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植物をわざと枯らす女
新居に引っ越してから、少し遅れて買った小さな観葉植物。
キッチンカウンターに置いた。
ここにあったらいいなって思って、珍しくわたしが買った。
わたしは、もともと植物を上手に育てられない。
毎日水をあげるという行為がもはや出来ない。
で、この植物も時々シワシワの危うい姿になっていた。
その時に気が付くと、水をあげる。
すると、なんとか元に戻る。
そして、また放っておく。
時々、見て見ぬ振りもする。
*
ある日、ふと思い出したようにその植物に目を向けると、完全にカリカリになっていた。
(これは水をあげても元には戻らなそうだ)と判断し、ささっとゴミ箱に捨てた。
その後、何かに突き動かされるように、その植物を買ったお店へ向かっていた。
そして、同じ植物を手に取る。
会計台へ持って行き、袋に入れてもらって受け取る。
すると、店員さんがこう言った。
「なるべくお水を絶やさないようにしてくださいね。」
わたしの事を、わたしの行動を全て見透かされているかのような発言!助言!
少しドキリとしたけれど、分かってます、当然ですよねという顔をして微笑んでお店を去った。
*
植物を家の中に置くと、
いつも心の隅に、ある思いが浮かんでいる。
(水をあげないと本当に枯れるのかな)
(意外と大丈夫なのでは?)
(・・・どこまで放っておいたら完全に枯れるんだろう)
そんなことを半分無意識で考えていた。
そして、今回は結果的に枯れるまで実験をした形になった。
*
ゲームのように、するっとリセットさせてしまった小さな観葉植物。まったく同じに見えて、まったく違うモノ。人なら許されない。動物でも許されない。モノならいいの?植物は?
ちなみに、面白いことに、買い換えてからは今のところ毎日水をあげている。(わたしという謎。)
*
ただ単に、子どものような好奇心を満たす為の実験なのか。
擬人化して、己の残酷さを消化してるのか。
ところで、うちの娘は何でもかんでも擬人化する。
「でも、それ〇〇さん(モノでも何でも)が可愛そう。。」と。時々イラッともするけれど、何でも雑に扱うよりは良いだろう。(もちろん、わたしのように残酷なことをするよりも)
そこで思い出したのは、内田樹さんの本で出会った言葉。
「自分に対する敬意とは、第一に"自分の身体に対する敬意"というかたちをとるべき」
脳の欲望に騙されず、身体からの信号をきちんとキャッチせよという話。自分の身体に敬意を払えない者は、他人の身体にも敬意を払えない。
*
あれ?これはこれは、、、
一連の観葉植物への態度が、わたしの自分の身体に対する態度と重なってみえてきた。
(水をあげないと本当に枯れるのかな)
(意外と大丈夫なのでは?)
(・・・どこまで放っておいたら完全に枯れるんだろう)
そんな実験してる場合じゃない。
わたしはリセットできても交換はできないじゃないか!
擬人化上手ですべてのモノに敬意を払う娘は、確かに自分の身体の状態や不調や好調にまで敏感だ。それは敬意と呼べるかもしれない。
丁寧に生きているように見えるあの人は、きっと自分の身体と同じように全てを扱っているんだ。
そうだね。
自分の心だけじゃなく(心は時に、脳に騙されているかもしれないし)
まずは身体に敬意を払い、
お水を絶やさないようにしてあげよう!と改めて思うことができたのでした。
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