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会社を立ち上げる、の意味は?主観的に振り返ってみた

2023年にAlaise(アレーズ)という屋号で会社を立ち上げました、と前のnoteで書いてみました。

今回は、「そもそもなんでなんだっけ?」と考えてみました。
その結果、なんだか繰り返し使われる表現がある気がしたので、それが大事だと思ってるんだなぁと改めて自覚するに至りました。


Alaiseとは(繰り返しですが)

読み方は「アレーズ」です。フランス語表記でà laise、日本語で「のびのび、快適に、自然に」という意味があります。

Alaiseでは、コーチングや研修を通じて「意志ある挑戦と変化」に向き合う人とチームを応援します。
個人やチームが経験や挑戦を通じて学びを得ることが重要だと考えています。その過程を伴走することで、意志ある個人とチームがポテンシャルを活かして成果に繋げていくこと、社会を変えていくことを目指します。

詳しくはこちらのWebサイトか前回note「35歳、年女 会社を立ち上げました」をのぞいてみてください。

「会社を立ち上げる」とはどんな意味があるのか

まず、ネットやChatGPTに聞いたら色々出てきました。

独立性と自己裁量権
経済的自立
新しい価値の創造
雇用の創出
地域社会への貢献  などなど

で、あなた(Kakky)にとってどんな意味があるの?と自分に問うてみた、というところから書いてみます。

超個人的な視点なので、起業するのはこんな価値があるーとか、ーすべきとか、綺麗にまとまってません。それに、とっても主観ですので感覚とか感情とか混ざっていてツッコミどころが満載です。こんな人もいるんだなと思って楽しんでみてください。

さて、この問いを考えるということは、つまり会社を立ち上げるという行動の背景にある願いと意味を言語化するということ。それがわかると、今後必ず向き合うであろうあー大変、と感じる場面でやる気につながる(はず。きっと)と思います。

  • 自身の願いに沿って自由に活動できる基地

子どもたちが秘密基地を作って何か企んだりする、という画ありますよね。私は小学生の頃に、公園にあるジャングルジムを拠点にしてあれやこれや空想を立ててチームごっこをしていました。イメージはそれです。

「ここ俺たちの基地にしよーぜ」という掛け声は創業そのものだし、「何する?<私○屋さんやりたい」というのは事業立案だし。(簡単に言えば)

そこにある気持ちは

  • 何をしてやろうかというウキウキ、心動かされる感じ

  • 興味がそそられる感じ

  • 暗くなるまでの時間をめいいっぱい楽しんでやろうとする活力がある感じ

  • でも、友達が何をしたいのか気を遣ってみたりする戸惑いも少し

  • やってみたいことが全部、いつもできるわけじゃない残念な感じ

私が思うのは、この子どもが作るような秘密基地には感情にも経験にも蓋をしない自由さ、あるということ。

屋号の元でやってみたいことは「自由、好奇心旺盛、臨機応変が尊重される空間で身軽に動くこと」であるような気がします。「おっし、やってみよーぜ」と足取り軽く動きを取れるといいなと考えているのだと思います。

でも現実はそうもいかなくて
・ここに価値を感じてもらえるのか
・やりたいと言ってもまだまだ準備が、、、
・発信もままならないぞ?
・マジで好奇心満載でいられてる?!
とか、色々あります(笑)

今日も、実はこの記事の下書きを眠らせていたので時間をおいて戻ってきて、秘密基地の考えに久しぶりに触れたら「そうだった^^」っと、立ち戻るような気がしました。

  • 自分のリソースを社会のために活かす

世界がより優しい方向へ向かっていくことを願っています。きっとみんなもそう。
そのための働きや動きのために、私が一部として関われることがあるとしたら何か、と考えている気がします。
全体価値につながるならば、環境、教育、福祉、医療などどんなテーマも当事者意識で捉えられます。自分自身がそうした課題のシステムの一部にいることを実感してるから、なんだと思います。
強く・長く持ち続けたい考えですし、大目的として忘れずに生きていきたいんです。

一方で、資本主義社会の仕組みの中で立ち位置を作り、それいいやん、って言ってもらえるようになることも大事。そうした価値の造り方で所得が得られて、生活ができて、健康を保って、精神が整って、大事なことに向き合うことができて、というサイクル。社会の一員であるということは、そのシステムの中であり続ける努力も要るし、どんな存在で関わるのか、と意思を持って選択していくことも必要だな、と。

正直、今現在自身のリソース[価値観、知識、スキル、つながりなど]が誰に、いつ、どんなところで、どのように価値と感じてもらえるのか、全て想定できていません(えっ?)。よく言えばポテンシャルがあるかも物件かもしれないです(てへぺろ)。ならば、自分の小さな頭だけでなく、他人の智慧やひらめきを借りて芽ぶかせてみよう、と。
つまり、私ここでこんなこと考えて、こんなことできそうな人です、何か力になれませんか?と言っていく、ということですね。そんな機会を通じて、「あ、ここにもできることあるかもよ」とつながりが見えてくることもあります。
口下手、筆下手な私に取って、この一歩出てみるという枠越え動きは結構大きいです。

ということで、「続ける」「つながる」「活かす・活かされる」機会ということを考えて、この形を選ぶに至りました。この経験を通じて苦い思いもするし、やったと思えることもあるでしょう。そのどちらも通じて「経験」していくことでどう活かされている私自身の姿をみられるのか楽しみだな、と思ったりします。

でも現実は、
・立てたところで自分が動かなきゃ機会はない
・思ったようには広がっていかない
・社会のため以前に生活
とか色々あります(笑)

まとめてみると、
会社は私に取って
願いに沿って自由に活動できる基地。
リソースを社会のために活かす媒介。

その背景にはどんな価値観があるのかというと
どんな意図で何を選択するかが経験と結果を大きく変える
・感情や願望が人の経験価値や意思決定に与える影響は大きい
・経験を味わい尽くしてこそ身にしていくことができる
・枠を超える=物理的、環境的、精神的に刺激を受ける機会から得られる経験は豊かであり、振り返り次第で活かし甲斐がある

願いは、
・自由
・気楽さ
・つながり
・分かち合う
・共創
・探求


なんだか綺麗な言葉が並んでいる感じがしますが、現実はやっぱりこの体現がずーっとできているわけでもありません。
「屋号を立てる」というのは家を造るようなもので、創造は自由自在。でも、それを維持して活用していくためには制約や制限、環境の変化を受けて何かを変えていきつつ、前に進みつつ進めていくものなのかもしれない。
意志がこもった家の骨組み(=会社の形)は、方向性を見失わずに進めていくためのリマインドなのかもしれません。

で、次は「価値観や考えに影響を受けている諸説」について書いてみようと思います。

滅多に話すこともないし、需要があるわけではないのですが。
やってみたいことな自分の主観を書いていると、それって客観的にはどういう考え?それが大事な証明とかあるの?と私の中の他の視点が起動してきました。また発想が広がったりして・・・と色々やっているとまとまらなくなってきたので次は客観的にみていこうと思います。

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