見出し画像

逃避

『FlyFisher』2014年1月号

困った。
 禁漁になってから釣りに行きたくてたまらない。フライに飛びつく魚、アワセる僕。妄想が止まらない。
釣りを現実からの逃避と考えているからか、日頃のストレスが警戒レベルまで溜まったと脳が感知してそんな妄想を引き起こすのだろうか。それともただ単に生来の怠け癖が出ただけだろうか。
それにしても休みの日に釣りに行けないというのは寂しい。

 子どもの頃の僕は休みの日にはいつも空想に耽けっていた。宇宙人が襲ってきたり、家の床下には地底人の基地があったり、近所の森には恐竜がいたり。
そんな空想の源はどこから得たのかと言えば、それは本であった。

 近くに本屋も無い田舎に住んでいた子どもの僕には、あの狭く閉ざされた世界から抜けだすには本の空想に耽るしかなかったのだ。
そして両親に買ってもらった本は僕にとって宝物になった。宝物はいつでも持ち運べるように大きなスポーツバッグに入れた。宇宙人が襲ってきても、地底人が床下から出てきても、恐竜が暴れてもすぐ持って逃げ出せるように。

 僕の好きな小説にジーン・ウルフが書いた『デス博士の島その他の物語』という短篇ファンタジーがある。孤独な少年タッキーは母親と二人暮らし。ある日ドラッグストアで手に入れた『モロー博士の島』のような安物の小説に夢中になり、その小説の登場人物が少年の前に次々と現れてくる。しかし少年の空想は大人たちの現実とけして交わることがなく、そのことがタッキーの孤独を一層際立たせる。読後に残る切なさが印象的な物語だ。

 僕はタッキー少年が小説に興奮したときの一節が好きだ。

“自分の体を抱きしめながら、はだしで部屋のなかをぴょんぴょんとびまわる。わあ、おもしろい!すごいや!
でも今夜はここでやめよう。全部読んだら損しちゃう、あとは明日にとっておくんだ。”

 本当に面白い本に出会ったとき、残りのページが少なくなっていくほど終わって欲しくないと思う。この楽しい時間がずっと続けばいいのにと。タッキーが小説に興奮する様子は純粋に本の面白さを思い起こさせてくれる素晴らしい一節なのだ。

 子どもは大人の世界を敏感に察する。大人の現実に子どもは抗うことができず、距離を置くこともできず、否応無く巻き込まれる。だから空想の中に逃げるしかないのだろう。

 映画『パンズ・ラビリンス』もまさしくそういった大人社会の中での子どもの居場所を描いた物語だ。
 スペイン内戦後、フランコ独裁政権軍の大尉と再婚した母とその娘オフェリア。山中の陣地でレジスタンス掃討を指揮する大尉は冷徹で、妻のことよりも身ごもった子どもにしか興味がない。死臭漂う時代で生きることに精一杯の大人たちの中、唯一人の子どもであるオフェリアの居場所はおとぎ話の本の中だけだった。しかし時代は空想の世界に逃げることを許してはくれなかった。
 
 本作は残酷な現実世界とオフェリアの夢想するおとぎの世界が混在するダークファンタジーなのだが、やはり『デス博士の島その他の物語』と同じく少女の空想が現実を変えることはなく、オフェリアの悲しい境遇に僅かな希望を抱かせただけに留まるなんとも悲しい物語である。

 大人になった僕はさすがに空想への逃避しなくなったが、現実逃避と思っていた釣りには釣果という現実あることを思い出した。
 ああ、そうだった。釣りに行きたい妄想が現実になったところでたいして僕は釣れなかった。フライに飛びつく魚もいなければアワセることもほとんど無かった。
 なるほど現実から逃げずに向き合うことが大人ってものなのか。


『パンズ・ラビリンス』
2006年 メキシコ/スペイン/アメリカ
監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:イバナ・バケーロ、セルジ・ロペス、アリアドナ・ヒル、マリベル・ベルドゥ

『デス博士の島その他の物語』
ジーン・ウルフ/著 浅倉久志/訳 伊藤典夫/訳 柳下毅一郎/訳
国書刊行会 2,592円 ISBN:978-4-336-04736-6

#フライフィッシング #釣り #SF #小説 #ジーンウルフ #パンズラビリンス #映画 #ダークファンタジー #読書 #本


最後までお読みいただきありがとうございました。 投げ銭でご支援いただけましたらとても幸せになれそうです。