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【哲学的考察】私と私が触れる作品の時間軸について

■はじめに

 最近、「哲学的考察」という分類で記事を2本書き、今回が3本目です。日常生活から考えることから始め、こんな点はどうだろうと視点を広げてみたりすのるのですが、単なる「雑記」に終始している気もしたりします(笑)。
 また、noteではなく、個人の創作ノートなどに記載しておけばよいのかもしれませんが、今回も忘れない内に記載しておこうと思います。

■懐古趣味?

 noteを書きながら思うのですが、私は、「この本は、昔、誰々さんに薦められたなぁ。」とか、「ここの劇場は大学生の時に来たことがある。」など過去を振り返ることが多いです。
 そういうこともあり、「懐古趣味」「懐古主義」といった言葉をインターネットで調べてみました。「あの時代は良かった」「旧き良き時代」を懐かしむなどが出て来ます。
 でも、少し違うのです。昔を懐かしむという感傷的な感覚が多少ありつつも、私は、バブル崩壊後に社会人になった世代です。失われた30年とも言われ停滞しています。今よりも昔が良かったとまでは思わない訳です。

 他の要因を考えてみました。①物事を時系列的にとらえるタイプだったり、②記憶(力や量)の問題だったりするのかもしれません。そして、ここまで書きながら、③悲観的で未来をあまり思い描かないタイプかもしれない、とも考えてみました。

 他方で、情報技術の革新などは凄まじく、もう少し広い視点で、世界を捉えないといけないと考えたりもしました。また、もう少し年を取ってから、昭和、平成、令和、どの時代が良かったか?など振り返るのも面白いかもしれません。

■未来を思い描く

 次に、未来について考えてみました。
 科学が進んだ世の中を描く「SF(サイエンス・フィクション)」が、真っ先に頭に浮かびました。私が、初めてSFに触れたのは映像で、今でも、小説より映画で触れることが多いです。
 そして、私はそこまでSFは得意ではありません。この要因もいくつか考えてみました。その中では、①文系人間で、科学に対する苦手意識が強いことや、②あまり急激な変化を好まないタイプであること(ある意味で現実主義?)などがあるかもしれないと思いました。

 いきなりSFの話に入ってしまい、申し訳ありません。次に、もう少し視野を広げて、人はどんな気持ち(動機)で未来を思い描くのか考えてみました。

 「こんな未来だったらいいな」といった未来への期待や憧れでしょうか。他方、将来は不確定要素もあるため、「こんな未来だったらどうしよう」という気持ちもあるように思います。関連して、「ユートピア」や「ディストピア」といった言葉が頭に浮かびました。
 もう少し時間軸を短くして、「(日々の暮らしは別にして)私はこういう風に生きたい」といった考えや、「次世代に託す」という観点も未来を思い描く原動力になる気がします。

 最後に、どんな状況で未来を強く思い描くか考えてみました。選択肢が広がる世の中で考えるのか、戦時中など極限状態で考えるのか、こちらは両方あるような気がしました。

■最後に

 書き終えて、毎回のように、自分と同じような問題意識を持った哲学者や評論家の本などを読んだり、逆に、もう少し事実を扱ったルポルタージュを読んだりしてみたい、する必要があるなと思いました。

 そして、過去・現在・未来については、もう少し自分の時系列ベクトルを伸ばして(反転させて)未来を思い描くことも頑張ってみたいです。
 過去を振り返る余裕がない位、今に全力投球したり、未来を変える努力をするというのもよいかもしれません。

 余談で、少し話がずれますが、私は、未来について考えるとき、谷川俊太郎さんの「空に小鳥がいなくなった日」という詩を思い浮かべます。引用はなしです。備忘録的ですみません。

 最後に、冒頭の画像は、「時間」「空間」で検索し、詩さんの画像を使用させて頂きました。時間軸という題名にしたので、「矢印」がよいかもと思った面もありますが、空間も関係する気がしたので、異次元空間の画像を使用させて頂いた次第です。ありがとうございました。
 詰め込み過ぎで説明不足な部分もあるように思いますが、本日は以上です。

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