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令和になってまで結婚で得をするのはなぜ?

結婚の意味について、ずっと考えている。自分が結婚する前は、既婚者の友人に「何で結婚したの?」と聞き回っていたし、した後も引き続き、パートナーや仲の良い友人に議論をふっかけ続けて、たまに若干うざがられる。

既婚の友人からの回答として「結婚にはメリットはあってもデメリットはないよ」というものがあった。それは実際にそうだった。

わたしたちは共働きで子供がいない、いわゆるDINKsで、入籍前から同棲していた。結婚に伴う生活の変化がもっとも少ないタイプの夫婦だ。結婚しても、ただ役所に紙を出しただけで、仕事をやめるわけでも家事が増えるわけでもない。
なのに、結婚によって変わったこと、良くなったことがあるのだ。

わたしにつきまとう違和感の正体はたぶん、結婚したことで「メリット」を享受できたことへの、居心地の悪さだ。

金銭的に優遇される「夫婦」

高度成長期に設計された、伝統的性別分業&終身雇用のもとでの、「サラリーマンの夫と専業主婦の妻」を前提とした制度がある。
共働きであっても、結婚さえしていれば、そこに乗っかって得をする仕組みになっている。

わたしの場合、最近転職をして、2ヶ月だけ、どこの会社にも所属しない無職期間が発生した。独身時代の転職であれば、国民年金および国民健康保険の加入手続きをして、会社員時代よりちょっと高いお金を払わなければならなかった。
しかし、すでに結婚していたおかげで、一時的にサラリーマンの夫の扶養に入り第3号被保険者となることにより、2ヶ月分の諸々の支払いが不要になった。

同じ会社から同時期に海外駐在した2人の友人がいる。
Aは結婚しており、Bは独身。Aは夫を日本に残して単身赴任することとなったため、基本給と海外赴任手当に加えて、単身赴任者のための手当が支給される。また、一時帰国の航空券代が支給される頻度が異なり、Aは半年に一度、Bは一年に一度。
同じ会社・年次で、同じく単身での海外駐在なのに、「結婚しているかしてないか」だけで会社からもらえるお金に大幅に差が出るという微妙な状態になっている。

他にも、結婚に伴って家賃補助の金額が増えたり、広い社宅に入れたりするというのもよく聞く。その恩恵を享受すべく結婚に踏み切る、と言うのもよくある話だ。

子供を産む主体としての夫婦?

なぜ、結婚をすると金銭的に優遇されるのか。

牧村朝子さんの言う「結婚は行政お便利パッケージ」というのがしっくりくる。
結局、国という大きなシステムを営む上で、家族という単位が都合がいい。
更にいえば、国家の長期的な繁栄のために、子供を産むことを期待して、中長期的な異性間のパートナーシップを奨励する。

しかし、「男は外で働き、女は家を守る」「一生同じ会社で働く」が崩れ、未婚率と出生率が下がり始めてから久しい。
なのになぜ、制度は変わらないのだろうか?

婚外子が少なすぎる日本

それは、この国には「出産は結婚の中で行われるべき」という強い規範があるから。

日本ではとにかく、①結婚②妊娠③出産のスタンダードな順番を守ることが重視されている。もし妊娠が結婚より先に来ちゃったとしても、「出産が結婚よりも後」の原則だけは守りたい。「できちゃった結婚」「授かり婚」はそんな日本特有のものだ。

結果、日本の婚外子の少なさは、世界でも例外的な数値になっている。
OECD32か国の2014年時点で、未婚の母親から生まれた子供の比率のデータが以下である。

婚外子の比率

※ダイヤモンドオンライン「『未婚ひとり親』差別発言は日本の少子化対策に逆行する」2018年12月26日より

EU平均40%に対して、日本は2.3%。
最多のアイスランドなんて70%に近い。「えっ、お前んちの親、結婚してんの?めずらしいね!」という状態だろう。

欧米諸国も日本と同様に性別分業モデルの破綻によって少子化に陥ったが、法律婚という形をとらないパートナーシップおよび婚外子の権利を拡充させることにより、多様な家族の在り方を認め、結果的に出生率の回復につながっている。

もしかして、昔に戻ることを信じてる?

すなわち、日本は結婚=出産の時代が終わった今でも、出産を結婚の中に閉じ込めているため、子供が生まれる数が減っている。

スライド1

出生率の低下を食い止めるために、目指すべき方向は、一応、二つある。

結婚を出産のなかに閉じ込めたまま、結婚した人に子供をもっと産んでもらうか、
EU諸国のように、出産を結婚の枠外に出すか。

スライド2

一応二つ書いたものの、これだけ女性の社会進出(という言葉はあまり使いたくないのだが)が進んだいま、①は現実的ではないことは明白だ。

だけど恐らく、②を目指すことを許さない人たちがいる。古き良き日本を懐かしみ、①の時代の社会に戻ることがベストだと、根拠なく信じている。

EU型を目指すならば、パートナー間での対等な協力関係を担保するための権利(財産分与とか、一緒にローンが組めるとか)と、子育てをサポートするために与えられる権利(子育てリソースを確保するための金銭的援助)を切り分ける必要がある。
いまの日本は、それを切り分けずに、「結婚するってことはゆくゆくは子ども生んでくれるつもりなんだよね?あざーす!」と言わんばかりに、結婚するやいなや上記両方の権利が同時に与えられてしまうのだ。

「古き良き日本に戻したい、戻るはずだ」と頑なになるゆえに、その切り分けをしていない。同性婚が「子供を産まないから」などという的外れな理由で認められないのはこのせいだ。

本来、出産をキーにして与えられるべき権利までを結婚で与えられていることにより、勝手に出産への期待を押し付けられているようで、気味が悪い。
同等の権利が与えられるべき事実婚や同姓パートナーよりも優遇されてしまっていることが、後ろめたい。

結婚を子供を産ませるためのしくみに留めることは時代に逆行している。夫婦別姓も同性婚も認められないのはどうかと思う。それでも、現行の結婚制度に適合することで、自分が抗いたい価値観に取り込まれ、再生産してしまっている気がする。これが、わたしの居心地の悪さの正体なのだと思う。


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