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人のフリ見て我がフリ、フリフリ。

ふと振り返ってみた。

夏休みの宿題を例に挙げてみると、自分は「追い込まれないと宿題しないタイプ」と言うこと。なので8月の30〜31日は地獄だった。無論、地獄を呼び寄せたのは自分自身である。

今思えば「コンスタントに消化していれば問題なかったのに」と思えるが、当時は自分の自由な時間が最優先事項であった。言ってしまえば『楽しけりゃいいじゃん♪』的ノリだ。

とは言え完全にこの問題をクリアしたかと言えばそんなことはない。

やはり現在においても、その思考・クセは抜けない。ついラクな方に流される。しかしかつての自分と大きく異なるのは、避けることのできない未来を想像することでこの問題を解消できるようになったと言うこと。

例えば目の前に洗濯物があったとする。それを片付けなければならないとして、もし自分がラクな方に流されたとした場合は片付けを後回しにするだろう。ただ、この判断は自分にとっての負荷・ストレスを感じる時間が後にズレただけのこと。

結局はやらなきゃならない。そしてその癖が強ければ強いほど、後にのしかかってくる負担はどんどん増大していく。ああ怖い。

しかも片付けのことが頭に残っている状態だから、精神衛生上も良くない。『後で片付けなアカンしな〜』と脳裏に焼きついた状態では本当の意味でリラックスはできていないんよね。

と言うことは先に片付けてしまって、後顧の憂いを払拭することこそが本当の意味でのリラックスタイムを得ることができる。すなわち自分にとって最も良い判断は『先に片付けてしまう』ことである。

・・・。

たかだか洗濯物の片付けを仰々しく書いてみたワケですが、日常はこの判断の繰り返しだと言うことを言いたかったわけで。

もちろんその判断基準の元になるのは未来を想像するってことだけではないですけどね。その他にも『自分がやらなければ誰かの負担になる』と言う他者への配慮だったり、『思いついた瞬間がやるべき時』って感じのポジティブ思考だったり。

それらの複合的要素での判断とも言えるかもしれません。

で、私自身が変化できたのは子供の存在も大きいかも。ウチのメスっ子たちは片付けが苦手で基本後回し&放置の2連コンボ。それを見ているとイライラするわけです。

で、その瞬間に思うんです。『俺できてたっけ?』って。

なので奴らに文句を言う前にやっとかないと示しがつかないので、放置少年放置しない少年へとワケです。いやいや、いいオッサンがいつまで少年気分やねんって感じだけども。

と言うことで今日の格言です↓。

周りを見て、自分を見れば、そこに気付きが生まれる。

気付きって大事よね。


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「後回しにしない」をテーマに見つけた本。


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