのもしっくりこず、夢を追う中で出会った愛情に溢れた大切なひとたちとの繋がりは残していたく、東京から近い群馬で働くことに決めた。

群馬での日記を送って、と提案してくれたその大切な方に、自分が唯一誇れる言葉を使って思いを詰め込んだ文章を送ると、面白いと褒めてくれた。

今まで刹那的に女性を楽しませることができていた言葉を使って、初めて形となって男性に褒めてもらえたことは永劫的に自分の中に残っていくことに気付けた。

人生において、お金と愛、どっちが大事?

この愛によって、泣くこと、キツいこと、楽しいこと、嬉しいこと、気持ち良いこと、たくさん経験してきた。

母親からの愛情に飢えていたことから始まり、ようやく掴んだ言葉を使って、自分をしっかり愛することができた今は、過去を遡って、当時埋められなかった穴を丁寧にひとつずつ満たしている。

全て笑顔になって、また来てくれるかな?

笑っていいともろーな日々を目指して、今日をしっかり踏み締めて生きていく。

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