シューベルトの難しさ
シューベルトの最後のピアノソナタ、通常21番とされる変ロ長調ソナタが、彼の最高傑作の1つであることに異論はないだろう。
私は、特にその第3楽章のスケルツォが好きだ。神秘的な影がある他の楽章に比べ、明快で美しい。長くなりがちなシューベルトの楽譜で、見開き2ページに収まる簡潔さも奏者にとっては魅力だ。
ときどき指が、この楽譜を弾きたいと訴える。そのくらい、この音楽は、手に馴染む弾きやすさと、指にとっての快感がある。
だから、この楽章は単独でもよく弾かれる。モーツアルトの「トルコ行進曲」のように名前があれば、アンコール曲の定番になっておかしくない。リヒテルの伝記映画で、エンドクレジットで流れていたのも印象的だった。
しかし、一見わかりやすいこの曲の楽譜と向き合う度に、困惑させられることがある。強弱記号だ。
この曲はPP(ピアニシモ)で始まり、しばらくしてP(ピアノ)になる。そして、ほぼPとPPだけに終始する。
つまり、全体をよわ~く弾かなければならない。
明るく楽しい曲調なのに、「盛り上がる」ことを作曲者によって常に抑制されている。これが難しい。
冒頭にAllegro vivace con delicatezza(陽気に楽しく、かつ繊細に)とある。この指示がそもそも矛盾しているように思える。
スケルツォ楽章は、その役割からして、賑やかでいいはずだ。しかしこの曲は、ほぼPからPPの範囲でしか音を出せない。
これは1つには、シューベルトが、F(フォルテ)やFF(フォルテシモ)を終楽章にとっておきたかったからではないか。シューベルトは終楽章を書くのが苦手だった(だから逆に「未完成」が名曲になった)から、終楽章を盛り上げるために、その前のスケルツォをおとなしくしておいたのかもしれない。
だが、その周到な設計が、この曲だけを単独で弾く場合の難しさを増加させる。
終盤、PPから、7小節に渡る長いクレッシェンドの後に、mF(メゾフォルテ)が一箇所だけ現れる。この楽章でPとPP(とFP)以外の強弱記号はこれだけで、つまりここが全体のクライマックスだ。しかし、その後また6小節にわたるデクレッシェンドでPまで落とすことを要求され、FINEとなる。
ようやくPから脱しても、mFまでしか強く弾かせてもらえず、かつその間を長いクレッシェンドとデクレッシェンドで緻密に弾くことを要求される。
冒頭の「繊細に」という指示が、途方もない要求であることがだんだん分かってくる。
知り合いでリートをやっている人が、
「シューベルトを長く歌ってきて、シューベルトは変なやつだ、というのがわかった」
と言っていた。
シューベルトは一見わかりやすいけど、実は難しい、というか、不気味なほど扱いづらいことに、こんな小さな曲でも思い知らされる。
別に「繊細に」弾かなくても、この曲は十分に美しく、楽しい。
むしろ作曲者の指示に従わず、(トルコ行進曲のように)フォルテで弾いた方が聴衆にアピールするかもしれない。
しかし、シューベルトが頭の中で聞いていたのは、それとは別の音楽なのである。
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