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自分の人生をどう語られたいか?

先日、NHKの番組『SWITCHインタビュー 達人達(たち)』で、『カメラを止めるな!』の監督 上田慎一郎さんと『メモの魔力』の著者でSHOW ROOM代表の前田裕二さんが対談していた。

10代から自主で映画を作っていた上田監督は、助監督を経験せず独立したらしい。そして、たくさんの失敗を経て「カメラを止めるな!」で大ヒット、大成功。次の作品を作る時には最大のスランプを経験したけれど、どんな戦略よりも自分の“好き”を追求したほうが良いことに気づいて、突き抜ける。

前田さんは、早くにご両親を亡くしている。従兄から教えてもらったギターの弾き語りでお金をいただく喜びが原体験にあって、まさにそれが進化した形となっているSHOWROOMを創った。(金融系での様々な経験もある)

当ったり前だけど、色々な人生があるな~と感心しながら見ていた。
印象的だったのは、ふたりとも“不安があったり、無理だと言われたりする挑戦の方が好き”ということ。

そういう人がいないと、物事は、世界は前に進まない。
初めに信じる人がいて、やっと他の人も信じられる。
“初めに信じる人”という役目を負っている人間は、覚悟をしないといけない。

そして、上田監督の話でもうひとつ印象に残ったのは、
「僕はすごい賞をたくさん取った監督と言われたい訳じゃない。たくさんの人にたくさんの笑いを届けた監督と言われたい。」
「奥さんにも、たくさん稼いでくれた人と言われたい訳じゃない。あなたとの人生はエキサイティングで楽しかった、と言われたい。」
「そこが決まっていれば、あとはそこに向かって進むだけ。」
というような事を話していた。
(言い回しや正確な意思は違ったかもしれないけど、私はそう記憶している。)

それから数日、わたしもずっと考えていた。
自分の人生をどう語られたいか? 語るか?

まず、人にどう語られたいかを想像してみたけど、どれもあんまりワクワクしなかった。
きっと、色んな良いことを言ってくれるんだろうなぁとなんとなくイメージできるし、外に見える姿は格好悪くないようにそれなりに見栄を張っているけど、本当の心の奥は死んでも誰にも分からないじゃん。

世間の賞賛?あってもいいけど、なくても困らない。つまりわたしの価値観の中では“どっちでもいい”ゾーンになる。

素晴らしい家族や友人や仲間に囲まれた人生?それも悪くないけど、ちょっと語られるテーマとしてはインパクトに欠ける。周りの人たちに対しての評価は、素晴らしかろうが最悪だろうが事実に関係なく、感謝という形に昇華できるから。

しばらく考えていて、ふと浮かんだのがコレ。

『結局、やりたいこと全部やったなぁ。』って自分が心の底から思いたい。

これなら『あの人、結局、やりたいこと全部やってたよね。』って誰かに語られても悪くない。


なんて自己中な人!と思うことなかれ。


こんなに周りの人に後悔を残さない生き様って、他にないんじゃないだろうか?
ああしてやればよかった、こうしてやればよかった、と人に思わせない。
(その分、こうしてほしかった、なんて声が聞こえてくるかもしれないけど、、笑)

なんなら、そんなわたしに刺激を受けて誰かがやりたいことを始めるきっかけとなっていたら素晴らしい。

(わたしは上田監督のように、世の中の多くの人の評価と対峙する人生ではないから、人にどう言われるという視点が薄い分、勝手ができるのかもしれないけれどね。)

これまでを振り返ってみると、まさかと思うような事に急に興味が湧く現象が多々あった。
だから、今やりたいことを100個挙げて死ぬまでに全部叶えるとかいう線上のことではなく、限りなく点で発見していきたい。一貫性はこの際捨てる。

よく、あと一年で死ぬとしたら何をしたい?という問いがある。これも効果は抜群で、ギュッと自分の中に焦点が当てられるし、具体的な行動が見えてくる。

一方で、今回、上田監督の話をきっかけにやってみた「自分の人生をどう語られたい?(語りたい?)」という問いは、ちょっと抽象度は高めだけど通底する価値観みたいなものが見えてきてとても面白かったし、行動に移す動機の解像度が上がるので迷わない。

ぜひ、お試しあれ!


【あと、全然関係ないけど、最近楽しい遊びを2つ紹介】

①自分の前世-あると仮定して-を勝手に想定してみる遊び。今のところ『裕福だけど、欲がなく、心優しいインドのお姫様』(笑)。
②ネットで何か買うとか申し込むとか登録するかの場面で、名前を全然違う人物にしてみる遊び。(最終的には直すけど)夫や家族の名前を変えてみるのもおススメ。意外にドキドキして楽しめます!というどうでもいい情報でした。

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