新自由主義と「イクメン」の共犯関係

読書会3冊目は、関口洋平さんの「『イクメン』を疑え!」。2023年4月に発売された新書で、アメリカ文化における家族の表象の研究者である関口さんの初の単著だそうだ。

数年前に読んだ名著「育休世代のジレンマ」の著者である中野円佳さんが、Twitterで紹介していたことから知り、この読書会を機に読んでみることにした。

「イクメンを信じたことなんてない」

読書会の冒頭で、「『イクメン』を疑えと言われても、そもそも『イクメン』を信じたことなんて一度もないよね」と一人が言った。それは本当にそう。
「イクメン」が新語・流行語大賞を受賞したのは2010年。私たちは大学2年生だった。当時「ジェンダーと社会」などの講義を受けるなかで、育児をする男性を「イクメン」をもてはやすことが、「女性が育児を担うことが当たり前」という前提をより強固にし、旧時代的な価値観を再生産するのでは?という疑問を皆同じように持っていた。「育児をする男性」と「育児をする女性」の扱いに差が出るのはおかしい。

今回の本も、私たちが感じていたような「イクメン礼賛はいかがなものか?」的な内容かと思っていたが、一部当たっていたものの、もっともっと深い内容で、良い意味で裏切られとても学びが多かった。
アメリカと日本の保育史の比較、「育児をする男性」が登場する日米の有名作品のなかでの表現の変化を挙げながら、新自由主義と「イクメン」表象の関係性が構造的に語られ、「イクメンブーム」を無批判に受け入れる日本社会が、冷静な筆致ながらも痛烈に批判される内容であった。

「アメリカン・ドリーム」の根底にある、選択された多様性

本書のなかでは、「クレイマー・クレイマー」「ミセス・ダウト」など様々な有名なハリウッド作品を例に、「イクメン」モチーフと当時の社会的背景が分析される。そのなかでも印象的だったのは、ウィル・スミス主演の2006年の映画「幸せのちから」と、同時代のオバマ元大統領の存在に対する指摘であった。

1990年までは、白人男性を中心に描かれていたが、2000年代に入ると「幸せのちから」を筆頭に、黒人の父親を主人公にしたものが増えてくる。
「幸せのちから」のストーリーは、シングルファーザーとなり一度はホームレスにまで落ちぶれるが最終的に成功を掴む、いわゆる「アメリカン・ドリーム」。ここから想起されるのは、あのオバマの「Yes we can」の演説だ。

2009年のオバマの大統領当選は当時「多様性」「新しい時代」の象徴であった。ところがここで指摘されるのは、「オバマが目指していたのは、(例えば人種差別などの「ハンデ」をなくして)スタートラインを揃えることであり、競争主義を問い直すことではなかった」ということだ。
教科書にも載っているこの美しい演説を無批判に受け入れていたわたしたちは、この指摘に衝撃を受けつつ、納得した。「Yes we can」が想定するもの、「幸せのちから」が描くものは、本当の多様性ではなく「選択された多様性」だったのだ。

黒人が大統領になれる時代なのだから、人種差別というのは過去の話であり、人種マイノリティが成功できないのであれば、それは「個人」の努力が足りないせいだ―—―人種差別を不可視化し、すべてを「個人」の問題に還元する

P.132

経済的に自立することができる少数の人種マイノリティを「多様性」の名のもとに歓迎する一方で、自立できないマイノリティを社会から排除することを正当化するのである

P.136

現代の日本においても、例えば一度出産・育児を機にキャリアを分断されたことで構造的に専業主婦から正規雇用に戻りづらくなっている女性、精神疾患で休職してしまいフルタイム雇用に戻りづらくなってしまった会社員などに対して、同じように「努力が足りない」という文脈をあてはめていないだろうか?

ビジネススキルとしての育児

第7章の内容は、わたしの10年間の会社員生活における実感ともあてはまる内容が多く、痛快だった。

この章で指摘されるのは、父親の育児はケア労働ではなく人的資本に結び付けられる傾向があるということだ。2010年以降に出版された「イクメン」礼賛本では、「タイムマネジメント」「段取り力」「言語化」などビジネス書でお馴染みのワードが散りばめられ「育児は仕事の役に立つ」ことが主張されており、そこに疑問が向けられる。

「育児は仕事の役に立つ」と言い切ってしまって本当によいのだろうか? 「育児が仕事の役に立つ」のであれば、どうして子育て中の女性の多くが今までの仕事を中断せねばならないのであろうか? 育児の経験を仕事に活かすことができる労働者は、いったいどれだけいるのだろうか? パートや非正規の労働者にとって、これらの本で推奨されている「働き方」とはどこまで現実味があるものなのだろうか?
単刀直入に言ってしまおう。これらの本が想定している「男性」とは、ある意味では特権的な人々である。『育児は仕事の役に立つ』において調査対象として選ばれているのは、「未就学の第1子を持っている共働きの男女」であり、筆者たちはそれが「高収入の恵まれた世帯」であることを認めている。

P.147

イクメンを取り扱う本たちのなかで指摘されることの一つに、男性の育休取得が、少し前まではキャリアの疵となっていたが、最近はキャリアの武器となり、それ自体が卓越性のシンボルになっていることである。ここにはわたしも体感として納得がある。
わたしが新卒で入社したメーカーにて同じ部署で出会った先輩男性社員は、第二子の出産に合わせて、数か月の有給を取得していた。その先輩社員は会社にとって「多様性」「ワークライフバランス」の象徴であり、採用イベントなどに引っ張りだこであり、表向きは彼の選択は「新しく、素晴らしいもの」と称賛されていた。一方で、陰では「育休を取ったことで海外駐在が回ってこないらしい」という噂があったし、上司が「XX(先輩社員)はあのタイミングでキャリア降りちゃったんだよな」と発言しているのも聞いた。そんな空気なので、彼のあとに続いて育休取得をする男性はしばらく現れなかった。いわゆる伝統的日系大企業で、総合職の女性比率は1-2割、社員の平均年齢は40代。2014年の当時は「キャリアの疵から武器へ」の過渡期にあたり、本人はさぞかし苦しんだことだろう。
一方で、2023年になって出会う同世代の男性育休経験者たちは、印象が大きく異なる。「長い休みを堂々と取れる」ことは、「そんな些末なことでビジネス上の評価を落としたりしないほどの、キャリアの蓄積や周囲からの信頼がある」というポジティブメッセージとして、周囲に伝わっているように感じられる。育休の取得に対して自然体であればあるほど、本人も受け入れ側の企業も「かっこいい」ように見える。

いろいろな企業で、男性育休取得ケースが増えることは素晴らしいし、そのための制度が拡充すること、価値観として浸透していくことには大賛成だ。
ただし「育児は仕事の役に立つ」「育児は出世への第一歩」といったメッセージが刺さる層はごく限定的であるということ、それが可能なエリート層だけを称賛することは、格差を助長する可能性があることを理解しなければならない。

ところで余談だが、わたしは読書会メンバーのなかで唯一の「株式会社にフルタイム勤務しているホワイトカラー」である。
普段の生活のほとんどを会社員として過ごしていると、「営業かマーケティングか」「管理職を目指すかスペシャリストとしてやっていくか」「大企業かスタートアップか」みたいなことが、働く上での選択肢のすべてのように感じられる。
読書会で他の2人と話すと、生きる・働くことってもっと多様な選択肢があり、わたしは「会社員」という職業を選び取っているのだと自覚的になれる。会社員としての悩みは、本当に限定的な環境下での話であるのだと、俯瞰的に捉えることができる。

勝手にタイトル案を考える

というわけで、とても素晴らしい内容だったのだが、それゆえに「最初にこのキャッチーなタイトルを見たときは、こんな深い内容だと思わなかったよね!」と勝手に盛り上がり、「もっとこの本の内容の本質的な良さが伝わるタイトルがあるのでは?!」と、3人で勝手ながら案を考えてみた。
・新自由主義と「イクメン」の共犯関係
・「イクメン」はジェンダー平等を推進するのか?
・イクメンブームの功罪ー“ビジネススキル”としての育児ー
・イクメンはイケメンか?

…このタイトルで興味持てそうな人はぜひ読んでみてほしい。

▼冒頭で紹介した中野円佳さんと著者の対談も発見。とても面白かったのでぜひ。


この文章を書いた人:あさえ
一橋大学社会学部2009年入学、2014年卒業。在学中は安川一ゼミ、鈴木直文ゼミに在籍。法人営業、経営コンサルタントを経て、現在はベンチャー企業の事業企画・マーケティング職。

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