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日本の「汚い爆弾」 1945年、追い詰められた権力の最終兵器

ロシア国防省が、ウクライナが「汚い爆弾」を使う可能性について言及し、論議を呼んでいる。

大方の見方は、「汚い爆弾」を使うとすればロシアであり、自作自演で紛争をエスカレートさせる戦略だとしている。

ここで言う「汚い爆弾」とは、核爆発によらず、放射性物質を撒き散らす爆弾のことだ。



権力というものは、追い込まれると、手段を選ばなくなる。いわば国ごと自爆テロをおこなうようなことも考える。

日本も例外ではない。1945年8月、ポツダム宣言を受諾するに至る過程で、同じように「汚い爆弾」の使用が想定された。



1945年8月12日、東大教授で皇国史観のイデオローグであった平泉澄(ひらいずみ・きよし)は、陸軍大臣の阿南惟幾(あなん・これちか)に手紙を書いた。その中で、平泉は、

(和平が決裂した場合)急速に雄大壮烈なる作戦にいで、世界を震撼せしめられ度候(たくそうろう)。これまでのやり方は、まだまだ姑息なりと存ぜられ候。一億の玉砕、皇国の全滅をすら覚悟して思ひきりたる戦い

を展開することを訴えた。

「世界を震撼せしめ」る、「思いきりたる」戦い、で平泉が想定していたのが「汚い爆弾」の使用であり、この場合は化学兵器であったと思われる。

平泉の四高(現金沢大学)時代の同期に、満州731部隊の石井四郎中将がいた。平泉は1945年の春に石井と会い、開発中の化学兵器のことを聞いていた。平泉は、あるインタビューの中でこう言っている。

そのうち石井さんの本当のことを全部私は知ってね。これは大変なことだと思った。化学兵器をもって国を守るんです。陸軍の最後の手段はこれだった。非常に厳重にこれは秘匿されておった。(中略)石井さん、いざというときは頼むぜというので、非常にこれが自分には頼みになった。

この8月12日の時点では、和平派の海軍大臣、米内光政をテロで殺し、阿南を首相にして戦争を継続するクーデター計画があった。その場合の最終兵器がこの化学兵器だったと考えられる。

平泉にとって最重要なのは天皇制の存続だった。ポツダムの受諾で、もしそれが保証されないのなら、一か八かに出て、「一億玉砕」もやむなしの思いがあったと思われる。


現実には、もちろん、日本の「汚い爆弾」が使われることはなかった。

それがどのようなものであったか、全くわからない。731部隊といえば生物兵器(細菌兵器)の研究が言われるが、化学兵器の証拠は残っていない。

いわゆる天皇の聖断が下ったあとは、平泉はそれに逆らうことはなかった。(ご承知のとおり、阿南惟幾は終戦の日に自殺した)

そして平泉は、戦後も、戦中と同じく皇国史観を説きながら、1984年、90歳で天寿を全うするが、この「化学兵器」についても、クーデター計画の委細についても、それ以上語ることはなかった。


(以上、若井敏明『平泉澄 み国のためにわれ尽くさなむ』ミネルヴァ書房、参照)


*なお、満州731部隊の施設は、8月9日のソ連参戦の時点で放棄された。平泉は、12日に最終兵器の使用を阿南にほのめかしていたのに、13日になって、「必勝の兵器と戦術」がないから、とクーデター派に対して消極的になった。平泉の評伝を書いた若井敏明氏は、これを「矛盾」としているが、もしかしたら、12日の時点では731部隊がどうなったかを知らず、その後に、施設が放棄され、「最終兵器」も灰燼に帰したことを知ったのかもしれない。そうだとすれば、結局「汚い爆弾」は使えなかったことになるが。



平泉は政府や軍部に一定の影響力があり、特に陸軍右派の精神的支柱だったとはいえ、その策を国や天皇が採用した可能性は低い。だが、アメリカが天皇制存続を保証せず、陸軍のクーデターが起こっていたら、わからない。終戦3日前のこの時点では、どうなるかまだわからなかった。

日本の「汚い爆弾」が本当に存在し、もし使われたなら、ロシア(ソ連)に対して使われた可能性が高かっただろう。平泉らの右派は、ソ連(ロシア)に占領されて君主制(天皇制)が廃止されるシナリオを最も恐れていたからだ。

その意味で、ウクライナ戦争での「汚い爆弾」の話は、他人事ではない。権力は、追い詰められば、一か八か、「世界を震撼させる」手段にあえて出る。少なくともそういうことまで考える。日本も例外ではなかったのだから、という話です。


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