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なぜミュージカル映画は「突然歌い出す」のか?|違和感の正体を分析してみた

現代のミュージカル映画を鑑賞した人が、よくこんなことを言う。

「ミュージカル映画は歌もダンスも唐突でなんか変な感じ」
「急に歌い出すのが違和感がある...」


確かにそうだ。めちゃ分かる。


普通に映画のストーリーが進んでいたかと思えば、急に主役の男女が見つめ合って踊って恋に落ちていた…….。そんなの現実的ではあり得ないし、意味分からんし、観客はそりゃ置いてけぼりになる。

ところで最近、スピルバーグ監督verの「WEST SIDE STORY(2021)」を鑑賞した。衣装もセットも豪華で映画自体のクオリティは想像以上だった。でも、妙なムズムズ感があった。

それは確かに、ミュージカル映画ならではの違和感だった。



一方、1930s〜1960sの黄金期のハリウッドミュージカル映画(主にMGM studiosが制作したもの)を観ても、全くそういう風にを感じることはない。最近のミュージカル映画と過去の名作の間には、明確な違いがあるのだ。

黄金期ハリウッドミュージカルの例。
左から、オズの魔法使い(1939)、雨に唄えば(1953)、巴里のアメリカ人(1951)


はたして、現代のミュージカル映画と当時の映画は何が違うのか?
なぜ今のミュージカル映画には違和感を感じるのか?


今回はその理由を順を追って考えていく。「現代のミュージカル映画が苦手」なんて人もぜひ、一緒にその理由を探していきましょう。

歌やダンスの位置づけ

まずはMGM映画の歴史的な背景をふまえ、その違いを考えていく。

そもそもミュージカル映画は、1920年代にトーキーが発明され、「映画に音楽を合わせること」が可能となった最初の時期に出現した。最初のトーキー映画と言われているのが「ジャズシンガー(1928)」という作品だが、これもある意味”ミュージカル映画”だった。

ジャズシンガー(1928)

その後トーキーの時代が本格的に到来し、今までになかった”音楽や効果音”が生かせることから、ミュージカル映画やギャング映画が映画の主流となっていく。

当時の大衆文化としての一番の娯楽は、映画だったとも言われる。おしゃれして劇場に行き、比較的安価で家族や友人、恋人と非日常を味わえる。そのなかでも特に、歌やダンスを手軽に楽しめるミュージカル映画は人々の心をぐっと掴んだ。

また1929年には世界恐慌の影響で、ブロードウェイの劇場が次々閉鎖。NYで活躍していた実力派の俳優が、仕事を求めてハリウッドへやってきた。実力を持つ俳優が増え、ハリウッドで製作される大規模なミュージカル映画は更なる成長を遂げることになる。

そして、MGM映画の時代が訪れた。「ブロードウェイ・メロディー(1929)」のヒットを皮切りに、MGMスタジオはその後1960年代に至るまで、映画生産工場として似たようなミュージカル映画を量産しまくっていった。(本当にびっくりするほど量産しまくった。)

ブロードウェイ・メロディー(1929)
ミュージカル映画として初めてオスカーを獲得した作品
「映画会社はソーセージのように次から次へとミュージカル映画を配給した」

ある映画評論家にもこのように言われるほど、ミュージカル映画を作りまくったあまり、どの内容もまさにソーセージのように似たり寄ったりだった。それにもかかわらず、多くの映画が大ヒットした。その理由は以下になる。



MGMミュージカル映画の時代は、ストーリーではなく「歌やダンスそのもの」がメインだった。観客は歌やダンスを観るために、劇場に行っていた。

映画の劇中パフォーマンスが俳優の一番の見せ場だし、そこに観客も惚れ込む。当時のハリウッドにはスター俳優が数多くいて、映画スタジオも「どの俳優にコンビを組ませるか」を重要視してプロモーションしていた。

スイング・タイム(1936)のポスター
フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの黄金コンビ

当時の映画ポスターを見ても、それは明らかだろう。ポスターのメインはスターの顔・名前となっており、観客も俳優を基準に映画を選んでいたことが分かる。




今までのところをまとめると…

昔のミュージカル映画は「ストーリーが進んでいたかと思えば突然歌って踊る」わけではなく「歌やダンスがメインで、ストーリーは後付け」だったのだ。

現代のミュージカル映画を鑑賞する時には、きっと多くの人が「ストーリー」を重視して見るだろう。しかし当時は逆だったのだ。これが当時のMGMミュージカルを見ても、「突然踊り出すこと」に違和感を感じない理由の一つになるだろう。ストーリーと関連する違和感については、この少し後で詳しく話していきたいと思う。

映画内でのカメラワークと「視点」の違い

次にカメラワークに注目していこう。



MGMミュージカルは、通常カメラの数が少なくて「視点」が固定されている。

クレーンなど特殊なアングルで撮影される場合もあるけれど、多くの場合パフォーマンスシーンは目線の高さの定点カメラで撮られている。

ベルオブニューヨーク(1952)
恋情の高まりで空に浮かんでいる設定だが、2人の目線の高さでカメラが固定されている。

人が話しているシーンでも皆バラエティ番組のように、顔を正面に向けて話してくれる。俳優はこちらに向かっておどけた表情をしてくれるし、観客が自分の存在を感じることができるのだ。(なんなら映画を見てる内に自己肯定感高まったりする)

ショービジネスを舞台にしたMGMミュージカルの最高傑作「バンドワゴン(1953)」も、その最たる例だろう。

この有名なパフォーマンスシーンではそれを眺める観客の姿は出てこない。それどころかこの歌とダンス自体、舞台が始まる前の内輪のパフォーマンスだ。カメラは正面の定点で固定されており、俳優たちは私たち映画の観客に向かってパフォーマンスしてくれていることになる。

バンドワゴン(1953)の劇中パフォーマンス
この構図でもピッタリ正面を向いてくれている。ありがとう。


このシーンを、スピルバーグ監督の最新作「WEST SIDE STORY(2021)」の有名な劇中歌「America」のシーンと比べてみよう。

はじめのシーンから、人間の視点が到達するには不可能なバルコニーの高さにカメラが到達する。そして始まるリズム。パフォーマンスを追いかけ、カメラはぐるぐると回り、視点が何度も切り替わる。

WEST SIDE STORY(2021)の劇中歌「America」の最初のシーン。
カメラがぬめっと下から3階ほどの高さまで移動していく。クレーンカメラで撮影している情景が思い浮かんでしまうね。

確かに「America」のパフォーマンスは豪華で映像的には面白いけど、視点やカメラが素早く切り替わることで、観客からしたら「謎の視点」ばかりになる。自分はどういう立場で、どこから彼らのパフォーマンスを見ているのか分からなくなってしまうのだ。(神の視点…?)



このように過剰なカメラワークで「現実には存在し得ない視点」を作ってしまうことが、最近のミュージカル映画が観客を置いてけぼりにする理由の一つだ。


また最近のミュージカル映画は映像の切り替わりが速く、観客は強制的にスカートの広がり、あるダンサーの表情だったりにフォーカスさせられてしまう。

WEST SIDE STORY(2021)の劇中歌「America」のワンシーン


カメラワークによって視線の動きが限定されることで、一人ひとりのパフォーマンスを集中して見ることができなくなってしまう。そしてダンスや歌の魅力も半減する。

舞台だったら自分のお気に入りの俳優さんをずっと眺めてる、なんてこともできるけれど、特に現代のミュージカル映画においてそれは不可能だ。観客は、監督が見せたいものに強制的にフォーカスさせられてしまうから。

なんなら、カメラをいっぱい設置し頑張ってパフォーマンスを撮っている撮影風景の方が思い浮かんで、映画の世界観に没頭できなくなってしまう。


※カメラの「視点」に関して補足をすると、MGM映画ではダンサー達を真上からカメラで見下ろし、万華鏡のような映像を造り出す「バークレー・ショット」も有名である。(観客にとっては謎の視点だ)しかしMGM映画ではよく使われる古典的な手法として、映像美としての前提が観客に共有されている。

四十二番街(1933)
大型ミュージカル映画の皮切りとなったとも言われる「四十二番街」で、すでにバークレーショットが使用されている

「視点」と映画のストーリー

映画の「視点」に関しては、映画のストーリーとも綿密な関わりがある。

MGMミュージカルの舞台はショービジネスであることが多い。

売れっ子の男性スターとステージに上がることを夢見る若い女性ダンサーの恋物語だったり、お金持ちのお嬢様とひょうきんな三枚目のショー物語だったり。ショービジネスの裏側のドタバタを描く「バックステージ・ミュージカル」も有名だ。

ストーリー劇中のダンスシーンでは、実際のステージでのパフォーマンスや稽古中に思いが高まったシーンが多い。

そのため、ストーリー劇中のダンスシーンでは、映画を見ている人の視点が観客に同化し、カメラの位置は「そこにいる観客」の視点になるのだ。

若草の頃(1944)
ハウスパーティーに訪れた客にパフォーマンスをしている

昔のミュージカル映画では、まるで自分がその空間にいるかのような気分で、パフォーマンスを楽しめるのだ。

逆に、現代のミュージカル映画は観客を完全に「外の別世界」に排除してしまっている。

パフォーマンスシーンでも蚊帳の外となれば、そりゃ他人事感が強くなるだろう。「なんか突然歌い出したな.......」と違和感を抱くのも当然だ。

先ほど少し紹介したように、大量に量産されたMGMミュージカルのストーリーには決まった「型」がある。だから自然にパフォーマンスが始まり、観客もある程度それを予測できる。



また当時の劇中の歌とダンスは映画の中で完結していて、こちら側に解釈を求められることはない。現代のミュージカル映画を見ていると、パフォーマンスシーンの中に重要なヒントがあったりしてなかなか落ち着かない。

まとめ

  • 映画内での歌やダンスの位置づけの違い

  • カメラワーク(視点)の違い

  • ストーリーの違い

あくまで個人の見解だが、これらが黄金期のミュージカル映画と現代のミュージカル映画に対する感じ方が異なる主な理由ではないかと思う。

正直、私は昔のミュージカルの方が好きだ。ストーリーではなくパフォーマンス重視派だからだ。舞台を見たいなら実際に劇場に行けばいいし、映画を見るなら映画に置いていかれることなく(私を離さないで…って感じ)本物のパフォーマンスを味わいたい。

現代のミュージカル映画が苦手な人は、過去のMGM作品をいくつか鑑賞することで、現代のミュージカル映画に感じる違和感が少なくなるかもしれない。黄金期のMGMミュージカル、ぶっ飛んでてなかなか面白いですよ。

ハリウッド黄金期の『ヘイズ・コード』について紹介した記事はこちら↓

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