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【前編】Life Quest~釜石で〇〇する人たちの多様な生き方〜第14歩目「釜援隊流 "黒衣"に徹する復興まちづくり」×二宮雄岳

本記事は、岩手県釜石市で人生を探求し生き方を自分でつくることに挑戦し、様々な活動に取り組むゲストの生き方に迫っていくイベント型オンライン番組『Life Quest』の内容をnoteに転載しています。         
今回は、2020年12月14日に実施された第14歩目「釜援隊流 "黒衣"に徹する復興まちづくり」に取り組む二宮雄岳さんをご紹介します。実際の放送については、こちらよりご覧ください。

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ゲストプロフィール:二宮雄岳/1966年神奈川県横浜市出身。東京農大卒業後、外食チェーン店で勤務。1991年、後にも先にもそのとき1回だけ行われた「一芸入社」に「理系・サービス業経験」という経歴で引っ掛かり地元信用金庫に入庫。主に事業所融資担当、コンサルティング部門で勤務し、のべ3,000社余りを担当。2014年10月より釜石リージョナルコーディネーター(釜援隊)に参画。地域コミュニティ支援、事業者再建支援を担当し、2016年からは隊務総括。中小企業診断士として地域企業の経営支援に取り組みながら、釜石ローカルベンチャー・地域メンター、(公財)釜石・大槌地域産業育成センター専務理事など、マルチに地域複業を実践。自称「復興アパートを市内で最も“ピンポン”した男」。

わたしの「”黒衣”としての仕事の流儀」とは?

二宮)皆さん、黒子って皆さんご存知だと思いますが、お芝居なんかで舞台の上にいて、役者さんのお手伝いをする仕事です。大事なことは、役者さんの大切な舞台の上に上がらせていただくので、役者さんの信頼を得なければいけないということです。舞台の上で仕掛けを動かしたり、着替えのお手伝いをしたり、芝居の進行場なくてはならない存在です。もちろんお客様からは舞台の上の黒衣が見えるし、何をしているかは分かっています。しかし、黒子を見に、劇場に来るというお客様はいらっしゃいません。主役はもちろん舞台の上で演じている役者さんです。私たちの仕事いえば、主人公は、地域の方々ということになります。私たちは、その舞台の上で黒衣として地域づくりをお手伝いすることをしています。

その時に私たちが考えているのは、自立→自走→自律です。これは、自分の足で立ち、自分の力で走る。目的地を決めるのはランナーである地域の方々自身であるということです。その時に大切にしているのは下の三つになります。走り出す決意を促す・共に伴走する・先回りをするというのが基本的な考え方になります。

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また、

“Do”ではなく “Be”                          
在り方が決まっていれば、実現のための方法は無限にある。

これは、何をするかではなく、どうあるべきかということです。この在り方さえ決まっていれば、何をするべきかということが実現するための方法はいくらでもあると思っています。人がやっていることをまねをすることは簡単にできますがそのやる方や状況や場所などによって効果は変わってきてしまいます。だったらむしろここで何をしたいのかあるべき姿を考えることが私たちの仕事だと思っています。

具体的にやっていることを某番組風にお伝えします。

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これは釜石の中心市街地の話です。震災後、4つあった商店街のうち3つが解散しました。復興事業が進む中、事業者と行政の意思疎通が十分にできていない現実が浮き彫りになっていました。十分な意識がないまま工事が進んで行きました。地域の皆さんが、どういう風に町が復興するのかイメージしにくくなっていると感じました。この復興は誰のためのものか、しっかり考える必要がありました。

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これはとても象徴的な写真で、手前の灰色のタイルは実は復興工事をしたもの、上側の緑色のタイルは復興工事を行わない地域です。大きな通り、一つの通りの中で復興工事をする地域としない地域があり、大きな商店街で境目がありました。これは、復興の意識がここで切れていることを表しています。行政と地域の方が頑張っていらっしゃることが繋がっていないということを表す象徴的な場面だと思ってます。

復興・振興・創生

「復興を完遂し、マチに賑わいを取り戻して、新しい時代の街づくりにつなげる」

この呼びかけによって、商店街の垣根を越えて、100社を超える地域の事業者の皆さんが立ち上がりました。この地区、地域を自分たちの力で復興させるんだという思いで皆さんが集まることになりました。

とはいえ、事業者さんができることは限られているので、市の皆さんとお話をして、地域の課題を共有するという場を作りました。その中で、電気代とメンテナンス代を負担することを条件に、釜石市が商店街の足元灯を設置することが決まりました。事業者たちのマチづくりへの思いが少しづつ形になり始めていました。市が電気代、メンテナンス代出すことは良いですが、その地域で事業していくのは、事業者さんたちなので最低限のことは自分たちで行って商売に活かしていきましょうというお話をしました。

事業者による「地域の一体的復興整備」は予算などもあり、高い壁に阻まれ続けていました。しかし、そのように復興をしていこうという事業者さんたちの熱い想いに市長も動いて、一緒に振興局に陳情に行ってくださいました。
しかし、大きな予算が必要な事業に難色を示す県の担当者は、境目の工事を今さらいう気持ちがあったのかもしれません。要望は再び断られてしました。その前年も同じような要望をして、断られていたので、もうおしまいなのかと思っていました。

しかし、ここで諦めてしまえば、協議会を作った意味まで失われかねない。事業者たちは食い下がりました。「ダメならダメでもいい。しかし今後につながる前向きな提案を下さい」このように県の担当者に言いました。事業者の思わぬ巻き返しに、会場の空気がピンと張りつめたことをよく覚えています。ただ押し問答しても仕方がないので、現状を知ってほしいということで関係者が現地を視察する場を作りました。地域の方がどんなことで困っているのかということを実際に知ってほしいと思っていました。ところがこの日雨が降りまして、地盤沈下をしている場所に水がたまる様子がリアルにわかったんです。

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県の担当者はこの様子に絶句していました。この共通の景色を見ることで状況が変わり始めました。新たに行った県の試算の中で、市の足元灯工事との連動により、工事費用が削減できる見通しが立つことがわかった。県と市、それぞれの担当者が庁内調整に走ってくれた。地域の事業者の熱意が役所を動かしたんです。県の担当者から電話がかかってきまして「今までの方針を撤回し、地域一帯とする整備を実施します」と連絡が来ました。6年越しの地域の想いが実現しました。

そして、復興の境目がなくなった様子がこちらになります。

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地域の皆さんが私たちがやるんだということを決意してこの状況を勝ち取ったことが行政と地域の境目がなくなったことを感じました。

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これは、単体では十分な明るさではありません。商店街の溢れる明かりで十分な明かりになるように計算されたのがこの街灯になります。

また、この事業の中で私たちは以下の役割を担いました。

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RWCファンゾーンや自主イベントの開催で、マチは賑わいを一旦取り戻した。復興期の終了とコロナ禍の中、マチはこれから正念場の自分たちの考えで行動をつくっていく「自律」の段階に入っていくということになります。

戸塚)前半の進行ありがとうございました!

ー後半は、二宮さん自身の人生について深掘っていきます。

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