安心と安定
いつもと変わらない毎日は安心を生み出す。だから赤ちゃんはいつもと同じを求めて泣く。その本能的に欲する「いつも通り」な感覚を、私は今も大切にしたいらしい。
だから、いつも通りじゃないってことにどうしても過敏になってしまう。
例えば、職場の空気。
私が感じる「いつも通り」と違う空気だと、どこか落ち着かない。なにがいつも通りじゃないのかはっきりしない。でも、いつも通りじゃないことをキャッチすると、とにかく心が落ち着かない。
特に、居心地悪くなってしまうのが人の雰囲気だ。
私の「いつも通り」は、なぜか、基本的に穏やかな状態でインプットされている。だから、不機嫌な様子に対して、いつも通りじゃないセンサーがすぐ働く。気づいたら原因を探すんだけど、大抵見つからない。私が理由?なんて思っちゃったら、心はひどく焦り始める。
最近、私は自分の生活にも「いつも通り」を求めていたことに気がついた。
これもなぜか、理想的な生活がデフォルメで、私が朝から夜まで元気よく、穏やかに過ごせるのが「いつも通り」。自分で決めたルーティンを守って過ごせる生活が「いつも通り」。
でも、安定しない気持ちや体調によっては「いつも通り」じゃない日もある。すると一番動揺しているのが、自分だったりする。これは、新発見だった。
周りの誰よりも、自分が一番、自分の「いつも通り」に過敏で、「いつも通り」じゃない自分に不安を感じてしまっているのだった。
自分のことだから当たり前と言われれば、たしかにそうなんだけど。私は、自分でさえ「いつも通り」じゃないと動揺してしまうのだなと、驚きをもって知ったのだった。
だとしたら、
いつもと変わらない「いつも通り」を自分でつくる努力は必要だ。
何もしていなくても、何かが変わっていく社会の中で、「いつも通り」いられる工夫を考えなくては。
そのための手段はシンプルである方がいい。
すぐに、その場で、できること。
これさえあればってモノが一つあれば十分。
今の自分にとって、
これさえあれば大丈夫って言えるのはなんだろう。